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各音楽の出会いと深化 ~Britpop編

さて、今日は俗にいうブリット・ポップを聴きだしたころの話をしたいと思います。
ブリット・ポップというのは、マンチェスターを中心に派生した80年代末期のバンドブームを出発点に(いわゆるマッドチェスター)、セカンド・サマー・オブ・ラブと言われたダンスシーン活性化の追い風を受けて、90年代に花開いたのブリティッシュ・ロックシーンを興隆をさす言葉です。
具体的にいえば、OASISBlurRadioheadTHE VERVEあたりが代表バンドとされますが、先行してデビューしていたMANIC STREET PREACHERSや、PRIMAL SCREAMTHE BOO RADLEYSTeenage Funclubなんかも大きな枠としてみると、入ってくるかと思います。

音的には、当初はストレートで素直な音像のバンドが多く、当時の英バンドが雲霞のごとくでてきた割に、あまりバラエティに富んでいたとはいいがたい印象です。
たとえば、メタルやハードロック、さらにはプログレ、グラム、サイケ…といった70年代的な懐古スタイルのバンドは少ないように感じました(…などといいつつ、一番好きだったのはグラム寄りだったSuedeだったんだが)。
ただし、60年代…特にTHE BEATLES、THE WHO、The Rolling Stonesといった超大物は原点回帰的に重宝されていたように思います。まぁ、この流れは三大バンドが登場以降、すべての時代にも当てはまる気がしますが。
やがて、各バンドの音楽的成熟や、シーンの隙間を狙っていく流れなど(レディへのプログレ化や、オアシスのサイケ化などなど、スウェードのエレクトロニ化については・・・)から、90年代の中盤以降は、より面白い流れになっていったように感じます。が、それは同時にファンおよびシーンの拡散化を招ねき、結果的に徐々ににシーンは縮小いったようにも思います。

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個人的に大学生だった時期は(91~95年ごろ)、同時代的な感覚もあり、こうした一連のバンド群にかなりハマっていました。
以前言ったように、高校時代はメタルとプログレ、そしてパンクが好きだったわけで、なぜいきなりこちら方面にシフトしたかは、あんまり憶えていないのです。
ただ、ブリティッシュ・ナウシーンというものを強烈に意識させ、思わず1stアルバムを買っちゃった…という事実も含め、上記のマッドチェスタームーヴメントの中核を担った、THE STONE ROSESというバンドの存在は相当大きかったと思います。
これは、中学の頃、流行で聴いていた他の英バンド…例えばDURAN DURANや、CULTURE CLUBを買う行為とは全く違うように思われました。
以前の記事「洋楽事始め」で触れているように(メタルやパンクと違う)ポップな感じのバンドは、洋楽ビギナーだったこともあり、ミーハー的な聴き方しかしてなかったからです。
でも、雑誌はいろいろ買ってました。そこで目に付いた“ブリティッシュ・ロックの救世主”的な位置づけで、Crossbeat誌、FOOL'S MATE誌が大騒ぎしていたのがローゼスだったわけです(当時のロキノンは紙質が悪かったので買う気になれなかったのですが、こちらでも大騒ぎしていた模様)。
まだ1stアルバムが出ていなくて、記事の流れとしては、“各シングルが出るたびに大きな話題を呼んでいる…驚異の新人が出てきた!”といった感じでしょうか。
思えば、このころ('88)の英音楽界は、THE SMITHSとDIRE STRAITSが解散し、Simple MindsやNEW ORDERなども活動停滞していた時期。大衆の圧倒的支持を得ていたスミスの影響か、英ロックは死んだとまで揶揄されていたような気がします。
他方、好きだったメタルやハードロックの場合は、英米ともに大いに流行っていましたが、かといって、英国ではハードシーンの新人バンドは、あまり出てこなかったという…そういう状態でした。

だから、何か活性剤的な新人が欲しかったのでしょうか。狭いとはいえ、日本の洋楽誌界隈の騒がれ方は尋常じゃないと感じたのですが、やっぱりそれはNMEなどの英国マスコミの影響を直接反映したものと鑑みますと、本国はより盛りあがっていたんじゃないかと推測されます。
なんにせよ、愛知県の片田舎の男子高校生にもそれは届きましたし、翌89年の初夏前後に、満を持して名古屋の輸入盤屋さんにアルバム買いに行ったのでありました(国内盤じゃないのは、たぶんLPで欲しかったんだと思う)。

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で、感想w
まず何が衝撃かって、あのイアン・ブラウンのヘロヘロのヴォーカルですよ。音はロックはロックなんだけど、その声も含めあまりに脱力しすぎで、そりゃうるさいメタルやパンクばっか聴いてた人間には理解不能の世界です。
先行シングルをかき集めたような構成なので、曲は粒ぞろいですし、バラエティにも富んでいるんですが、これのどこが凄いのか伝わりずらい感じはしました。のちに多くの人が名曲と絶賛する代表曲「Elephant Stone」も、この時点では、ボーナス等で収録されていたわけでもなく、耳にできていなかったのも影響しました。
しかし、メディアは大特集を組んで絶賛していたので、何かあるだろうと無理やり聴き続けました…まぁ十代ですから素直だし、あとこれが理解できないと最先端にいられないかも…などという意識もありました。今でこそスルメ盤みたいに言われますが、まったくもってその通りで、あんま飽きがこないのは本当です。だから慣れちゃうんですねあの声にw 
結果、G. ジョン・スクワイアのカッティングの素晴らしさや、マニレニの変幻自在のリズム、際立って美しいメロディとかが、がぜん輝いてまいりまして、いつの間にやら自分のなかでも名盤になっていったんです(ただし、個人的な好みをいうとゼップ的に発展した2nd『Second Coming』の方がはるかに傑作だと思っています…歴史俯瞰的にそういう評価があまりないのが残念ですが)。

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ここから、クリエイションレーベルとか、4AD、ラフトレードとかを漁っていったりしだすので、英インディーとかを追求するきっかけは絶対ローゼスにあったということになります。
また、かつてはミーハー的に聴いていたTHE STYLE COUNCILポール・ウェラー師匠のソロデビューにリアルタイムに遭遇し(むろんパンクサイドとしてTHE JAMは当然チェックしていましたが、当初は同一人物という意識はあんまりなかった気がします)、一挙に私生活がモッズ化したりといったこともあり、マニックスやプラマイを受け入れる準備が万全になっていったというわけですね。
そこでオアシスやスウェードがどっか~んときたら、一気にどっぷりいってしまった、ということもご理解いただけたと思います(←なお、この両バンドが好きだったいうことは、やっぱり当初はアンチ・ブラーだったのでありましたw)。


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