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天下一品における正しい作法を考える

天下一品を食べたい、という衝動は時と場所を選ばず不意に湧き上がる。定期的に湧き上がるわけではない。何かきっかけがあるわけでもない。それは突然訪れるのだ。そしていったんその衝動にとらわれてしまった以上、食べずに済ます、という選択肢は無くなってしまう。例え街中がおいしそうなラーメン屋ばかりの繁華街にいたとしても、生理的な反応として止むなく電車賃を支払って二駅先の天下一品に行かなくてはならなくなる。

二駅先の駅前の狭小店舗に入ると、夜なのに単独の客が多い。一応2人席が2つ空いているがそこには誰もおらず狭いカウンターにひしめきあって一同黙々とすすっている。カウンター席を支配している空気は、最上級に美味しい瞬間を逃してなるものか、という目の前のラーメンに対するひたむきな気持ちである。恐らく9割は僕と同じ中毒者だろう。
東南アジア系と思われる店員さんは慣れない日本語と多忙で大変であろうにも関わらず親切に2人席をすすめてくださるが、丁重に断りカウンター席へ身体をねじ込む。なぜならカウンター席と2人席では店員さんのお手間の量が圧倒的に異なると思われるからだ。カウンター席なら注文を聞くのも器を片付けるのもカウンター越しで事足りるが2人席になると店員さんは水を出し客の注文が決まった頃合いで再び注文を聞きにわざわざ客席へ足を運ぶという大変な二度手間になる。また後から2人客が入ってきた場合、僕1人のために2人を待たせることになる店員さんの心情を慮ると非常に心苦しい。天下一品の店員さんにそのようなお手間やストレスを感じさせない客としての振る舞いをしたいのである。

なお天下一品に関する初歩的な知識として皆さまに知っておいていただきたいのは、天下一品にはこってりとあっさりの2種類のスープがあるが、圧倒的な支持を集めているのはこってりスープだということだ。きのこたけのこ戦争のように互いの支持率が伯仲している二大政党制とはわけが違う。僕の体感ではおそらく8割から9割がこってり派である。現に店員さんも客にスープの種類を確認する際には「スープはこってりでよろしいですか?」という聞き方をする。

僕も年間で20杯ぐらいいただく中毒者であるがただの一度もあっさりを頼んだことはない。まさしく天下一品の名にふさわしい、ラーメンの真理に到達したとしか思えないあのこってりスープの作り手が、あっさりも美味しいよ、と勧めてくださるわけだから美味しいに決まっているのだけど、こってりスープを全身に染み渡らせたい、という欲望に抗うことが出来ないのである。

そんな、こってり主義タカ派の僕であるが店員さんに注文を聞いていただいた際には1秒だけ悩む素振りを見せる。もちろん心はこってりで固く決まっているのであるが、せっかくお店が「あっさりも美味しいよ」と勧めてくださっているのに「こってり!」と即答するのは失礼に当たると考える。年に20杯こってりをいただいてただの一度もあっさりを頼んだことがない立場とは言え、すべての天下一品との出会いは一期一会なのであるから「いつものあれくださ〜い」というような態度では、おもてなししてくださる店員さんに対してもスープに対してもいくらなんでも失礼なのではないか。かといって「お客様を1秒でも待たすまい」とばかりに懸命におもてなししてくださる店員さんのお時間をいたずらに奪うのもまた失礼に当たると考える。この限界ギリギリのラインが「1秒の逡巡」なのである。

さらにこってり主義タカ派の僕は、いつもお願いするメニューは一緒である。こってりスープのラーメンと小ライス、と決まっている。珠玉のこってりスープに優しく、そして強く包み込まれた麺をすすりきった後にもまだそこにいてくれるスープを、無垢の白米にもまとわせて、その慈しみを余すところなく全身の細胞に取り入れたい。そのためのこってりと小ライスである。チャーハンも唐揚げも餃子も美味しいがそこはあえて無垢の小ライスでこってりスープに真っ直ぐな感謝の気持ちを表すのが僕の流儀である。

なお天下一品中毒者には当たり前の話すぎて何を今さら、と思われるかもしれないが、天下一品のラーメンはスープを8割ほど飲み干した段階で以下のメッセージが表れる。

こちらが「ごちそうさまです」を言う前に「明日もお待ちしてます」と言ってくれるのである。
このような最上級のおもてなしをラーメン一杯のお値段で毎日受けていたら、さすがに僕はもてなされて当たり前と思ってしまうダメ人間になってしまう気がする。だからこそ自分自身も常に世間様におもてなしさせていただく側の人間でなければならないと思うし、そのおもてなしポイントが貯まったと無意識に直感した時に不意に、天下一品を食べたいと思うのかもしれない🐶

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