[diary]12/22

■ここしばらく底を打っていた調子が12月に入ってようやく最悪くらいにまで戻ってきた。だらけた人間で放っておけばずっと寝ててほんとやんなるけど繕うこともやんなることも諦めたらもっとずるい気がするから自分が嫌いでいることも生きるなら必要なんだと思っている。

■最近、自己肯定とかそういう良く聞くやつについて言いたいことがむちゃくちゃあったんだけど、昨日の深夜くらいに調子悪さゆえの頭の煮えがすぎて矢部嵩『魔女の子供はやってこない』読み返していたらどうでもよくなった。矢部嵩の台詞回しは真似などできないし最短距離行ってるみたいなギュンって感じのスピードなのに実際はどこもかしこもビリビリするほど緊密な線が引いてあって、こういう小説があるんだからわたしがごちゃごちゃ言う必要ないのかもなと思ったらパーッとすっきりした。クスリだ。

■いやなんかさ、自己肯定感だか力だかが低くてうんたらっていうの良く見るし「出来なかった自分を許す」とかよく聞くけどさ、けど出来てねえもんは出来てねえじゃんていうもやもやしたのがあって、許すとかより出来てねえ、出来てねえどうしようもないのが自分だって事実から目を逸らしてたら肯定も許すもクソもねえじゃん、とか、いっつも思ってたんすよね。
仕方ないよねとか言って誤魔化すくらいなら鬱でもいいからちゃんと自分責めてたほうが健全な気もする。言い過ぎか。仕方ない自分のどうしようもなさを直視しないのに仕方ないよねって言ってても、それは先延ばしにしてるだけで肯定とかぜんぜんできてないでしょっていう。痛いのも足りないのもスースーすんのも、自分の顔も心もブスいのも、まあそれが私なんだなチクショウって悔しがるの忘れたらそれって見てないのと同じじゃん。逃げるのダメなんですかじゃなくて、逃げたなら逃げた事実だけは忘れないようにしないとだし、逃げるのが自分なんだなって腹括ることもしないとだし、それしないで自己肯定とかいうのは違うでしょ、ていう。
何度目だよって感じだけど、大丈夫じゃないことを大丈夫にするのが自己肯定なんじゃなくて、大丈夫じゃないことを大丈夫じゃないと認識してもエラー吐かない、エラー吐いても極論死なないことを肯定っていうんでしょって思う。
まあ、もしかしたら単に機嫌があんまよくないのかもしれない。ごちゃごちゃ言うの。

■けどこういうこと言えるのは私の生育環境って言うかそういう場みたいのが悉くラッキーだったからっていうのもあるし、私は図太いしある意味強いから、強くないし環境恵まれてなかった人にはマッチョな話にしか聞こえないかもしれないから、各位自分で調整してください。

■難しいことはわかんないからさー、みたいなのが昔から大嫌いで、難しいことわかんないなら黙ってアホ面さらしとけよアホって思っていた。いる。難しいことわかんないから難しいことわかるように近づこうとする。それが骨髄までわりとダメが染みついてる私が最低限やんなきゃだめでしょって自分に言ってることだと思う。

■たまにこういう内面大清算みたいの書いちゃうの良くないね。スプレー缶噴霧で大爆発より酷い。やめろ。

■「2018年自分でえらんだ4作」みたいなやつ私も書いてるからにはやるぞと思って書いたモノ読み返してたらどんどん具合悪くなってきて、これじゃダメだなと思いながらとある一作読んだらすごい面白くて、あ、これ、私こういうの読みたかったんだよね、って私が書いたんだから当たり前かって笑った。読み返すの怖かったやつでもあったから、よかったなって思った。

■11月は誕生日があるせいでいつも精神がふらふらするし時間の境目もよくわかんなくて過去からの喚び声かよみたいな期間なんだけど、慣れることもなく慣れて、それでも素敵なプレゼントいくつか頂いて、そのひとつはほんとうは見せびらかすつもりだったし許可も頂いたのに、けどやっぱこれ私だけの大切なものだから見せない、ふふんと得意に思うくらいには精神ハッキリしてきた。もうひとつはまだ飾る額縁さがしてる。急ぐつもりはなくて何年かけてでもいいやつにする。あと、さっきの、あ、これ好きだなっておもった自分の小説は、この人いなかったら書けなかったんだよなって思い出した。いろんな人と会ったんだ。いつかいなくなるかもしれないし、私がいなくなるかもしれない。そういうのすごくいいと思う。好きだし。

■今日の要点は、矢部嵩は天才だなってことです。読め。