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ポロダクション、心理始めるってよ

何かまだまだ伝えきれていないことがたくさんある気がしており、ポーポーが人生の中で、どのようにして心理学・色彩心理学・行動経済学と出会い、どう活用して、人間関係やビジネスに活かしてきたかを語るものを作りたいと思います。日々に活かすヒントになったり、小さな失笑になったら幸いです。推定全国3.5人のポーポーファンのみなさんにお送りする、待望のコンテンツです。色彩研究会マガジン、「魅惑の心理」マガジン購読者の方に加えて、より多くの人に読んでいただきたいと思います。

紀元前214年、中国の砂漠に龍のような姿の万里の長城が現してから約2000 年後の日本、ある女性が元旦にお餅を食べていたところ急に産気づき、原宿の病院でお餅のような子が生まれました。原宿といっても竹下通りがある人気スポットではなく、横浜の渋滞のメッカとうたわれる原宿という場所です。人生の渋滞を背負ったポーポーは、その運命を決定づけられて元旦に生まれました。なんともめでたいと思われがちですが、親の戦略により誕生日プレゼントとクリスマスプレゼントとお年玉まで適当にまとめられる丸め方式になることを本人はまだ知りません。その1ヶ月後に長崎県長崎市で福山雅治さんが生まれます。個人的には、生き写しの双子のようだと思っていますが、今まで誰一人として、目と鼻の数以外、共感されたことはありません。

ポーポーは早産で亡くなってしまった兄の出産予定日に生まれ、両親を驚かせたようです。小さい頃から兄がいたことを知らされていたので、なんとなく身近に兄を感じていました。その後、ポーポーは近所という理由でキリスト教会系の幼稚園に入園、神の祝福を受けながら庭のウサギと共に育ち、そして、小学校に入学します。入学式はなぜか校庭で行われたのでした。そして、その日はなぜか風が強かったのです。

そこで担任の先生が新卒の女性であることを知らされます。式典は校長先生の話が長くて退屈で、「今、突風が吹いたら、終わらないかな」と邪念が走ります。その瞬間、校庭に突風が吹き、危険だからと式が早まります。新卒の先生のスカートまでが天に舞うのを見て、自分が超能力者であることを自覚し、この能力を世界平和のために使おうと心に決めます。先生ごめんなさい、あのときのスカートをめくったのは、きっと私です。

幼稚園から小学校1年生のころ、私は謎の天才としての片鱗を見せていました。親の話によるとスーパーで買い物をしてレジで高額紙幣を出す母に「7,653円だからそんなにお金を出さなくていいよ」と言って、本当にその通りの金額になり、レジの人を驚かせるような子どもだったそうです。大人びた発言も目立っていたそうです。

しかし、悲劇は割と早くきました。当時の公園や学校には危険な遊具がたくさんありました。小学校にも大きな丸太を揺らして前後に揺れる遊具があり、先頭に乗った私は、丸太を揺らしながらすぽっと前に落ち、次の瞬間、巨大な丸太が戻ってきて後頭部を直撃しました。気絶をしたかどうかは覚えていませんが、血だらけで倒れるという惨事に見舞われました。

後に慣性の法則は小学校1年で教えるべきだと思いました。そしてそれ以来、私の賢さはどこかに消えてしまったのです。バカボンのパパは馬に蹴られて知を失いましたが、ポーポーはひとり御柱祭で丸太が頭に直撃して、普通の男の子になりました。昭和のアイドル「キャンディーズ」が「普通の女の子に戻りたい」と言ったそれよりもずっと前に、トレンドを掴んでいた私は既に普通の子に先に戻ってていました。いや、むしろ、通りすぎて遅れた電車のような子になり、今では見かけない鼻水を垂らして、朝から晩まで虫を追い求めて野原を走り回るようになったのです。

賢さがお亡くなりになったポーポーは、考える力が減少したので、その後「観察力」を身につけるようになります。人をずっと観察して、その行動や行動原理に興味を持つようになります。いつも人を見て、なんであんな行動をするのかを考えるようになりました。普通の人は授業中に誰かの席で大きな音がしたとすると、音のしたほうを見ます。私は大きな音を聞いた瞬間に教科書が落ちたなど、何が起きているかは分かりますから、音がしたほうと逆のほうを見て、誰が音に過敏に反応するのか、それともしないのか、そっちのほうに興味がありました。ちょっと変わった子どもだったと思います。

また、幼稚園、小学校の頃、母はクラシック音楽や美術にかぶれており、よくクラシックのコンサートや美術鑑賞に連れていかれました。小学生の写生会でも口を出してきて、山を緑で一色に塗ると「よく見てごらんなさい。山には影がある。一色ではない」と言われて、小学生の頃から複雑な光の変化を取り入れて山を描いたりしていました。先生は「なんだこれは」とビビっていましたが、単に母親に言われてことを描いていただけです。

そのうち口うるさく作品に口出しする母親が鬱陶しくなり、まるで反発するように、シュールレアスリムなど自分の独特な世界の創作に興味を持つようになります。色に興味を持ったのはこの頃かもしれません。そして小学校高学年になると、新聞社の美術コンクールにも絵を出すようになりました。親に口出しされないように隠れて絵を描いていたと思います。小学5年、6年で連続して佳作のような賞をもらった記憶があります。絵を描くことは好きだったと思います。絵が好きになったきっかけは、母の影響かもしれません。同時に人から指図されることが苦手になったのも母親の影響だと思います。悪い人ではないのですが、お節介なのです。そして私はその母のお節介がとても苦手でした。

また、この頃「自律神経失調症」という病を患うようになりました。「ここでお腹が痛くなったらヤバイ」と考えると本当にお腹が痛くなってしまう子どもでした。自己暗示にかかりやすいタイプなのかもしれません。本当にこれで苦労した記憶があります。色彩心理や心理を手にする要素は小さい頃からあったのかもしれません。

中学生の頃になるとその観察力で、人が隠しているものが見えてくるようになりました。たとえば学校の音楽教師と体育教師がすれ違うときに見せた一瞬の目の動きで「あの二人は付き合っている」と感じたこともあります。同級生は最初誰も信じてくれませんでしたが、二人は数ヶ月後に本当に結婚しました。教師の性格傾向を知って、どうすれば怒られないかなどを見極めて、そのギリギリのところを悪戯して見るなどの実験をして人の性格を学んでいったのだと思います。ポーポーの実験好き、実際に調べたくなるのはこの辺りからかもしれません。

シュールな絵を描くことも増え、美術の先生に悪い意味で、「こんな生徒は見たことがない」と言われます。ルールは従いたいけれども、人と同じことはしたくないとずっと思っていました。みんなが同じ絵を同じように描くことのつまらなさをずっと心に抱いてきました。

高校の頃になるとちょっと不思議なやつと言われるようになって、面白がって仲間がたくさん増えました。当時は高校も荒れていて、ツッパリ的な人やヤンキー的(スケバン的?)な女子が必ず高校にはいました。私は学校一の誰とも口を聞かずにみなが恐れていた女子とすぐに仲良くなれました。基本的には内向的な性格だとは思いますが、友達は多かった記憶があります。当時のアウトローな女子は美人なので、「どうしたらそんな人と仲良くなれるのか教えてくれ」と友人たちに聞かれたものです。

別に何もテクニックはありません。みんな表面的なところで「怖い」と思っているだけで、私は「話すと気さくに話してくれる」ということを事前に知っていただけです。その頃から人の内面、特に他者から誤解されているけれども、良いところを見極めるのも得意でしたし、私はそうしたイメージや偏見で自分の判断を歪めないように気をつけていました。

この習慣は今でも大事だと思っています。人は特徴的なものから全体の印象を作り上げます。ハロー効果という心理効果です。たからこそ人の本質を見抜くようにするようにしていました。たとえば言葉が丁寧だからといって性格まで丁寧かはわからないのです。誤解されやすい人の良いところを引き出したいという気持ちはこの頃からずっと変わらず持っています。

また親の影響も大きかったと思います。うちの母は優しくてお節介、感情的にものを判断する人でした。人間的には誠実で立派な人なのですが、表面的に捉えるその思考経路が嫌だったので、自分はもっと論理的にものを考えようとしていたのかもしれません。そして、この論理的な思考を身につけたことで、自分の世界は驚くほど広がり、そして有利にものが進められることを知りました。人を説得するのには、この論理的な思考は絶対になくてはならないものです。

現在、あらゆる言葉を使って相手の思考を止めることを「論破」と言われる傾向がありますが、本来の論破とは大きく異なります。AだからBになり、だからCになるという思考の手順が成立していないといけません。このロジックが大事なのは、聞いた人がまた別の人に説明ができるようになるからです。論理的な思考の重要な部分は再現性でしょう。

主に私はこの論理的な思考を大学時代に学びました。理系の大学に進み、毎週何十ページのレポートを書かされました。正直、文系よりも文字や文章に触れたと思います。レポートはこのロジックが成立していないと、担当の先生に返されて再レポートになるのです。先生は東大出身で頭が良すぎて、先生を説得するのが本当に骨が折れました。でも、鍛えていただいて今ではとても感謝しています。大学卒業後も交流をさせていただいています。

「絵が好き」「人の行動に興味がある」「論理的な思考を持つ」これらのポーポーの基礎的なものは、この頃までに作られていたと思います。

私はなんとなく理系の大学に行きましたが、興味があることが多すぎて、実は自分が何をやりいかよくわからなかったので、大学4年間でそれを探そうと思いました。アルバイトをしながら、たくさんの本を読んで、じっくり考えて到達したのは「自分は人の心を動かしたい」と思ったのです。小学生がいじめで絶望したときに、自分の作品か何かを見て「よし明日も頑張ろう」と思ってもらったり、会社で疲れたOLさんが自分の作品を見て、笑って悩んでいることがバカらしくなって、また会社に行こうと思える。そんなものを作れる人になりたいと思いました。それは「絵」でも「イラスト」でも「文章」でも「音楽」でもなんでもいいと思いました。でも、人の心を動かすには道具、表現力が必要だと感じたのです。最初に磨きたいと考えたのが「絵」です。

そこで私は理系の大学に通いながら、もっと絵の勉強をしたいと商業デザインの通信教育を3年間受けました。課題が出されてそれを添削してもらう繰り返しです。通信教育ですが、細かいところまで見てもらい、とても勉強になりました。やたらとお金がかかりましたので、入学するまで悩みに悩みまくりましたが、自己啓発への投資は本当に価値があると今では思います。そして、就職も理系ではなく、デザイン系の就職を希望しました。猛反対する母親に、父は「自分は好きなことができなかったから、お前は好きなことをやれ」といって味方になってくれて、母を説得してくれました。保守的な母は公務員のような仕事をずっと勧めていました。組織に向いていない私が、公務員など誠実な仕事ができるわけはありません。

既にこのときに私はポーポー・ポロダクションの原型をイメージしていて、将来、独立して仕事をするためにも10年間は会社員をやって、勉強をしようと考えたのです。そして自分が一番苦手なものから克服しようと考えて、服飾デザイナーの試験を受けたらなぜか奇跡的に受かったのです。デザインの世界と一生関わっていくなら、自分に苦手なジャンルがあってはいけないと思いました。私は人物画を描くのが苦手で、洋服のデザインなども全く知らない。だから、ここから3年間でそれを勉強しようと思いました。そして、洋服を扱う会社のデザイン室に配属されたのですが、私以外のデザイナー十数名は全て女性でした。突然やってきた素人の新人男性を優しく受け入れてくれるわけもなく、厳しい環境で仕事をしながら勉強の日々でした。今でも最初に挨拶したときのメンバーの冷たい視線は、瞼に付いて思い出せるぐらいです。目に入っているけれども、入っていないことにするような冷たいものでした。

ここでも人間観察が役立ちます。ややこしい仕事を受けることをデザイナーたちは嫌がることを知ります。それはたぶん専門外の仕事をして自分の評価が下がることを嫌うのでしょう。行動、思考、話し方、自分の評価を否定されたくない感情を私は見逃しません。不思議な仕事がやってくると、「私にやらしてほしい」とデザイン室長にお願いをして仕事をもらい、寝ないで仕事をすることもよくありました。いきなり洋服のデザインなんてできないので、キャラクターを作ったり、グラフィックデザインを手伝ったり、グッズのデザインをやらせてもらったりしていきます。もちろん通用しないことが多くお客様に否定されたり、デザイナーたちに笑われたのしながらも、悔しい思いをたくさんしながら、挑戦をやめませんでした。だって私は勉強をしている身です。ただ勉強しているだけではなく、会社にも最低、自分の給料の3倍は稼がないといけないと思っていました。

そして私はさらにデザイナーたちを観察しました。すると、デザイナーなのに、みなが色に自信がないことを感じました。私は昔から色に対して苦手意識がなかったので、もっと詳しくなろうと、本として出ていた色彩学、色彩心理の本を全て読みました。当時は今ほど色彩関係の本もなかったのもあります。全部の本を読んだとき、私には小さな自信が生まれてきました。同時に本に書いてあることの間違いに気づくようになり、自分で色彩理論を固めていくようになります。今のポーポーの色彩理論はこの辺りから始まっています。

デザイナーたちは感覚的に色を使おうとしています。なぜこの色を選ぶのか、そこに基礎的な理由はいくつか存在しても、あまり深い意味を持たないことが多いのです。理論が薄い。そこで私は色を論理的に使うことを覚えました。なぜこの色を選んだのか、着る場所の色、機能面、色の効果、色についてその多くを論理的に説明ができるようになり、現場で問題的を解決しながら知識の修正をしました。そして、その理論の上に感性をのせて自由に表現するのです。理論は車の前輪、感性は後輪です。四駆にならば険しい道を乗り越えられます。

そのうち難攻不落と言われたプレゼンをいくつも通すようになり、実績を重ねて1年後には同期で一番評価される人に贈られる社長賞を取りました。気づくとデザイナーは色について私に聞いてくれるようになり、いつしか認めてもらえるようになったのです。ここで私は武器を持つことの大事さを知りました。そして、企画書をたくさん書いて、お客様のところでプレゼンをさせてもらう経験を積みました。言葉の重要性もこの辺りから強く持つようになります。

経験が薄い新人がプレゼンをいくつも通したのは色の知識以外にも秘密があります。私はプレゼンで心理学を活用していたのです。ここの仕組みは複雑なのですが、分かりやすく簡潔に言いますと、良いデザインを作るのは当たり前で、加えて

・担当者の思っていること、イメージをできるだけ視覚化すること
・担当者の評価がその会社で評価が上がる仕組みを組み入れる
・企画書は担当者がさらに上司(決定権者)の説明ができるマニュアルにする。提案物以外考えられないようなロジックの動線を作る
・通したい案に誘導するための心理ギミックを入れる 
・導入しやすくなる物語性を大事にする

を意識して作りました。また、後から営業に言われて気づいたのですが、どうしてもこれを通したいという情熱、話し方が多くの担当者や決定権者の心を動かしていたそうです。小手先の心理術よりも「情熱」は人を動かすと知りました。

物語性をうまく出した象徴的な仕事が一つあり、紹介したいと思います。横浜の山下公園には、氷川丸という客船が係留されており見学ができます。昔はそこのデッキにはビアホールがあり、その制服のプレゼンに参加したことがあります。私はオリエンテーリングで担当者が話題性のあるものを求めていることを感じ、海賊のような衣装のイメージを聞き出したので、「横浜に現れた現代風の海賊」をデザインしました。制服ではタブーと言われていた紫とオレンジのシャツとバンダナをうまく使って他にはない衣装にしました。そしてアルバイトが紫とオレンジの海賊衣装、社員が真っ白の船員の服を着てもらうことで、仕事をしているだけで海賊と船員が交差する物語を作り出しました。このプレゼンも大手の会社がみんな強くて、会社の誰もが「通るわけない」と言われていましたが、なんとか通すことに成功しました。担当営業が私と同期の新人だったので、なんとか彼の評価も上げたいという必死な思いもありました。土日にデザイン室で同期と作戦会議をしたのは今でもよく覚えています。

デザイナー時代にポーポーの色彩論を使ったエピソードを一つ紹介します。横須賀芸術劇場の制服を提案するため、実際に現地を見に行きました。営業課長、営業担当、室長、サブチーフデザイナー、私の5人で行きました。人数も多かったので大きな仕事だったのでしょう。会社に戻って、劇場の絨毯の色を思い出そうとしましたが、全員思い出した色はバラバラで自信がありません。私も頭の中は横須賀海軍カレーのことで頭がいっぱいでしたが、私は普通に色を再現してみせ、メンバーを「そうこの色」と記憶を蘇らせました。これ、特殊な方法でもなんでもありません。私は色相と明度と彩度を分解して覚えていたのです。色を記憶するコツがここにあります。色はまるで「点」に見えますが、点で再現すると曖昧になります。完全に再現するのには座標のように色相と明度と彩度の3つを掛け合わせるとほぼ完全に再現できます。色相はR5、明度は4、彩度は12という具合に覚えていたのです。全く難易度は高くありません。

気づくと「色彩」と「企画書」は私に相談しろという流れになっていて、色の確認で海外の工場にも行くようになります。

最初から3年間で辞める予定でしたので、私は予定通り3年後に退職して次の勉強先に向かいました。嬉しい話ですが、私が辞めるときには社長が取締役会議でなんとか引き止められないとかと他の幹部に指令を出していたことを後から仲の良い常務から聞きました。会社の幹部と仲良くなっておくのも会社員としては大事な戦略の一つです。私はお世辞は言いません。ただ、素直に自分の思ってことを言うだけです。そのうち向こうから意見を聞きたいと足を運んでくれるようになります。高校時代、ヤンキーの皆さんと仲良くなることと全く同じです。

次の会社では制服のデザインだけでなく、飲食店の総合演出の仕事をするようになり、ここでも色彩と心理学を使ってやりたいことを通していくのです。この新店の立ち上げは本当に大変でしたが、心理的にも大変勉強になりました。次回があればそのあたりとポーポー・ポロダクション開業までをまとめたいと思います。

ポーポー初めての店舗プロデュース、そして混乱の中で父が亡くなり、私は父の思いと兄のことを思い、二人の人生を背負って生きていくことを決めて、一緒に進んでいくのです。

続く

※面白かった、ためになったと思っていただけたら「いいね」や「おすすめ」をいただけると幸いです。反応をいただけると続編を書きたいと思います。心理や色彩心理をどう活用してきたかは、小さくためになるのではないかと思います。

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