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リアクションザブッタとのツーマン

photo by 白石達也


リアクションザブッタとのツーマンが終わりました。
彼らは今、3ヶ月連続ツーマンをやってて3ヶ月目の東京に我々を選んでくれたわけなんですね。
一言で言うと、とても素晴らしい一日でした。

我々がライブのオファーを受けてから、彼ら東京でのブライアンのライブに楽しみにしてるんでよろしくお願いしますってわざわざメンバーみんなで顔を出してくれたんです。(うまいカステラまで持ってきてくれた、、、最高にうまかった、、、)
で、その時に神曲を歌いたいのと、アンコールでブッタの曲をみんなで演奏したいと言ってくれたのでもちろんブライアンみんな即答でやろう!ということが決まりました。
その段階でもうすでになんて気持ちいい人たちなんだろうなと思ってたんだけども、今日数年振りにブッタをリハで見た時に
「ああ、色々越えてきたんだなぁ。」
と言うことが一聴してわかりました。
最近本当に思う、音は心とイコールだって。
ブッタの今日のライブはすごく綺麗な音が鳴っていたなぁと思う。それはただ、整っているという意味での綺麗な、ではなくて色んなことを経てもなお天に向かって伸びる樹木のような歪な美しさというか生命力を帯びた音が鳴っていた。
楽曲もテーマは普遍的ながらも、なおちゃんの声にかかるとそのどれもが非凡な気配を纏うし、キダケンのギターはちゃんと聞こえるのにうるさくない。ていうか単純にめっちゃうめぇし。こうじろドラムの音よすぎな。キックの音どんだけかっこええん。
とか思いながらライブ見てました。
ええバンド。ほんま。みんな真面目。ほんまに音楽好きなんめっちゃわかる。

で、アンコールで一曲歌わせてもらったけど、なんせ歌がむっずい!笑
あのベース弾きながらこれ歌ってるのはすごすぎやろ。って思いましたとさ。

彼らともっのすごい付き合い深いわけではないけど、音を聴くと越えてきた色々がわかる。
何回も、これ以上ってどうやったら見えてくるんやろ?っておもたんやろか。まぁ俺は思ういつも自分には。
何回自分に愛想つかしそうになったか。その度に誰かが良いって言うてくれるからということを予防線に自分の曲を聴いてみて助けられたりしてきたわけ。
俺自身は、今日歌いながらフロア見てて、みんながものっすごい楽しそうでただただ嬉しかったな。
表現したいこととか曲の持ってるパワーの種類とかそう言うのは数秒単位で移り変わって行くし、一瞬たりとも同じ音が鳴ってる時間はないし、まぁ同じ気持ちで歌って行くこともそりゃ人間やからずっとはでけへんやろう。
今の自分、今の曲、今のライブ、今のメンバーの気持ち、今の、今の。
全部の今を織った一反の布が何重にも重なって、その一つ一つには隔たりはありながらも決して離れ離れではないから、行き来こそでけへんものの全く無関係ではない。
そんな日々を文字通り重ねて生きていってるんやろなと思ったりした。
俺とあなたは決して同じ人間ではないけど、心のどこか少しだけ重なり合う部分があるから、共鳴できるところがあってそれがもしかしたら共感に似た感覚を呼んでくるのかもな。
決して共感なんかしたいと思うべきではない。と今の俺は思う。
感じる、と言うことはもうすでに脳の領域。
共鳴、こそ、折り重なる布と布の隔たりを超える術なのだと思う。
音楽も、絵画も、周波数にまつわる芸術にはそう言うパワーがきっとある。

はっ。小難しくなってしまった。
ただ、ありがとう。で良いんやけど、書きすぎるないつも笑