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君の音に感情はあるだろうか。

自分の部屋に換気扇が付いていることを最近知った。
シンクの電気、ずっとぶっ壊れててつけてなかったから気づかなかった。
ずっとつけてなかったから多分油も劣化してるんだろう。
ざささささって言いながら一生懸命部屋の空気を換気してくれている。
耳を傾けていると一定のリズムがあることに気づく。結構変拍子なんだなぁこれが。
もっと深く聞くと、擦れるような音の向こうで一定の音程で空気が排出される音も聞こえてくる。
ふと急に音に人格のようなものを感じて孤独じゃ無くなる。

なんでもそうだ。興味を持たないと感情の装置は作動しない。
いつだってどこからだって興味の扉というのは開けるのだけど、現代はその扉を隠してしまう要素が多い。
興味というものはとても大事だ。
それを失うと消費を続けるループに入ってしまう。
自分と、自分以外の境界線に柵を立てるようになって、それは次第に城壁のように他者とのコントラストをより明確にしてゆく。
自分と、自分以外。
世界はそんな風にはできていない。
自分は他者に内在し、他者は自分に内在する。それはつまり平たくいうと
「一つ。」ってことだ。
人間をはじめ、意識あるすべてのものが自分自身を自分で隅々まで見ることができないように設計されているように自分の存在はある意味で誰かに認識されることによって定義される部分もある。
そして、誰かを認識するということの方が自分を認識するよりもはるかに簡単なのである。
世界を知ることは自分を知ることなのだと思う。

あなたの光に感情はあるだろうか
あなたの音に感情はあるだろうか
あなたの記号に感情はあるだろうか
興味を持つだけで世界には感情が溢れ出す。

生きるってめんどくさい。
めんどくさいが多いほど、より、生きてるってことさ。