2024年3月30日の日記(チェーホフ『かもめ』『三人姉妹』)

チェーホフの『かもめ』を読んだ。面白かったし、好きだと思った。チェーホフの戯曲の人物が言っている、今ここじゃないどこかへの憧憬みたいなものに深く共感する。いつまでもどうしようもないことばかり言っている。

文化庁の広報のホームページにはこのような記述があった。

チェーホフが伝えたかったこととは?

さて,『桜の園』のどうしようもない登場人物とは真逆で,チェーホフは作家と医者の二足のわらじを履いた“仕事の鬼”だったようです。あるとき,自身の戯曲についてこんな言葉を残したといいます。

(自身の戯曲が感動的な演出で上演され,観客に涙で迎えられたことに不満を持って)
僕が戯曲を書いたのはそんなことのためじゃない。(中略)僕はただ世間の人々に向かって正直にこう言いたかっただけなのだ。「自分を見よ,君たちみんながどんなに愚劣な,わびしい生活を送っているかを見給え」と。何よりも大事なことは,人々がそのことを理解することだ。そのことを理解すれば,必ずや人々は別の,よりよい生活を作り出すだろう。(※チェーホフが文学者セレブローフに語ったとされる言葉。原文はСеребров А. О Чехове // А. П. Чехов в воспаминаниях современников. М,. 1960 стр. 655 - 656. 訳文は池田健太郎『チェーホフの生活』(中央公論社、1971)より引用)

医師としても,作家としても“人のために”働いたチェーホフ。作家が“どうしようもない”登場人物に向けたのは,非難のまなざしだったのか,慈悲だったのか,はたまた観客への愛情だったのか……?そこに,この作品の魅力があるのではないでしょうか。

https://www.bunka.go.jp/prmagazine/rensai/youkoso/youkoso_017.html


チェーホフが、わたしが共感するようなどうしようもない人物を描くのは、それを批判してよりよい生活を送ってもらうためだと知って、突き放されたようで少し悲しい反面、表現するにあたってそういう目的も一理あるなと思った。たしかに文学を通して自分の残酷さに目を向ける、みたいなのと同じでどんなに愚かか理解してよりよい生活を送るために意識を変えてほしいっていうの……。わたしは思わないけど、そういうのもたしかになって。

次は『桜の園』を読もうと思うけど、今までのところやっぱり『三人姉妹』がいちばん良かった。

わたしが冒頭のオリガの年齢と同じというのもあってか、この場面なんかもすごく親近感を覚える。

オリガ 口笛吹くのはおよしなさい、マーシャ。はしたないわ!

(間。)

私、毎日昼間は中学校で、夜は夜でおそくまで個人教授の仕事でしょう、だからいつも頭が痛くって、自分でもすっかりお婆さんになったような気がするの。 実際、中学に勤めるようになって四年間というもの、毎日、一滴一滴、自分のなかから若さと気力が失われていく気がする。その一方で、大きく強くふくらんでくるのはひとつの夢だけ......。

イリーナ モスクワに帰るのね。 ここの家を売り払って、一切けりをつけてモスクワへ帰るのね……。

オリガ  そう!一刻も早くモスクワへ帰りたい。

イリーナ 兄さんは、おそらく教授になるでしょうから、どうせここでは暮らしはしないわ。心残りはただひとつ、かわいそうなマーシャのことだけ。

オリガ マーシャは毎年 夏にモスクワに出てくればいいわ。

イリーナ そうなればいいなあ。(窓を見て)いいお天気ね、今日は。 あたし、どうしてこんなに晴れ晴れした気分なんだろう。今朝起きて、今日はあたしの名の日なんだと思い出したら、急にうれしくなって、まだママがお元気だった子供のころを思い出したの。すると、いろんな思いがこみ上げてきて、うれしくなっちゃった。

オリガ 今日はあなた、なんだか溌剌としていて、いつになくきれいだわ。マーシャもきれい。アンドレイだって、なかなかのものよ。ただああも太ってはね、あの人らしくもない。それにひきかえ、私ときたら、老けていくばかりで、こんなにやつれてしまって。きっと、学校で生徒たちにガミガミお説教ばかりしているせいね。でも今日は仕事もなくて、家にいられるし、頭痛もしない。きのうより若返った気がする。私まだ二十八よ、ただねえ......。べつに不平、不満があるわけではないし、何事も神様の御心ひとつだけれど、もし結婚してずっと家にいることになったとしても、それも悪くはないなって気がするの。

(間。)

私、きっと、夫を大事にすると思う。

チェーホフ『ワーニャ伯父さん/三人姉妹』光文社古典新訳文庫、138-140頁。


また、ここのイリーナが発狂しているところもとてもよくわかる。

イリーナ 実際、兄さんも小物になったものね。あの女のおかげですっかりしょぼくれ、老け込んでしまったわ。かつては教授になるつもりだったのに、きのうなんか、やっと郡会の理事になれたって自慢してるの。自分はたかだか理事でしかないじゃない、議長はあのプロトポーポフ……。町中の噂になって笑いものになっているのに、なんにも分かっていなくて、なにも見えてないのは兄さんだけ……。さっきだってみんなが火事に駆けつけているのに、兄さんたら部屋に閉じこもって、自分は知らぬ存ぜぬ。ひたすらバイオリンを弾いているだけ。(苛立たしそうに)ああ、みじめだわ、みじめだわ、ほんとにみじめだわ!(さめざめと泣く)もうこんなの、あたし耐えられない!……………もう、ダメ、ダメよ!……

(オリガが登場して、自分の机のまわりの片づけをはじめる。)

(大声で泣き叫ぶ) あたしをゴタゴタに巻き込まないでよ、放っておいてほしいの、
もう耐えられない!……

オリガ (驚いて)どうしたの、いったいどうしたというの?

イリーナ(号泣しながら)どこなの?
どこに消えてしまったの、あたしにあったものは?今どこにあるのよ?ああ、神様、神様!あたし、全部忘れてしまった。 何もかも... 頭のなかがゴチャゴチャなの......。 イタリア語で窓や天井をなんと言ったか覚えてないの…… 全部忘れていくの、毎日どんどん忘れていくのなのに、 人生はおかまいなく過ぎていって、けっして戻ってこない。けっして、あたしたち、モスクワには行けやしないのよ……。 あたし分かってる あたしたちモスクワには行けないのよ……。

オリガ だいじょうぶ、ねっ、だいじょうぶ......。

イリーナ (気持ちを圧し殺すようにしながら) ああ、あたし不幸だわ......。 ろくに仕事もできないし、もう仕事なんてまっぴら。 もうたくさん、もうたくさんよ!電信係もやったし、いまは市会に勤めているけれど、回されてくる仕事は全部大っ嫌い。 大事だなんて思えない.....。 あたし、もう数えで二十四よ、働き出しもうずいぶんになるけど、頭のなかは干からびてくし、やせて器量も落ちて老けていくだけ。得るものなんてないし、満足なんかひとつもないの。 時間だけが経っていって、自分が本当のすばらしい生活からどんどん離れていくような気がしてならないの。どんどん離れていくばかりで、どこか奈落のようなところに落ちていくような気がするの。 あたし、救いようがないの、もう救いようがないのよ!どうして、今日までこの身に手をかけないで生きてこられたのか、自分でも分からないくらい……。

オリガ 泣かないで、さあ、もう泣かないで……。 私までつらくなるから。

イリーナ もう泣かない、泣かないわ……………。 もう、たくさん......。ねっ、もう泣いてないでしょ。 もう、たくさん......もう、 たくさんだわ!

オリガ ねえ、姉として、お友だちとして言わせてもらうけれど、もし私の忠告を聞く気があるなら、男爵と結婚なさい!

(イリーナ、さめざめと涙を流す。)

あなた、あの人のことを尊敬もしているし、立派な人だと思ってるんでしょ……たしかに、あの人、容姿はいまひとつだけれど、しっかりした清廉潔白なんじゃない…… 女が結婚するのは愛だの恋だのからではないの、それはただ、自分の義務をはたすためなのよ。少なくとも私はそんなふうに考えてる。私だったら愛や恋抜きでお嫁にいくわ。相手が誰だろうと、しっかりした人でありさえすれば、私なら喜んでお嫁にいくつもり。相手が年寄りだったって、私お嫁にいくと思う......。

イリーナ あたし、ずっとあこがれていたの、あたしたちがモスクワに帰って、そこで真実の人にめぐり会えるんだって。その人のことを夢見て、恋していたの......。でも全部はかない夢だった、絵空事だった……。

オリガ (イリーナを抱きしめる) そうねえ、分かるわ、その気持ち。あのトゥーゼンバフ男爵が軍隊を辞めて、スーツを着込んでうちに見えたとき、 その格好があまりに貧相なので、私泣き出したほどよ......。あの人、「なんで泣いてらっしゃるんです?」って訊くんだけど、私なんて答えればいいのよ。でも、神様のおぼしめしであなたがあの人に嫁ぐのなら、私はそれで仕合わせよ。 だって、あれはあれ、これはこれ、容姿と結婚はまったく別物なんだもの。

同書、252-256頁。


最後に、オリガの以下のセリフで締めくくられる。チェブトゥイキンのどうでもいいさ!というセリフはオリガの言っていることに対するチェーホフの考えだとあとがきに書いていた気がする(本が今手元にないので確認できないけど)。

オリガ (二人の妹を抱きしめて) 音楽があんなに愉しそうに、力強く鳴りひびいている。それを聞いていると、つくづく生きていたいと思う! ああ、神様! 時が経って私たちが永久にこの世をあとにすれば、私たちのことは忘れ去られてしまう。私たちの顔や声や、私たちが何人の姉妹だったかも忘れられてしまうんだわ。
でも、私たちが味わったこの苦しみは、私たちのあとから生まれてくる人たちの歓びに変わっていき、やがてこの地上に仕合わせと平安が訪れるの。そのときには人々は今生きている私たちのことを感謝をこめて思い出し、きっと祝福してくださるわ ねえマーシャ、ねえイリーナ、私たちの人生はまだ終わりじゃないの。
生きていきましょう!音楽はあんなに愉しそうに、あんなにうれしそうじゃない。もう少し経てば、私たちが生きてきた意味も、苦しんできた意味もきっと分かるはず......。 それが分かったら、それが分かったらねえ!

(次第に音楽が小さくなっていく。笑みを浮かべた上機嫌のクルイギンが帽子とケープを持って歩いていく。アンドレイはボービクを乗せた乳母車を押している。)

チェブトゥイキン (小さな声で口ずさむ) タラ……ラ……ブンビヤ…………わたしゃ、小径に腰かけてえ…………。 (新聞を読む) どうでもいいさ! どうでもいいさ!

オリガ それが分かったら、それが分かったらねえ!

同書、308頁。


今月の残業時間は49時間だった。けどもともとの給料がめちゃくちゃ低いから残業代も低い。残業代なしの額面で24万しかない。他の人ならこの残業時間ならもっと稼げてるんだろうなと思う。わたしは今正社員型派遣エンジニアとしてプラント系の会社に配属されている(今も何も、23歳で新卒で入社してからずっとそうだが…)。業務内容は社会に貢献してるようなものでとてもやりがいがあるし、エンジニアとして学べることも多いし、環境もいいけど、給与が安い。わたしは文系の学部卒で電気系の仕事就いてるから、知識もないし給与低いのも仕方ないとも思ってたけど、同じく文系で新卒でわたしが派遣されてる会社入った人はもちろんわたしより遥かに給料高いことに折り合いがつけられない、でもそれもわたしが就活失敗したから…いや、別に失敗したとはそのとき一切思ってなかった。社会不適合者で留年してたから就職できたことがありがたかった。だからそもそも、社会不適合なのが悪いと言える。
今もう前よりは実務経験も積んで、あとは資格取れればいいなって感じやけど、転職してやっていける自信もなかった。コミュケーションも苦手で、どこにいっても馴染めない。最初にここに配属されたときは人としても技術者としてもいい人がたくさんいて、目指したい人も3人くらいいたけど、みんな辞めてしまった……。今はもう前とは全く変わってしまった……。あまり詳しくは言えないけど……。でもしばらくはこのままやっていくしかない。昔に戻りたい。2018年くらいに…。あの頃は今みたいに色々知っているわけでもなかったけど、楽しかったし、希望があった。

『かもめ』でも終幕で、落ちぶれた女優になったニーナが作家として成功したトレープレフ(コースチャ)に以下のようなことを言っている。

お互いに、渦巻のなかへ巻きこまれてしまったのね。……あのころのわたしは、子供みたいにはしゃいで暮していたわ――あさ目がさめると、歌をうたいだす。あなたを恋してたり、名声を夢みたり。それが今じゃどう? あしたは朝早く、三等に乗ってエレーツへ行くのよ……お百姓さんたちと合乗りでね。そしてエレーツじゃ、教育のある商人連中が、ちやほや付きまとってくれるでしょうよ。むごいものだわ、生活って。

https://www.aozora.gr.jp/cards/001155/files/51860_41507.html

ニーナは名声と栄光にあこがれて女優を志したが、全てを失った後に「忍耐の必要性」という、自分の行くべき道を見出したのだった。

あの人も来ている……(トレープレフのそばへ戻りながら)ふん、そう。……かまやしない。……そうよ。あの人は芝居というものを信用しないで、いつもわたしの夢を嘲笑してばかりいた。それでわたしも、だんだん信念が失うせて、気落ちがしてしまったの。……そのうえ、恋の苦労だの、嫉妬だの、赤ちゃんのことでしょっちゅうびくびくしたりで……わたしはこせついた、つまらない女になってしまって、でたらめな演技をしていたの。両手のもて扱い方も知らず、舞台で立っていることもできず、声も思うようにならなかった。ひどい演技をやってるなと自分で感じるときの心もち、とてもあなたにはわからないわ。
(中略)
今じゃもうわたし、そんなふうじゃないの。……わたしはもう本物の女優なの。……わたしは楽しく、喜び勇んで役を演じて、舞台に出ると酔ったみたいになって、自分はすばらしいと感じるの。今、こうしてここにいるあいだ、わたしはしょっちゅう歩き回って、歩きながら考えるの。考えながら、わたしの精神力が日ましに伸びてゆくのを感じるの。……今じゃ、コースチャ、舞台に立つにしろ物を書くにしろ同じこと。わたしたちの仕事で大事なものは、名声とか光栄とか、わたしが空想していたものではなくって、じつは忍耐力だということが、わたしにはわかったの、得心が行ったの。おのれの十字架を負うすべを知り、ただ信ぜよ――だわ。わたしは信じているから、そう辛いこともないし、自分の使命を思うと、人生もこわくないわ。

トレープレフ (悲しそうに)君は自分の道を発見して、ちゃんと行く先を知っている。だが僕は相変らず、妄想と幻影の混沌のなかをふらついて、一体それが誰に、なんのために必要なのかわからずにいる。僕は信念がもてず、何が自分の使命かということも、知らずにいるのだ。

https://www.aozora.gr.jp/cards/001155/files/51860_41507.html

わたしもトレープレフのように何もわからずにいる。今年に入って1月から今までずっと気が塞いでいる。2022年、2023年でも晴れ晴れとした気持ちの日はそれなりにあったし、憂鬱になるのは月に何度かだったが、今は毎日憂鬱だ。こうなってしまうともう、あらゆることがどうしようもなく感じられてしまう。何の道も塞がっていると思う。

人生で一度も落っこちていない人っているけど、あれになりたいなと思う。成功している友達とか(そういう人のことを考えると、そういう人の生い立ちや幸せな生活の細部まで思い起こされてしまう)、『母親になって後悔してる』という本のレビューで、まわりの協力もあって育児に充実感覚えることのほうが多かったから内容に一切共感できなかったというようなことを書いていた人とか。それになれたらなあ。それか、昔に戻れたら。こんなにも普通の人々が低俗で偏狭で固定した価値観しか持たないなら、性格が合わない人とでも結婚すれば良かった。そんな形式的なもので生きやすくなるんなら。それで破滅しても自殺しても社会のせいだと言える。

ここ数年でも、わたしの発言に感銘を受けてくれて人間性をまるごと肯定してもらえることはあるけど、ボランティアで会って話した人とか、自助会の人とか、家族とか……でもそれでもつらいほうが勝ってしまう。わたし、何でも不平不満を見出しているわけではないと思う。うつ病になって寛解して以降も、気分いい日もあったから。気分いい日は、ふつうの人ってこんなクリアな気持ちで毎日過ごしてるんや!って思った。幸せだった。だからこそふつうの人はつらい人にその人の考え方の問題だと思ってしまうことがあるんやろうな。どうしようもないところまでいったことがないから。

今のわたしにあるのは、家族と、スーパー銭湯と、ひいきにしているカレー屋さんだけ。

この記事が参加している募集

スキしてみて

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?