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亡くなった父と話をした体験

たまには少し不思議な話をしようと思います。私の父は私が高校二年生の時に、脳血栓で倒れて病院と仕事復帰を繰り返すそんな晩年を過ごしていました。父のことを思い出すと、私はいつも中学生の時に、漫画を描いていて、絨毯にインクをばらまいてしまったことを思い出します。先に帰って来た父に謝ると、ものすごく怒られるかと思いきや、母が帰ってくるまでに落とそうと洗剤を持って私の部屋に行くのです。そしてひたすら絨毯を泡だらけにして、懸命にゴシゴシと落とそうとしてくれました。私はそんな父の後ろ姿をよく思い出します。父は私が新卒で洋服のデザイナーになりたいと言った時も、猛反対する母を説得してくれました。理系の大学を出ているので母は納得いかないようでした。しかし父は「自分は好きなことができなかったから、お前は好きなことをやれ」そう言ってくれたのです。私がこうした仕事をできているのは父のおかげです。

父は倒れた後に、懸命のリハビリを続け、杖をつきながら仕事に復帰しました。父は仕事一筋の人で、努力家でずっと真面目に仕事に打ち込んでいた人です。そこそこ名前が通った企業で働き続け、社長の信頼も厚く重役の話があった矢先に、倒れてしまったと言う話を後で母から聞きました。何しろ真面目な父でした。

私が社会人になり、父はしばらく入退院を繰り返していました。頑張ってきたのですが、残念ながら入院中に肺炎になってしまい、そのまま帰らぬ人になりました。

父が亡くなってからしばらくした母の誕生日、私は日曜日、買い物に行った帰りに近所のパチンコ屋に寄りました。パチンコを打っていて、しばらくすると、亡くなったはずの父の声が私の頭に聞こえてくるのです。

「おい、今日、母ちゃんの誕生日だろう」

私は驚きながらも「あぁ」と答えました。幻聴なのかどうかよくわかりません。はっきりと聞こえた訳ではありませんが、気のせいというには、もう少し確かな声だったと思います。

「薔薇の花を買ってくれないか」

え薔薇?そうか父は母の誕生日に毎年、薔薇の花を1本ずつ増やして、花束を贈っていたのを思い出しました。

「いやいや、そんなお金ないし」

1本400円ぐらいだとしても母の年齢ほどの本数になればかなりの金額になります。

「じゃあ、今から、その台を当ててやるから、それで薔薇を買ってくれ」

「お、おおっ、わかった」と答えた瞬間、リーチがかかり、台は本当に大当たりをしました。どうしていいいか、私は良くわかりませんでしたが、その当たりは3回ぐらい続き、私はそのまま景品に交換をしました。そして、そのまま花屋に行き、ちょうど勝ち分と同等の薔薇の花を買って家に帰り、母に「信じられないかもしれないけど」と、そのまま薔薇を渡しました。私は一切、何も負担していないことを伝えると、母は驚くこともなく、そのまま喜んで薔薇を洋間に飾りました。

こんなことは単なる偶然かもしれませんが、父が言いそうなことというか、やりそうなことだと思いました。父は肺炎になる前、実は母も別の病院に入院してしまったことがあります。父は薬の影響もあってか少しボケたような症状が出ていたのですが、病院から抜け出して、タクシーに乗り家に戻ってきて、「母ちゃんの主治医にお願いをしに行かなくちゃ」って言うのです。自分のことよりも妻のことが気になって仕方ないのです。また、亡くなる少し前には、紙に鉛筆で魚の絵を描いて、「この鮭を○○さんに渡してくれ」って言いました。ボケても誰かに何かをしたいって言う気持ちが強いのだなと思うと泣けてきました。そんな父ですから、死んだ後も妻の誕生日を気にしていたんでしょう。

それからこうした不思議なことが少しあり、そのうち父の声が聞こえなくなっていきました。

今、私はポーポーとして好きな仕事をしているのは間違いなく父のおかげなんです。だから、父から受けた恩や思いは、私で完結するのではなく、やりたいと思っていることをたくさんの人ができるように、恩を送っていかないといけないと思って、こうして毎日、仕事をしているのです。私は父ができなかった父の思いと一緒に仕事をしています。


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