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「魅惑の心理」マガジンvol.229(ポーポー家の家訓)

うちの家には「家訓」的な言葉がいくつかありまして、子どもの頃からそれを聞かされて育ちました。家訓とは親や年長者が子どもたちに与えた訓戒や、一家の処世、生活規範などを示した教えのことです。「家訓」として言われたことはありませんが、今考えると「家訓」のようなものだなと感じるに至ります。母がお婆さんから受け継いだ言葉もあるようですが、主に母が制定したと思われるものが多いようです。

この家訓たちは子ども頃に何度も聞かされて自分の判断基準になっているものもあれば、単に一度聞いて忘れていたものもあります。

家訓といえば毛利元就が、3人の息子たちに一致協力して毛利宗家を末永く盛り立てていくように伝えた三本の矢の話などが有名です。1本の矢では簡単に折れますが、3本纏めると容易に折れないので、3人共々がよく結束して毛利家を守って欲しいという話です。

我が家の家訓は、このような立派なものどころか、裏山でのび太くんが埋めた0点の解答容姿の横にそっと埋めたくなるものがほとんどですが、私を心理学の世界に導いた心理のヒント、心理学に通じるものがあるかもと思い、これはまとめて皆さんにお伝えしてもいいのかなと思いました。言葉として繰り返し言われたものもあれば、短い言葉にしていない教えも多くありました。既存の座右の銘のようなとごかで聞いた言葉もありますし、どう考えてもこれはうちにしかない教えだろうというものもあります。たくさんあるのですが、その一部を抜粋して、紹介いたします。ではよろしくお願いいたします。

ちなみにタイトルから漫画『ポーの一族』を連想した人もいるかもしれませんが、少年の姿のまま永遠の時を生きる運命を背負わされた吸血鬼の物語ではなく、見た目はおじさん、心はもっとおじさんという運命を背負った凡庸な人間の一家にある変な家訓の話であります。

では行きたいと思います。

・持っている飴は、独り占めしてはいけない

独りっ子である自分は何しろ自由でした。お菓子をシェアする相手もいません。ゲームを交代でやる人もいません。いつも好きなものを自由にしているところを見て、きっと親が言った言葉だと思います。普段は自分で好きなようにしても、大勢の前に行ったなら、みんなで分けて食べるようにと繰り返し言われていていました。

そして実際にその言葉が役立つときがきます。叔父と叔父の家族に連れられて、1泊の登山に行くことがありました。叔父の一家は子どもが3人いて、私と年齢が近いこともあり、子どもの頃はよくキャンプなどについて行ったのです。

そのときに母は私に飴の缶を持たせてくれて、「もし何かあったら、みんなでわけて食べなさい」と言われたのです。その日、山でテントを張って一泊で帰る予定が、叔父の記憶間違いで山深く入ってしまい、翌日も日が暮れてしまい下山ができなくなりました。叔父は「ここに違いない」と営林場(伐採した木を積んで管理してある事務所)の横を通り抜け、あり得ないけもの道を進むのですが、子どもの私が見ても「えー絶対違うでしょう」と思われる道を進むのです。人の思い込みというのは怖いものです。山の頂上まで来て「間違えた」と言い出します。遭難です。「ほら、遭難した」と思いました。なんで何人もの人が通っている道(という設定)なのに、草がボーボーやねん。

翌日分の食糧もなく、みなが空腹で困っているところ、母にもらった飴があることを思いだし、配ってしのいだことがあります。よほど救われた思いがしたのか、叔父の家族は「飴を貰った」ということをもその後もずっと覚えていて「あのときは飴に救われた」と言っていました。

このように飴をみんなで分けましたが、私はこの言葉はこうした飴という食べ物の話だけでなく、誰かが困っていたら、「労働力をわけなさい」という意味でもあると思いますし、お金を得たら「お金をわけなさい」ということでもあると思います。精神的に余裕があるならば、余裕ない人に声をかけるなどにもつながります。家族、友人、職場で物質的なものを独り占めしてはいけないし、精神的なものは皆で共有しなさいということだと思うのです。

たとえば日産元社長で逮捕されたゴーン氏は、ひとりで超高額な報酬や高待遇を独り占めしていたと見えます。もちろん実績や才能なんだと思いますが、突失した待遇は思わぬ歪みを作ります。逮捕のきっかけも他の役員にリークでした。独り占めしないで役員、そもそも全社員で分配する気持ちがあれば、逮捕されるような事件も起こさなかったと思いますし、リークされることもなかったのではと思っています。

「独り占めするから人は揉める」そんなことも親はよく言っていました。

・できるウエイトレスは手ぶらで帰らない

この言葉もよく言われましたね。もし自分がウエイトレスやウエイターだったとして、料理を運んだら、そのまま帰ってくるのではなく、周囲を見渡し、お皿を下げる、お水を注ぐなど、仕事を探してくるという意味です。確か母は独身時代に短い期間ですが、外国人向けのレストランでウエイトレスの仕事をしていて、そのときの経験からこの言葉を言っていたのだと思います。

母の話なので、基本は自慢話なのです。母の話の3つにふたつは自慢話です。でも、その言葉は私は小学生のときに聞きて、なぜかずっと心に残っていました。それは母が「私はできたのだから」と他のウエイトレスを見る目が単に吸血鬼のようだったからではありません。

私は今でも仕事中は常にこれを意識しています。誰かに依頼された仕事は依頼された仕事のみをするのではなく、周囲で自分ができる仕事を探すようにしています。これが「手ぶらで帰らない」です。

これを続けていると、面白いことが起きます。

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