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移り気な人

最近はフィルムカメラの現像を自分でやり始めてしまってすっかり楽しくなってしまっている私です。

気が多い。って昔からばあちゃんに言われてたな。なんて思いながら
なんか興味持ってどっぷりはまってはすぐに飽きてほったらかしちゃう、そんな子供時代でした。
結局、ずっと続いてるのは音楽だけ。
肌にあってるっていうのが適当な表現なのかな。

そんな音楽を仕事にして毎日楽しくやらせてもらってるわけですけど
やっぱ仕事になっていくとそれはそれでまた別の葛藤とかも出てきたりして。
やっぱり俺は苦悩や葛藤を超えたパワーみたいなものに感動する方の人間だし、うまくやれてる自分みたいなことを自覚した時にものすごく気持ち悪りぃな。と思ったりしてしまう。
なんか、やっぱ一生懸命やんなきゃダメなんだよなんでも。
そう思う日々です。

デジタル一眼レフってやつを今年の梅雨頃に買って、しばらくパシャパシャと撮って遊んでいたのだけれどなんか簡単だなぁ。と思ってしまって。
というのも自分が無知だからなんだな。ということを知っているが故なんだけれども。
こんなに簡単に綺麗な写真が撮れるのはすごいけれど、なんだかそれって面白くないなぁ。と思ったわけだ。
ライトルームとか使えば感覚で何も知らなくてもなんとなく好きっぽい写真に近づけることはできるし構図とか難しいことはよく分かんねかったけど、好きなように何回も何回も撮ってるうちに「好きだな。」と「嫌いだな。」がわかるようになってきた。
そういう風に毎日過ごしていると、やっぱ人が撮るものにも興味が湧いてくるわけ。
で、色々見ながら思ったのは
俺って何を撮ってるんだっけ。で、この撮ったものは、なんなんだろう?
って思い始めた。
光を撮ってる。のはなんとなくわかる。
けど、同じ人間を撮るにしてもこうも違うのはなんでなんだろう。
冷やっこい感じのする写真とあったかい感じのする写真と
写真と、フォトと。
違うんだな。ってなんとなく思い始めた。
あ、じゃあフィルムで撮ってみようかな。
音楽もそうだけど、デジタルの機材とアナログの機材ってのがあって、アナログの機材ってのはその名の通り、うまく扱うのにものすごく人間力が必要で、「自然の摂理に人間が対応する。」という側面が強い。
一方のところデジタルは「人間に自然を従わせる。」ようなちょっとした強引さを許されたりする。
融通が効くということはつまり人間が楽できるってことで、やっぱ結局デジタルだろうがアナログだろうがいいものを作ってる人はそこに甘えないで自然の摂理をよく理解した上で道具を使っていくことができる人なんじゃないかな。と思うのだ。

だから、ものすごく不便で難しいフィルムカメラの世界に足を踏み入れてみることにした。
ところがどっこい。
思いの外綺麗に撮れるのである。
フィルムの質感はすごいなぁやっぱりアナログっていいなー。
とか思いながらしばらく満足して撮っていたのだけれどある日出した現像が同じフィルムでほとんど同じ条件同じ場所に出したのに色味が全然違うことに気づいた。
今思えばそれは当然で、フィルムってのは現像の処理とそれを取り込んでデータにするなり写真に焼くなりの処理の大まかにいうと2つの工程があって、そのデータにする段階でかなりの補正をラボの人がしてくれているのである。
そこに気づいてしまった。
「え、、、今まで俺が撮ってた写真って半分しか自分の撮った写真じゃないやん、、、」
と気づいてしまった。
普通ならここで、まぁいっか。仕方ない。と思うのだろうけど
俺が気がお違いになっているところは
「じゃあ、自分でやってみよう!」とそのまま突っ走ってしまうところである。良いところであり、人生をうまく生きれないのはそういうところに難があるということも自覚済みである。
もうその日のうちにはほとんどの機材をネットでポチっていた。

で、数日たって必要なものが揃って現像をしてみたところ
やはり自分が思った通りで、現像にも技術が必要、それをデータ化するにも技術が必要というものすごい世界がそこには広がっていた。
くぅ、楽しすぎるぜ、、、
で、今はモノクロの現像液まで揃えて、長巻のフィルムを自分で巻いて作るところまできている。(コスト面で雲泥の差。)

で、やはり学びは凄まじく
甘えと油断を減らすことでクオリティに変化がでる。
各工程を雑にこなすと結局あとでやることが増えるので二度手間。
ってことである。
それってマジで音楽も一緒。
演奏をちゃんとやりましょうね。
演奏をちゃんとするためには、演奏の前の演奏(練習ね)を丁寧にしておきましょうね。
とかって全く音楽と一緒。
なるほどなぁ。と。
何事も繋がってる。
心の状態がそのまま作品に出てくることとか、フィールする力の必要性とか
今自分に足りてないことを違う角度からもう一度思い出させてくれた。
フィルム写真様様なのである。

ものを作るということはとても楽しい。
とても地道で手間がかかって面倒で、そしてその工程をなるべく熱を込めて一つ一つやっていくことで間違いなく作品は答えてくれる。
誤解を恐れずにいうと、アナログ写真も音楽である。
人間力とは反復によって生まれるオリジナリティとその精度のことだと思う。
音楽に対する向き合い方が最近は精神的な部分に偏りすぎていた気もする。
表現とは有り余る精神の受け皿としての技術が必ず必要なのである。
それがないと溢れ出た精神は地面に吸い込まれて行ってしまう。
それでは生産ではなく消費になってしまうのだ。

そういうことを最近は思って生きているよ。

今から稲川淳二の怪談ライブみてきます。

行ってきます。