ワンマン東京編。

ハイエースの窓から差し込む高速道路の光は速度に合わせてテンポを変えていく。まるで気まぐれで不規則な僕らの生活を象徴するようでいつもそのオレンジの光になんとなく心を委ねている自分に気づく。

ほんの数時間前まではステージの上でただひたすら、6本の鉄線をかき鳴らしていたのに今は大阪への帰路の途中、ハイエースの硬い足回りに時々跳ねあげられながら打ち上げで食べた空心菜のニンニクの残り香に気づくたびに少しだけ息を潜めて気を紛らわせている。
憧れにはある意味で肉薄していて、ある意味でかけ離れている。
そんな日々だ。

ワンマンライブの前日に東京に入った。
最終リハを東京でするためだ。なんとなくメンバーで口に出して共有するほどでもないが、ライブをする土地でスタジオに入って音を合わせるということが何かの意味を持つ気もする。かといって、それは譲れないほどに大切なことかと言われるとそうでもないのだが。
東京の管理の行き届いた、その代わり土地柄もあって少しだけ値段の高いスタジオ。
全ての機材のクオリティが1段だけ地方よりも高いことが東京だということを時々思い出させる。
スタジオに入って特にとりたてて何か会話するわけでもなく準備を始める。各々が自分の音を作り終えてから
「じゃあ、とりあえず2セクション目のこの曲から合わせてみようか。」
と俺がいうまで結局みんな何も話さないでいた。

音を出して初めて肩の力が少し抜けるような気がする。
ふと、渋谷の乙でのワンマンライブの前のことを思い出していた。

とにかく、最善を。どうすればいいかわからないけれど、とにかく。
あの時強くそう思っていた。いい演奏が、魂が、とにかく自分たちのアイデンティティであり、それだけが自分のこともライブを観に来てくれる人のことも救ってくれる。
そんな望みを音楽が一手に背負っていた時期。
4人は1人ぼっちが集まった4人だった。
とにかく。なんとかどうにか。
そんな思いでセットリスト順のプレイリストを作ってそれを聞きながら走り込みをしたりしていた。
あの時、今よりもはるかに演奏できる曲も少なかったしクオリティも低かった。自覚があった。
だからこそわくわくと、それに勝る不安になんとか抗おうとしていた。

そんな時のことを思い出していた。
多分、今回のワンマンライブのワンコーナーでお客さんからのリクエスト順に演奏をするというコーナーがあって、リクエストの曲がちょうどもがいていた頃の曲が多かったせいもあるだろう。
今も変わらずもがいてはいるが、ある程度は経験とかそういうものでお茶を濁せてしまう時もある。だからこそ当時の真っ白な不安というのがものすごく鮮烈に蘇ってきて自分の頬を打つような気持ちがあった。
そのままのマインドと集中力でもってスタジオを終えてワンマンライブに望むことができた。
心の奥底で深く青い衝動のようなものが大きくうごめいているのがわかった。

Brian the Sunというバンドはバカみたいに人間臭い。
ああ言えばこういう子供のように
次々に興味の的が移り変わっていく少年のように
自由という概念に縛られながらただひたすら拒否を続ける青年のように
老いの先にある真っ白な世界に触れた老人のように
めんどくさくてどうしようもないバンドである。

でも、俺はまだ、この形もない意味もないとりとめのない世界を
ただ悠々と泳いでいたい。
みんなと一緒にただゆらゆらと揺れる波の中を
本当はどこに向かいたいのかわかりながら
夢の中にいるみたいに
ずっと泳いでいたいんだ。