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なぜ人に優しくするのか?

「人には優しくしなさい」
そんなことを言われて人は育ちます。でも、その理由は語られません。「良いことだから」と言われても、良いことをするほうが良いのでしょうが、世の中には悪いことをして成功している人がたくさんいます。良いことをすることが、本当に良いことなのかもわかりません。

むしろ、大人たちが自分の都合が良いように言っているのかもと疑います。
「早く寝ないと、鬼が来るよ」
と子どもに言って脅して、都合よく寝かしつけるような言葉かも知れません。言うだけでなくて、鬼から電話がかかってくるアプリを取り出します。

なぜ人に優しくするか?
それは誰のためなのか?

私は、そんなことをよく考えます。

そういうことを言うと必ず「人に優しくするのは、自分のためなんだよ」って胸を張って言う人がいます。

確かに他人に優しくするのは自分のためでもあり、人の幸福感は自分に大きな利益を得ることよりも、他人に何かをして感謝されたり、充実感があると強く生まれることが、複数の研究からもわかっています。セロトニンが増加したり、脳の報酬系が活性化し、コルチゾールが放出されることでストレス度が低下したりもします。

確かに他人に喜ばれると嬉しいです。またしたいとポジティブにもなれます。でも「自分の利益になるために他人に優しくする」と言う考え自体がすでに優しいとは私は感じませんし、結局は見返りを期待してしまう感情も生まれやすくなり、私はどうもしっくりこないのです。

こんな疑問持ちながらよく道を歩いていて、酒屋の角を曲がって3軒ほど歩いたときに私は閃きました。

そうだ今日のマクドナルドではポテトをサイズアップしようと。

そして、その世紀の閃きからわずか185日目の1万5648歩到達時、いや正確には足を下ろす前なので、1万5647.5歩目に、他人に優しくするのは確かに自分のためだけど、これを未来の子どもたちや社会のためって考えたらどうだろうと思いました。

今の時代は本当に欲や嫉妬が溢れて、なんでも比較します。本来は見本の大人たちになってほしいし、立派な存在であるべき政治家たちは、単なる欲にまみれた烏合の衆となり、子どもたちや次世代の若者たちの明るい未来が描けません。

もし、自分の一つの優しさが、誰かを気持ち良いと感じさせ。それが小さく広がっていったら、思いやりのある社会にならないかなと思うのです。そう言う思いの中では見返りなどは求めませんし、そんな社会は自分の夢でもあります。結果的に今の自分の幸福度も上がる。

ひとつ優しさが誰かの心を動かして、
次の優しさにつながっていく。
嫉妬心やいじめはきっとなくならないだろうけど、それはおかしいと考える人が一人でも増えるかも知れない。
そんな未来は今の子こどもたちが
希望を持てる社会に少し近づくかも知れない。

まあ、そんな簡単な話ではないし、今までもそんなに優しさの伝染はしないのかも知れないけれど、大きな運動のようになったら一気に広がる可能性を信じます。

なぜ人に優しくするか?
それは誰のためなのか?

困っている人を助けるのは社会性動物である人にとっては
当たり前のことであり、自然の行為だと思います。
どでも、もしそこに理由を求めるならば
それは未来のためであり、
自分を含めた次世代の子どもや若者たちのため。

そう考えたら、私は少しスッキリしました。

これで安心して今日は飲み物もサイズアップして罪を重ねても、きっと救われると思いました。

みなさんの未来もさらに明るくサイズアップしますように。

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