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空蝉

「んー。最近の先生の書く話はなんというか、こう、一般の人には難しいというか、わかりにくいような気がしますね、、、」
編集部の柏木は目線を原稿に落としたまま申し訳なさそうに言った。
「は、、、はぁ。そうですか。僕としては今回はすごく言いたいことが込められたかなと思ったんですけど、、、」
遠藤も柏木よろしく原稿に目を落としたまま答えた。
冷めて色が薄くなった緑茶のそこに沈んだ茶葉のカスが視界に入る。
「まぁとはいえ、最近、本、売れませんから。売り上げのことに関してはこちらも上からチクチク言われますが業界全体がどういう方向に進んでいくべきか模索しながらって感じなんで、まぁできる限りのことはやりますけどね。そんなことは先生もわかってらっしゃると思いますけども。最近は一昔前よりもスピード感上がってきてますから。長く、深く、読み解くなんてことはみんなあんまりしてくれませんしね。発想の転換と普遍性のバランスがいい作品が評価されてる傾向にありますよね。あ。そうだ。先生、SNSとかはじめてみたらどうですか?」
「は、、、はぁ、、、SNSですか、、、」
「そうですよー。読者との距離感縮めて行きましょう。最近はカリスマ性より親近感の時代ですよ。ね。」
「んー、、、わかりました。えーと。じゃあ今回の原稿は書き直しってことですよね、、、」
「いや、一旦預からせてもらってもいいですか。それでもって上に見せてきます。かれこれ1年くらいになりますよね、前の連載終わってから。それ以降まだ原稿誰にも見せれませんから。デビュー作であんなにヒット出してしまったからみんなも期待してますからね。今回の話は少し難しいとはいえ流石に先生の底力というか、出てると思いますので。」
「は、、、はい。わかりました。」

太陽の光は少し翳っていて涼しいもののまだ夏の太陽が温めたアスファルトの余熱を首筋に感じる。
コンビニで帰り道に悶々とした気持ちを少しでも晴らそうと買ったガリガリ君ソーダ味が最後の一口で白いシャツに一回バウンドしてから地面に落ちた。
慌ててシャツを拭ったせいで指がベタベタして気持ち悪い。
シャツはなんか汚くシミになった。
心から何かが溢れたみたいに、遠藤はその場に立ち止まって空を見上げた。
「あー。俺の居場所なんか、居ていい隙間なんかどこにもない気がするわ、、、」
思わず口をついて呟いてしまった。
歩道の隅でセミが断末魔の叫びをあげている。驚きもせずに一瞥くれてからなんとなく「デイドリームビリーバー」の一節が頭に浮かぶ。
さっきのコンビニで流れてたからだな。と気付きながらも
「もう今はー、彼女どこにもー居ないー。」
と自動的に口からメロディがこぼれ出す。
のと同時に涙も自動的に溢れてきた。セミが死ぬのが悲しいわけじゃない。
ただただ、不安と怖さしかなかった。
神様が自分に与えてくれた才能は多分一回使い切りだったんだ。
ホッカイロみたいに一回温まったらシンと冷たくなってしまうんだ。
いや、そもそも誰のことも温めてなかったんだ。だって夏だったんだきっと。むしろ暑苦しく思われいたに違いない。
よくわからない比喩ですら全てがネガティブな方向に転じる。
ここ1年。ずっとこんな感じだ。
出口なんかない。どうやってここまできたかもわからない。
そんな日々だ。
落ちたアイスの着色料の水色がアスファルトの鼠色を濃く染めていた。

「お兄さん、どうしたの?アイス落として泣いてるの?」



「こういう展開が、だから、ありきたりで嫌なんですよ僕。」
遠藤の視線は柏木と原稿を交互に行き来している。
「えー、僕は好きですけどねぇ。ドキドキしちゃう。」
柏木は本当に少し楽しそうにしている。
「だいたい、アイス落として泣いてるおっさんに誰が声かけるんですか?かけてくれたとしても豹の顔でっかく書いた服きてて紫色のパーマかけてるような大阪のおばちゃんくらいです。」
「いや違いますよ先生、それだと標準語はおかしい。」
「いや、そういうことじゃなくて、、、」
「いいから一回進めてみてくださいよー。お願いします。」
「んー。いや、ありきたりでつまんないって。」
「そりゃあ声かけてくれた女の子次第でしょ!」
「女の子だって勝手に決めてるじゃないですか!」
「いいからいいから」



顔をあげるとそこには、白地に濃い紫色の綺麗な刺繍の入った浴衣をきた女の子が立っていた。
綺麗に青みがかった濃い紫に染まった髪を頭の上で団子にして、綺麗に澄んだ印象の黒目が実際よりも目を大きく見せている。
心配そうにしているように見えてその実、心の好奇心メーターの針が大きく振れているのがわかる表情をしている。
「どうしたの?」
と彼女が聞くので思わず
「セミが死んでいるのがかわいそうで。あと、アイスも。」
と適当に答えた。
「えー、本当に???あはは。すごいそれ。なんか、すごいそれ童貞っぽいね。嘘下手かよ。詩人か何かなの?」
あまりにストレートにディスってくるので、全然嫌な気にならない。
世の中にはこういう、口調とか内容はきつくても相手に嫌な気持ちをさせないで話をできる人間がいるのだ。
「詩人ではないけど、あ、あと、別に童貞でもない!」
「冗談じゃん。で、本当はどうしたの?」
「別に本当に此れと言って理由はなくて、気がついたら泣いてた。恥ずかしいからもうこの話やめよ。」
「えー、それもう心の病気だよ?病院行った方がいいよ。」
「精神科なんて行ったら健康でも病名つくよ。」
「でもさでもさ、傾向はわかるわけじゃん。自分の心のさ。」
「いや、病院じゃ心のことはわかんないよ。それに、例えば薬とか治療とかで治ったとしても正直またなると思う。だって元は健康だったんだから。こうなる考え方とか生活とかをしてるってことなんだからそれ直さなきゃでしょ。」
「変なのー。じゃあ直せばー?」
「すぐには無理。てかお祭りでもやってるんですか?」
「んー、いや、なんか浴衣がいいなー今日は。って。そういう感じ。変?好きな時に好きなもの着るのが。」
「いや、変だとは、、、むしろ似合ってると思います。」
「そっか。よかった。ありがと。あのさ、時間あるならかき氷探しに行こうよ。浴衣といえばかき氷でしょ」
「え?時間はあるけど、どこの?俺浴衣じゃないから関係ないんですけど、、、」
「知らないー。歩くの。歩いて探すの。あるよどっかには。」
「調べようよ。スマホあるしさ。」
「あー、ほら、そういうところだよ、だーから本能が退化していくんだよ。野生のカンで探すの。ほら。」
「えーと、多分ー、あっち。」
遠藤が東の方向を指さすと彼女もそうすることをわかっていたかのように頷いた。





「いいじゃないですかー。」
柏木がさらに楽しそうにいう。
「えー、でもこの後実は彼女が潰れかけているかき氷屋の娘でお客さんを心から確実に掴み取っていくためにやってる浴衣での客引きだったってことにしていいですか?もうなんか切なくなってきた。遠藤も彼女も馬鹿すぎる。会話が。そんなトントン進むわけないじゃないですか。だいたい、初対面の人間にこの後時間ある?って聞いて、あるって答える遠藤はイかれてる。し、どうするんですかー、この先ぃー。」
「いや、このまま行っちゃいましょう。描いてみましょう。ゴーゴー!ほら、一回家に帰って考えてきてください。ここからですよー、ほらがんばってー!」


続く。