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こびりつく。


 ※これは、12月頭に書いたものです。
 事情により、公開順がずれました。
 メロくんのことは、この記事の公開ができない間に癒えました。それでも
やはり場所と想いのつながりは少しは残っていると思います。
 以上をご承知おきの上お読みください。


 立教大学に模擬テストのようなものを受けに行った。携帯の充電器を忘れて一回家に帰ったおかげで、走って家を出ることになり、バスに乗ることにして走って電車に乗り、そして池袋へ向かった。


 途中副都心線に乗った。新宿三丁目で急行を待っている時、メロくんを思い出した。


 丸の内線の沿線に住むメロくんとは、いつも新宿三丁目の駅で待ち合わせていた。


メロくんを頭に感じながら
立教大学にいくために、池袋駅で降りた。




 池袋駅で降りたら夜神くんを思い出した。
夜神くんとはいつも池袋でデートしていた。



 試験の帰り道。


 立教大学近くに公園があって、
2年前、見知らぬ女の人に
「ブス」だと言われてメソメソと泣いて夜神くんを困らせたその場所が目に入ったし、夜神くんとご飯したお店の一つがAKA-BARUという名前だったことを通ってから思い出した。



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 確かにそこにいた。


 SKY-HIの歌が頭の片隅で流れはじめる。



 夜神くんと通った池袋駅の周辺をもぞもぞ歩いて、確かにそこにいた感覚は、もう2年も前で、
それでも今通った私は、その感覚と記憶に押しつぶされそうで、過去になっているはずが過去になりきれていないことを思い知らせてくる。


 今日は通り道になかったから通らなかったけれど、池袋には夜神くんとご飯を食べた「ふくろう」という居酒屋があって、それからセンター街のなんとかっていう居酒屋は、私がごま焼酎、紅乙女に出会った場所。



 あと、サンシャインシティは、初めて付き合った彼氏とも行ったし、教職課程の特別支援学校への研修でも行ったけど、もちろん夜神くんと行ったのが最後で。池袋には、まだ、夜神くんがたくさん思い出のなかにいて、でも、前は池袋って文字を見るだけで押しつぶされそうだったのに、副都心線なんかで池袋を通り過ぎるだけで苦しいどころか、副都心線に乗るだけで、頭の中の過去の夜神くんが回顧されてすごく苦しくて辛かった気がするのに、私はいつの間にか少しだけ乗り越えていた。


 少しは乗り越えていたけれど、今日はなんだかぎゅーっときて、その時焦って見たテニプリのアカウントで新宿にテニプリのショップがあるなんて見てしまって私は池袋から逃げるように新宿三丁目へ向かった。


 新宿のマルイに着いてから、今はまだエヴァが出ていて、テニプリショップが開催されるのは少し先の話だと気づく。不必要に新宿三丁目で降りてしまった。特段用事がないから仕方なく駅へ戻ろうとして、今度は、いつも新宿三丁目でおちあっていたメロくんのことが頭をよぎる。


 モノにその人の記憶が宿ってなかなかモノを捨てられなかったり逆にそれを使うと思い出しちゃうからモノを捨てないと苦しいという友人もいたし、そういう人は多いのだろうけれど、


 私の場合、モノにあまり執着がないからか、
好きな人からもらってもなくしてしまうのもしょっちゅうだったし、元カレがくれたものも別に、
「これは○○からもらった」なんてそんなに感じることなく自分のものとして使い続けていても何も思わない。だけれども、


 その時代に好きだった人と行った場所は、
ずっと残っている。


 昔付き合っていた初めての彼氏といったサンシャインは、夜神くんとも行ったからか、新しい記憶の夜神くんと行った事実の方が心にぐさっとくるけれど、それでもやはり、それぞれとの思い出が少し別々にしまわれている。


 自分自身で、相手に未練があるかどうかは、
この、場所への思い入れというか、その場所に来たときにどの程度心が痛くなるかで少しわかる。



 どうやら、
「初めての彼氏といった池袋」に関しては
行ったなーという事実しか残っていない。


 でも、


 「夜神くんと歩いた池袋」は、通ったらまざまざとその時の記憶が思い起こされてけれどそれは、まざまざと今のことのように思い出された少し前とは違って、過去にきた思い出の場所、としての痛みだった。




 そして、「メロくんと待ち合わせて歩いた新宿三丁目」は、夜神くんとの思い出への痛みとは少し違う感触で心をつんつん刺してくる。確かに寂しくて虚しくて。けれど、夜神くんとの思い出に感じる、身体から血が滲んで吹き出してくるような痛みとは違う。それはなんと称すればいいものか難しくて、今言葉として産出できないけれど、でも、夜神くんとの思い出のようには過去になっていなくて、とはいえ夜神くんとの思い出のような痛みはなくて。


 こういう感触を、人はなんというのだろう。


 やっぱりそれも、少しの恋だったのだろうか。


 メロくんとは、好きになる前に関係が突然消えたと思っていたけれど、はっきりしない恋の終わりが私は苦手で、だけどメロくんとは終わったと思っているし、実際そうなのだけれど、終止符をはっきり打たれなかった、打てなかったから、なんだかまだどこかでピリオドを打てないで、ぼたぼたとインクが垂れて染みていく。


 夜神くんとの恋愛の時と同じように。


 メロくんとは、連絡が取れなくなってしばらくしてやっと少しずつ諦めがついてきて、日常にメロくんのいない日が当たり前になってきたし、正直、彼を好きになる前に、好きだと思えるほど信用できる前に、会わなくなってしまったから、恋愛だったとも言い難いのだけれど。でも、メロくんと仲良くなってきた頃、メロくんと会っている間、話している間、2年ほど執着してきた夜神くんのことが頭から薄れていて、それはメロくんを夜神くんの代替としていたからだったのかもしれないけれど、私は、もしかして夜神くんへの"失恋"を乗り越え始めているのかもと少し期待していた。



 けれど、曖昧なまま終わらせた恋愛は、新しい何かでは結局埋まらなくて、夜神くんとの恋愛の終わらせ方のモヤモヤは、ずっとそのままだった。そして、そのモヤモヤが、池袋に詰まっている。普段は蓋をされている細かい記憶が、池袋にくると飛び出してきて、感情の槍が身体に突き刺さる。



永遠なんて物はないって 
君も僕だってわかってた
届くはずの無い雲に手を伸ばして
触れた瞬間千切れて消えて


  充電持ちの悪いワイヤレスイヤホンは
池袋にいる間にすぐ切れてしまったけれど、


 頭の中で、SKY-HIの「そこにいた」が
流れはじめて、夜神くんやメロくんを思い出している私をいっそうセンシティブにさせた。


 もう少し笑っていたかった
 いつかは自然に出来なかった
 君が僕を振り返った
 もうそこにはいなかった




 今日、私は模擬テストを受けることを選んだから従姉の子のお宮詣りに参加しなかった。大きくなったいとこの子の一人目の子と、生まれてまだ1ヶ月の二人目の子の写真が親族のアルバムに送られてくる。いとこが二人の子を産む間に、私は夜神くんと出会い、付き合って、別れて、Lくんに失恋して、メロくんやニアくんと出会い、どちらとも連絡つかなくなった。



 なーんにも、うまくいってないや。結婚したり、パートナーシップ制度で結ばれたり、長く付き合っているパートナーがいたりする友人や同級生たちを、羨ましくというより、ただ、すごいなあ、とわたしには叶わぬもののように感じるようになっている。大学生の時思い描いていた28歳は結婚して子どもがいるはずだった。大学院生の時思い描いていた28歳は、キャリアを積みながら研究をしていると思っていた。その何も無い。


 自信を持たなければ、魅力的には見えないのは分かっていて、けれど、年々自信を失う要素ばかりが増えている。


 英米文学科の修士卒で、英語科教員の専修免許も持っているけれど、今日の英検の模擬テストはひどいものだった。開いた1ページ目からほとんどの単語の意味がわからなくて、ライティングは全然書けなくて文字数が規定の半分にも満たなかった。



 若さを失うことそれ自体は、悪いことだと思っていない。けれど、若さと引き換えに手にしていくはずの経験や知識や能力は何も手にしていないのに、若さだけが手から、身体からこぼれ落ちていく自分自身は、ひどくだらしなくて惨めだ。


 確かに、親愛なる友人が言うように、
私は自分の不出来をまだ認められていなくて
諦められていなくて、それはやはり
"不満足な豚"のままなのかもしれない。



 彼に愛されるために何が足りなかったとか、
そういう話ではないのは頭ではわかっているけれど、でも、それと同時に、私はたぶん、好きな人に愛されるための何かが欠落しているのも確かなのだろう。


 その不足は、自信でもあるし、自己肯定感でもあるし、能力でもあるし、キャリアでもあるし、生活力でもあるし、経済力でもあるし、年齢に適した落ち着きでもあるし、外見的魅力でもあるのだろう。



 何も持たざる私はまた、そのなかの何かを身につけるための絶え間ない努力すらできていない。わかっている。それらに気づくためには、確かに夜神くんやLくんへの失恋も必要だったし、ニアくんやメロくんとの出逢いも必要だったし、何も与えられぬ自分が、ただ愛されたいと願うのは少し違うという正論は確かにわかっていてわかっているけど、ただ愛されたかったんだと思う。


 恋人から愛されるという感覚が、
 私は自認も身体も女性で、恋愛対象が自認も身体も男性の方だから、ここであえてこうした注釈をつけた上で、ただ、男性、女性とだけ記すけれど


 私は、男性から、女性として恋愛対象として、
きちんと愛してもらえるという感覚を、
ずっと欲しているのだ。それは、ずっと前から
大学生の時分から気づいていたことだけれど、
若さが手からこぼれていくのを感じるたびに、
その願望を持っていることを強く突きつけられる。



 何も持たざる私は、英語系を専門として英語教育を専門として修士までとったのに、ついに英語の試験で英語がまったくの、ちんぷんかんぷんになるほどに堕落していた。ここまでわからなくなっていた、出来なくなっていたのは今にはじまったことじゃなくて2019年の頭くらいからで、それを私はその時から気づいていたのに、これまでの3年間、何も改善してこなかった。ただ、ああ、出来なくなっていると嘆いていただけで。


 そういうのがよろしくない。


 年末が近くなって、今週には夜神くんと、
文字の上で恋人の関係を終えてから丸2年になるけれど、私はまだ、池袋に感じる痛みも新宿三丁目に感じる痛みも拭えていない。そして、それを、もし他人に話したら、きっと友人たちは、はやく立ち直れだとか、立ち直れるといいねと、そういう方向に捉えるのもわかっていて、それがきっと“良いこと”だと私も賛成するけれど、でも、私は結局、忘れたくないし、まだしがみついて、痛みを感じていたいのだ。


 痛いと思っている痛みはきっと、以前に感じていたものより少しずつ変化して薄れたり消えたりしている。それもわかっていて、だから、痛いと感じるうちは、痛いと感じたいし、それが"酔っている"状態なのだとしても、酔いから覚めて欲しくないとどこかで願っている。


 不毛な恋は、何も結実しない。その"ムダ"を、時にやはり、私はムダなことをして何をしているのだろう、いつまでこうしているのだと反省したりするけれど、それでもたぶん、"ムダ"を"ムダ"とわかっていて"ムダ"を感じていたいんだろう。


 こうして歳をとれば


 「ね、何やってんの?そんなこと言ってるから"もう28歳"なんだよ」となるんだけれど。



 誰かに、ちゃんと好きになってもらえたことがなくて、いつも一方通行で、だから、ただ、ちゃんと好きになってもらいたいと、願うけれど、
私が恋愛においていろいろ逸脱していることが多いのがひとつの原因なのもよくわかっている。ちゃんとしないと、ちゃんと好きにはなってもらえないって、わかっているけれど。

#恋愛


#未練


#不毛な恋


 この2日後、突然メロくんから2ヶ月半ぶりにLINEがきて、都合のいい関係性だけが欲しい旨を伝えられたのできっぱり断って切った。胸はすこしいたくて、、でも泣くかと思ったけれど苦しくて涙は出なかった。


 ※文頭にも書きましたがこれは12月頭に書いた作品です。人間というものは慣れにはやくて、
メロくんをきってしばらくはやっぱりちょっと苦しい気持ちもあったのですがずいぶん消えてしまいました。ただ、やはり今も、「どうにかして友達というか、知り合いでいられなかったのだろうか」と思ってしまうことはあります。でも、友人関係を続けるには、信頼関係も信用関係も構築出来なさすぎたというのが結論です。

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