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ねぇ、ダイアリストってなに?

 

ゆかまる、という
名前のアカウントのnote。



粗野な文章がもう、
数だけでいえば30記事以上
書いてあって…


はじめの方の記事をみると、

そもそも、元々別のところに
書いてたものをこちらに移してきた、

という感じだし(実際そうなのだが。)


何についてのスペシャリストとかも
わからないから
この人、何について書いてるんだ?
となる。


ましてや、ライターの方々や作家や、
その他大勢の著名人の
noteを見てきた人からすると、

まさに、「おまだれ」つまり、
「お前、誰」
いや、
お前というのは、少し言葉が
雑だ。


noteを読む人の品位はきっと
「どちら様ですか?」

かもしれない。


 何をしている者かも大して
明かしていない。

 だから、この記事は、
 遅すぎる短めの簡単な自己紹介の
ようなものだと思っていただきたい。



私は、自己紹介のところに、
ダイアリストとつけている。

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ダイアリスト

=diary+ist (diarist)


つまり、
「日記をつける人、日記作者」。  



残念ながら、
私が勝手につくった造語ではない。

Oxford dictionaryをみると、


diarist = a person who writes a diary

とあるし、


weblioというweb上の辞書には

=one who keeps a diary

とある。

(ちなみに、日本語で"ダイアリスト"と
発音する場合、ダかリの上にアクセントがくるかと思うが、diaristのアクセントは最初のi〈ai〉。)

 


だから、わたしのnoteは、
あくまでdiary(日記)の延長
のようなものなのである。



日記とは?


日記、というと個人的で、私的なもの
と思うが

よくよく考えると、古くは 10世紀、


“男もすなる日記といふものを、
女もしてみむとてするなり”

と、土佐日記にあるように、

男性(しかも男性貴族)が
日々の出来事や仕事内容を
記録したもの
であった。


その内容には、
旅日記もあれば、航海の日記、
今でいう勤務後の日報のような
職務に関するものもある。


日本から世界に視野を広げれば、
日記の初期は、紀元前、
古代ローマのガリア戦記
(カエサルが、ガリア征服の経過を
記したもの)まで遡るらしい。

また、中国でも古くは周の時代から
公的記録の意味での日記
記されていたという。


 日本の話に戻れば、男性が、
儀式化した政務に関して、
漢文で記録し始めた
ところから、
やがて、中世には、
公家や僧侶などがその執筆者の多く
だった日記は、様々な階層の人が
書くようになり、近代に入ると、
西洋個人主義などの影響を受け
私的な内容を書く日記
となっていった。


古典を学んだ方ならご存知の通り、
この日記を、仮名を用いて
“文学”まで発展させたのは
女性たち
と言われている。
(理解が面倒だが、先の『土佐日記』は紀貫之(男性)が、女性というていで、土佐から京に帰るまでを(つまり、
当時男性が書いていた職務に関する記録をする“日記”とは異なる、自身の旅の
様子を)書きたくて
「男性も書くという日記というものを、女の私もしてみようと思って書いています」と、
当時は、女文字といわれた仮名文字を
使用して、和歌を交えて記されている。)



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 仕事を忘れて旅の思い出を残したい、
そう思った紀貫之が、そのために、
女文字といわれた仮名を用いて、
和文体(当時の正式な書類を書く
漢文体ではなく)で、
さらにわざわざ一人称、女性となって
書き記した、ということになる。
なんと複雑な解釈をせねばならぬのだ。



 日記は、英語では一般的には
diaryであるが、
この、diaryという言葉がイギリスで
生まれたのは16世紀後半だったと
言われている。
 しかも、日本同様、このdiaryを
記せた人は、識字力のある聖職者・
教会関係者・商人等の階層の人々だった。


西洋の日記が、プライベートな、
私的なものを記すようになったのは、
個人主義(individualism)が発展した近代で、プライバシーという言葉も、
19世紀に生まれた概念
である。

語源的にも、

dai-

day-

dia-

で始まる語はおよそ同じ起源がある。

 

さらにいうと、

diaryという語は、
 誰にも見せない、秘密性の高いものを
指すようで、


 人に見てもらうような日記、メモ、
その他感想文は、
journal

であらわすらしい。


 こう考えると、
公開しているので、
diaristというより、
journalistになってしまうのだが

 ジャーナリスト、
となると、私の意味したいことばと
ニュアンスが変わってきてしまうので
やはりここは


 公、つまり、仕事として文を綴る=journalist


 私的に心の移りゆくままに書き連ねている
=diarist

とでもしておこう。



日本でも

石川啄木の、『ローマ字日記』のような
日記の形式で書かれた
フィクションの私小説が出てきたり
プライベートな内容を個人的に
書きのこしておくもののようになった。
(のだと思う)


しかし、時代はまわって、
こうした個人的なことを書く
日記のようなものは、
私的な内容のまま
再び、だんだんと、公開されるものに
なったような気がする。

 先のdiaristなのかjournalistなのかで
いうと、

 本当に誰にも見せない、秘匿性の高い
ものがdiaryらしいので
 これでも公開していればjournalになってしまうのだが、

 日本で、ジャーナリストというと、
やはり事件や時事を追う人のイメージであるし、

ブログの発達と同じ時期に、

私が小中学生だった時に流行った
交換日記という文化がある。

今はないのかもしれないが、これは

友人たちと共有するもの、
として出現した文化で


交換日記の他にも

ブログ

そしてSNSの発達により、

Facebook
Instagram
Twitter
と、
さまざまなSNSを併用して
使用する人が増え、

それらを棲み分けるようになり、
TwitterやInstagramのストーリー
などはもはや、


その日の出来事、というより
今、この時この場所のココを
他者にむけて記すようになった。


ひと昔前でいう日記に書くようなことをSNSで、その瞬間、その場所で、
文字より写真やタグで、
記録するようになった。


自身の考えていることや、
今ここで感じていることを、
文字化し、表面化させ、
公にするように、
もっというと、
写真がどれだけ心に響くか(映え)
どんなタグがつけれるかが
影響するようになってきた。

(モテクリエイターとして発信する
ゆうこす(菅本裕子さん)は、著者で
これを"ググるよりタグる"と示し
タグ力について書いている)


文字が多いものは、読まない、
という方も現代は多いらしい。


noteですら、
スクロールしない程度で、とか。
(と言いつつ、いつも長々とした
記事を書いている気がするのだが)


 そうして「人に読んでもらうもの」
「人が読むことを前提として書くもの」
となった結果、

個人の出来事や想いについて書く日記も

 その書き方、語り方、ストーリー性が
重要、戦略的に必要になってきた

 
 ストーリー性、
語り方(ストーリテリング)というのは
新しいものではなく、日常においても
ビジネスでもつかわれる。

 例えば、広告。

  米国の神経学者、
リード・モンタギュー氏(1960〜)は

コカ・コーラ好きの被験者が、
ブランド名を知らずにコーラを飲んだ時と、
知っている上で飲んだ時の脳内の活動を
MRI計測した。

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 すると、同じ飲み物を飲んだのに、

前者(ブランド名を知らずに飲む)より

後者の(コカコーラと知って飲む)場合
の方が「美味しい」と回答する率が
高く、

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