チェーホフの『かもめ』を読んだ。面白かったし、好きだと思った。チェーホフの戯曲の人物が言っている、今ここじゃないどこかへの憧憬みたいなものに深く共感する。いつまでもどうしようもないことばかり言っている。
文化庁の広報のホームページにはこのような記述があった。
チェーホフが、わたしが共感するようなどうしようもない人物を描くのは、それを批判してよりよい生活を送ってもらうためだと知って、突き放されたようで少し悲しい反面、表現するにあたってそういう目的も一理あるなと思った。たしかに文学を通して自分の残酷さに目を向ける、みたいなのと同じでどんなに愚かか理解してよりよい生活を送るために意識を変えてほしいっていうの……。わたしは思わないけど、そういうのもたしかになって。
次は『桜の園』を読もうと思うけど、今までのところやっぱり『三人姉妹』がいちばん良かった。
わたしが冒頭のオリガの年齢と同じというのもあってか、この場面なんかもすごく親近感を覚える。
また、ここのイリーナが発狂しているところもとてもよくわかる。
最後に、オリガの以下のセリフで締めくくられる。チェブトゥイキンのどうでもいいさ!というセリフはオリガの言っていることに対するチェーホフの考えだとあとがきに書いていた気がする(本が今手元にないので確認できないけど)。
今月の残業時間は49時間だった。けどもともとの給料がめちゃくちゃ低いから残業代も低い。残業代なしの額面で24万しかない。他の人ならこの残業時間ならもっと稼げてるんだろうなと思う。わたしは今正社員型派遣エンジニアとしてプラント系の会社に配属されている(今も何も、23歳で新卒で入社してからずっとそうだが…)。業務内容は社会に貢献してるようなものでとてもやりがいがあるし、エンジニアとして学べることも多いし、環境もいいけど、給与が安い。わたしは文系の学部卒で電気系の仕事就いてるから、知識もないし給与低いのも仕方ないとも思ってたけど、同じく文系で新卒でわたしが派遣されてる会社入った人はもちろんわたしより遥かに給料高いことに折り合いがつけられない、でもそれもわたしが就活失敗したから…いや、別に失敗したとはそのとき一切思ってなかった。社会不適合者で留年してたから就職できたことがありがたかった。だからそもそも、社会不適合なのが悪いと言える。
今もう前よりは実務経験も積んで、あとは資格取れればいいなって感じやけど、転職してやっていける自信もなかった。コミュケーションも苦手で、どこにいっても馴染めない。最初にここに配属されたときは人としても技術者としてもいい人がたくさんいて、目指したい人も3人くらいいたけど、みんな辞めてしまった……。今はもう前とは全く変わってしまった……。あまり詳しくは言えないけど……。でもしばらくはこのままやっていくしかない。昔に戻りたい。2018年くらいに…。あの頃は今みたいに色々知っているわけでもなかったけど、楽しかったし、希望があった。
『かもめ』でも終幕で、落ちぶれた女優になったニーナが作家として成功したトレープレフ(コースチャ)に以下のようなことを言っている。
ニーナは名声と栄光にあこがれて女優を志したが、全てを失った後に「忍耐の必要性」という、自分の行くべき道を見出したのだった。
わたしもトレープレフのように何もわからずにいる。今年に入って1月から今までずっと気が塞いでいる。2022年、2023年でも晴れ晴れとした気持ちの日はそれなりにあったし、憂鬱になるのは月に何度かだったが、今は毎日憂鬱だ。こうなってしまうともう、あらゆることがどうしようもなく感じられてしまう。何の道も塞がっていると思う。
人生で一度も落っこちていない人っているけど、あれになりたいなと思う。成功している友達とか(そういう人のことを考えると、そういう人の生い立ちや幸せな生活の細部まで思い起こされてしまう)、『母親になって後悔してる』という本のレビューで、まわりの協力もあって育児に充実感覚えることのほうが多かったから内容に一切共感できなかったというようなことを書いていた人とか。それになれたらなあ。それか、昔に戻れたら。こんなにも普通の人々が低俗で偏狭で固定した価値観しか持たないなら、性格が合わない人とでも結婚すれば良かった。そんな形式的なもので生きやすくなるんなら。それで破滅しても自殺しても社会のせいだと言える。
ここ数年でも、わたしの発言に感銘を受けてくれて人間性をまるごと肯定してもらえることはあるけど、ボランティアで会って話した人とか、自助会の人とか、家族とか……でもそれでもつらいほうが勝ってしまう。わたし、何でも不平不満を見出しているわけではないと思う。うつ病になって寛解して以降も、気分いい日もあったから。気分いい日は、ふつうの人ってこんなクリアな気持ちで毎日過ごしてるんや!って思った。幸せだった。だからこそふつうの人はつらい人にその人の考え方の問題だと思ってしまうことがあるんやろうな。どうしようもないところまでいったことがないから。
今のわたしにあるのは、家族と、スーパー銭湯と、ひいきにしているカレー屋さんだけ。