片づけられない女
家に帰ってきてからふと、
あれ、今年の確定申告の調書出力するの忘れた、と気づいた。
2018年(2017年分)から確定申告を始めて以降毎年必ず、確定申告後に、その申告内容の出力をしてファイリングしていたのに。
言っちゃ悪いけど、母が本当に片付けしなさすぎで、リビング入ったところからコピー機までの道すべて荷物を置いていて、全然入れないから(本当に片付けられない人なんだよ。母は、片付けられない自覚はあるけど、ゴミ屋敷ほどじゃない、みたいな、まだ底辺じゃない、みたいな認識してるけど、もう本当にめちゃくちゃ綺麗にできる人を、片付けられない人レベル0、ゴミ屋敷レベルの人を100としたら、母の片付けられないレベルは、85くらいはあって、わたしはたぶん、68くらい。わからないけど、一般的なお子さんいるくらいの4人家族家庭くらいの量を50としてね)別にゴミ屋敷みたいな不衛生さほどじゃないけど、母の片づけられないは、本当にモノを捨てないから、異常。わたしも捨てられていない方だけど、わたしの場合は、まあまず書籍と化粧品がものすごく多すぎる、で、部屋の許容量に対してモノが多すぎるが故に整理整頓ができていないパターン。)
わたしも片づけられないタイプの人間だけど、
片付けるってさ、
衛生・不衛生の区別のない(いわゆるゴミ屋敷みたいなの)
ゴミとゴミじゃないの区別はついているけど、いわゆる一般的に"ゴミ"とされるようなものを捨てられていない
いわゆるゴミは捨ててあるけど、不要なモノといるモノがちゃんと分けて整理されていらないモノが捨てられていない
要不要をきちんと分けており、不要なモノは捨ててあるが、必要なものの整理ができていない
要不要を分け、不要なモノは当然捨ててあり、必要なモノの整理(いわゆる整理整頓)もつけている
いわゆる使っていないけど置いてある、みたいなものはなく、必要なものは当然整理されていて、かつきちんと収納が行われて居住空間にゆとりのあるスペースがある
整理整頓がかなりされており、持ち物は必要な分しかない
ミニマリスト
って感じの区分がなんとなくあると思うのだよね。
多分、持ち物は必要なものしかない、多くの人は居住空間にゆとりがある、または必要なモノが整理できていないのどこかに属すると思う。
わたしは、要不要の整理がつけられないまま部屋にモノが(居住空間に対して)多くてモノがまだ捨てられていない
の段階。読んだら捨てると思っている本が積んであったり、居住空間(5.5畳)に対してそもそも、書籍や化粧品や洋服が多いパターン。
母は、
ゴミとゴミじゃないの区別はついているけど、いわゆる一般的に"ゴミ"とされるようなものを捨てられていない(例えば、空だけど綺麗だからってお菓子の缶や箱みたいなのを取っておいていて(もちろんポッキーみたいな箱じゃなくて、アンリシャルパティエとかレストラン米村の缶や箱みたいなね)その量が10個とかじゃなくて何十個、みたいな感じとか食べ終わっている食品の袋が重ねておいてあって、母曰く、インスタとかなんかそういうのに、その食べたモノの写真を載せるまで捨てられないらしいんだけどそれが一向にしない)
タイプ。
で、
片づけられていないことにまず気づいていない上に、指摘されたところで片付けるべきだと思わない人・・・A
片づけられていないことに気づいているけど片づけない人・・・B
片づけられていないことに気づいていて片づけているつもりだけど、そもそも片付け方がわかってないとかで本人のなかでは片づけているつもりだけど、一般的に言ってそれが片づけているに入らないような類の人・・・C
片づけられていないことに気づいていて、片づけているけどなかなか現状が追いついていない人・・・D
片づけられていないことに気づいて片づけ中の人・・・E
片づけられたばかりの人・・・F
片付けを定期的に行なっている人・・・G
日常的に片づけをきちんと行なっている人・・・H
片付けるモノがない人(ミニマリストとか)・・・I
みたいな区分が多分あって、片づけられない人っていうのはつまり、A〜Eあたりに当てはまる人だと思う。
大学生以降のわたしは、
ずっとC⇔Fを往復していて、一進一退。
(高校生までは、モノが少なかったというのもあるけれど週一くらいでワックスかけるくらいには綺麗にしてたからね)
母の場合は、B兼C兼Dだと思う。
つまり、片づけられない自覚はあるし、片付いていない自覚もあって、片付けようとはしているし、自分では片づけているつもりだけれど、でも、その、片付けようとしているというのは、そもそも片付けられない人間の母にとっての"片づけている"であって、世間的には全くそうではないと思うし、
片付けようとしている意思はわかるけれど
そうなのだとしたら片付ける時間を割いていなさすぎだし、出かけるしモノ増やすしって感じの。
まあ、とりあえず母とわたしは、
同じように片づけられない人間だけれどこうしてみると片づけられないタイプが少し違う。
片づけに関しては自分が苦手だから言わないできたけれど、そもそも母に関して言わせて貰えば
学生時代のわたしのように学校やアルバイトや課題や論文や研究が、みたいなやることがあるわけでもなく、
父や一般の社会人の方のように、仕事があるってわけでもなく
いわゆるちゃんとした主婦のように家事に忙しい、わけではなくて(以前から書いているが、母は専業主婦だし、わたしはやってもらっている側だから文句は言わないけれど、子どもの頃から、いわゆる"主婦業"という仕事、という意味でちゃんと家事をやっているというのは見たことがない。せいぜいトイレ掃除、お風呂をたまに洗ってくれる、ご飯は作ってくれて溜まってたら洗い物もしている、とかくらいではと思う。つまり、別にやってないとは言わないけど、いわゆるちゃんとしたご飯をつくってくれるとか、お弁当を"ちゃんと"作ってくれたこともないし、みたいなそういうこと?)
もちろん、家族のために割いてくれている時間というのはあるのはわかっていて、例えばお買い物にしても例えば家事炊事にしても、0とは言わない。
それに私たち三兄弟が子どもの時は学校における保護者の役割とかもいろいろあったとは思う。
でも、弟が大学生になっていわゆる子育てみたいなのが終わったのはおよそ10年前、
その時はちょうど亡くなった祖父母の家の片付けがほぼすべて完了したくらいの時期で、もちろんだから最初の方は、祖父母のいろいろをしていた時の大変だった分休んで良いと思うし、自分の時間を削ってきたろうから好きなことをしても良いとは思う。にしても、結局その後10年間その解放状態のままな気がしている。
ちなみにわたしは、30にもなって実家にいる身なので、親の片付けのどうのこうのには、思っても口には出さないようになるべくしているし、わたし自身が片づけられていないし家を出て行けていないからいうべきでないと思っているけれど
今回、ここで述べているのは、その、
片づけられない、片づけていないにも
レベルというか段階があって
自分がどのレベルなのか、ちゃんと、自覚があって、何ができないのか苦手なのか特性なのか、とかをちゃんと認識をした上で向き合うことが大切だと思っていて
そういう意味でわたしは、大学生の頃から自身がADHDだろうという認識があったから、
整理整頓が苦手とか
何かしている途中で別のことに意識がいったら忘れてしまうとか
そもそもモノを持ちがちとか
そういう認識は、自己認識と他者評価にそんなに狂いはない。
でも、母の場合は、
自己認識の片づけられないと
他者評価のできていないが一致していない。
自分では、やろうとはしてるけどできてないくらいにしか思っていないけれど
他者評価で言わせて貰えばそもそも
片付ける気がある専業主婦なら、
家族が誰もいない時間にもう少し家事炊事終わらせられるだろうし(掃除機すら数日に一回しかかけない)、自分のモノを捨てることもできるだろうし
そもそもだけど、モノを増やさないようにしようということができるのではないかと思う。
(母の趣味だから口を出さないできたけれど、母はイベントモノが大好きで、サンプルとか、もらってきたみたいなモノがたくさん家に溢れている)
加えて、今やって、とこちらがお願いしたことを
その時、やってくれることの方が珍しい。
それが、つまり、
コピー機までの道に母がモノを置いていて、ここから先は入るなと本人がいうから、じゃあこれを印刷して、と頼んだのに、あとでね、と言ったきり忘れ去るようなこと(まあこれに関してはわたしもあとでね、と言われた後に、印刷してもらってないことに気づかなかったし、忘れてしまっているので人のことは言ってはいけないし、母が後回しにするから、どんなに苛立たれたとしても今すぐ、と強くいうべきだったと今思う。まあその時も、今って言ったのにあとでと何度も言われてイライラされるのが嫌だからやめちゃったわけだけど、やめたのだししてくれなかったのなら仕方ないから自分がコンビニにでも行ってコピーすればいいんだから、コピー機のあるところにわたしが入れない、母にコピーを頼む、母があとでという、あとでと言われてされなかったのなら翌日でももう外で自分でやる、とするべきなわけで、完全に自己責任なんですよね)
で、今回のコピーみたいな類は、別に自己責任だけどこれが家全体の片付けとなってくるとまた違う。
もちろん、わたしの部屋に関してはほぼほぼわたしの責任(5.5畳のうち1畳以上は母のタンスで母の領域なのでそこは知らないけど)
でもそれ以外のところにはわたしは自分自身のモノは置いていないわけであとは、家族共用か母のモノなのだから、
家族の共用物は、わたしだって片付ければいい(例えばお皿がシンクにあれば洗うとか洗濯物があれば畳むとかその類ね)
家族の共用物に関してわたしができているか否かでいうと、自己評価としても客観的にみても、やれていないから、まずそれは問題だと思う。
その上でけれど、例えばキッチンは、
母が勝手に入ると文句を言うから入ってこなかったというこれまでの事情もある。し、キッチンにある、これゴミでしょっていうモノ(例えば空の瓶とか、シリアルの空の容器をなぜか捨てないとか、お菓子の缶とか箱を置きっぱなしとか)すら勝手に捨てたらブチギレられるし、
よく、友人などにも、ご飯くらい自分で作ればいいじゃんと言われるけど
卵1個勝手に使っただけでブチギレる母で
おまけに勝手に使うのではなくて、許可を取ればいいんだけど、
母がいないとして、LINEで母に、じゃあ例えば
「卵1個もらうね」とLINEしたとする
もちろん、いつもかならずではなくてすぐに返信があることもたまーにあるけれど、大抵の場合、わたしがご飯食べようかなと思ってから早くて30分、長いと5時間くらい返信が来なかったりする。そうすると、卵1個の許可を得るのにそこまでかかったらもうご飯の時間じゃない。
もちろん、わたしが自分で買ってきたモノだけで調理するなら全く問題がないのでそういう場合は、別に連絡もしないけど。
わたしに関しての問題は、そもそも、
大人になっといて実家暮らしという点から
おかしいところなので、批判しかないのはわかる。
そしてそれは、棚上げできることではないのだけれど、自立とか、大人だからとか、実家に暮らしていて、とかそういう話題は一度棚上げさせてもらって、こと今回の
片づけられない人って、という話題だけに限ると、
結局、やっぱり、
自分の片付けられないレベル、 が
どの程度なのかをきちんと認識するべきだし
片付いていなくて片付ける気があるなら
片付ける時間を割くべきだと思う。
し、
それを認識できているのと、できないのでは大きな差があるんだろうなと思う。
わたしが、C⇔Eの往復を、
せめて、D⇔Eの往復だけに最初の段階としてステップアップするためには、
やはり、5.5畳が居住空間なら、それ相応の量に、洋服も本もモノも化粧品も
収めなくてはならなくて、おそらくわたしの部屋の本棚にはどう頑張っても120冊くらいしか本は入らないから、ライティングデスクの中も含めて本は150冊を絶対超えないよう量までとにかく減らすとか(つまり800冊くらい捨てなくてはならない)
化粧品やその類も部屋にきちんと収納できる量を考えると今持っている分の6〜7割まで収める必要があるし、
洋服もぱっと見の計算だけで言えば50着以上は本当は捨てるべきだろう。(自分で買った服は勝手に捨てられるけどね、これもまた祖母からもらった服は祖母の目が黒いうちは捨てるなと言われている上に、母が買った服も壊れて全く修復できないみたいなのでない限り捨てる許可降りなくてね:たまに勝手に捨ててるけど、昔とかゴミに入れてたら家帰ってきたら部屋に戻されてたりした。最近は、祖母から来た服以外は自分で買ってるから随分減ったし、とりあえず紙を減らさなきゃで後回しにしているけど、多分もっと服も捨てるべきだよね。一着買ったら3つは捨てるはしてるけど。)
実家を出ると決めてから、実家を出るために必要なことを考えて、やっぱりまずはモノを減らすことだよね、と思って、少しずつ減らしてきたし、まず携帯のカメラロールの量を減らさないとなかなか頭の中の情報量がいっぱいで思考したり整理する容量がないからそちらを優先してきたけれど、今のスピードじゃ遅い。遅すぎる。し、
一人暮らしのことを考えたらやはりモノを持ちすぎている。
とりあえず、母と出かけてきたこれまでのなかで増えていったり、購入した時につけてくださったりして増えている、購入品以外の化粧品および化粧品サンプルを処分するところから始めるべきかもしれない。(これまでなんとなく、使わないブランドのものは捨てていたし、時間が経っているものも捨てていたけれど、それにしても量がありすぎている気がする)
ということで、今から化粧品を入れている箱と、大きなポーチと、ファイルを全て出して捨てます
追記:全然、まだまだ多すぎるけど、1わりくらいはへらしてきた
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