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「つくね小隊、応答せよ、」(廿)

天狗は深々とお辞儀をして、黒い羽をゆっくりと広げ、羽で作られた団扇を取り出しました。




「お三方がよろしければ、私の加護する男の居るその場所まで、お連れいたします。もしよろしければですが」

三匹は、互いの顔を見合わせて、頷きます。

「では」

天狗は三匹へと、恭しく団扇を向け、ゆっくりと空にむけて扇ぎました。

舞のような雅な動きで、扇ぐのを何度か繰り返すと、小さな風がさわさわさわさわと三匹を包みはじめました。

どうやら、柔らかく小さなつむじ風がいくつも集まってきているようです。

天狗の舞は少しずつ動きが増えて早くなってきて、そして突然止まり、最後に大きく空へ扇ぎました。

すると、三匹がふわりと浮き上がり、ぶわおんっと空へと舞い上がりました。

薄暗く樹高の高い森を抜けると、一気に周りが明るくなります。

南国の太陽が三匹を照らし、三匹はその眩しさに顔をしかめます。

三匹が少しづつ目を開けると、彼らは風に吹き上げられながら、空に浮かんでいます。

不安そうな金長と狐が、早太郎にしがみつき、早太郎はつまらさなそうな顔をして言いました。

「おい、神輿じゃねんだぞ、俺は」

雪色の大きな犬に、満月色の狐と、茶色のたぬきが、不安げにしがみついています。

見渡す全ての視界の果てが、水平線です。

美しい鉱石を徹底的に磨き上げたような、どこまでも透明な海。

視界のあらゆるところに大きな入道雲がたちのぼり、青い空と、碧の海と、白い雲、そして島を取り囲む環礁のコントラストが、まるで南国の鮮やかな鳥の羽のようです。

三匹は、日本では見たことのない数々の色合いに目を見張り、口をぼんやりと開け、その風景を眺めています。

天狗が羽ばたきながら、もう一度団扇を扇ぐと、三匹はゆっくりと斜めに降下しはじめました。

そのゆっくりは最初のうちだけで、その後はどんどんどんどん勢いが増してゆき、早太郎は他の二匹にしがみつかれたまま、四本脚でバランスをとり、風の坂道を滑り降りてゆきます。

びゅるびゅるびゅるるるるっる

三匹にすごい勢いで向かい風が吹き付けます。


やがて高度が下がってゆき、三匹は森の中に突入しました。

ずざんずざざざざざざああああああ

早太郎が、涼しい顔で土の上を滑りながら着地すると、他の二匹は毛並みが乱れ、全身が寝癖のようになっていました。

「は、早太郎さん、あ、ありがとうございました…そ、それで天狗さん、加護されている方は、どちらに?」

狐は慌ただしく体を舐め、きれいに整えながら天狗に訊きました。

金長は仰向けで目をぐるぐると回しています。

天狗は、少し離れた茂みの中を指差しました。

狐がほんの少し背伸びをしてその方向を見ると、男が木に背中を預け、腹を押さえて座っているのが見えます。

「おい、あっちの三人も来てるぞ」

早太郎が、天狗と狐の間に入ってきて、別の茂みの方を顎で指し示しました。

100メートルほど向こうに、渡邉が銃剣で草木を薙ぎ払っているのが見えます。

「ちょうど鉢合わせしちまう塩梅だろうな。お互い気づいてねぇ状態で鉢合わせたら、間違って攻撃しちまうだろ、どうする…?」

早太郎が、狐と天狗に相談をもちかけます。

金長は、口をあけてのびています。

「私が小さな風を起こし、男の注意を風の方に向けさせましょう。もし発砲すれば、そちらのお三方も気づくでしょうし」

天狗がそう言うと、早太郎と狐が顔を見合わせ、お互いに頷きました。

「それでは天狗さん、それでお願いいたします。私達があの三人の方へ行きますので、合図をしたら風を起こしてください」

狐が天狗にそう要請し、天狗は頷きます。狐と早太郎は、三人の方へ向かいました。


金長は、

まろまおもろもろうろもろもろわろ

と、うめきながら、もどしています。






渡邉たちが気づかぬまま、男に近づいて行きます。

距離が50メートルほどになった時、狐が尻尾を高く上げ、天狗に合図を出しました。

天狗は、三人とは方向の違う茂みの方に、小さな風を不規則に送りました。

いくつかの草だけがほんの少し揺れ、足音のように聞こえます。


これに男が反応しました。

天狗は小さな風の位置を徐々にずらし、人間が忍び足で歩いているかのように、草を揺らしました。

男は、茂みの隙間から音のする方を偵察し、歩兵銃に弾をゆっくりと装填します。

敵の姿は見えませんが、忍び足で歩いているということは、敵兵が戦果確認に来ているのだろうと思いました。

草木がほんの少し揺れて、それが徐々に近づいて来ます。

男は、その草木の揺れめがけて、引き金を引きました。

しかし、手応えがありません。

すぐに弾を装填して、もっと低い位置を撃ちます。茂みがまた揺れたので、すぐにまた装填、発砲しました。

しかし、敵のうめき声や着弾の音、逃亡の音などが聞こえてきません。


天狗が、狐に頷きかけました。渡邉たち3人に、男の存在を知らせることができたからです。


突然の発砲音が、自分たちの持つ銃と同じだと気づいた渡邉が言いました。



「聴いてくれ!俺は、大日本帝国陸軍 上等兵 渡邉道雄だ!その銃は、三八だろ?貴様が敵兵ならしったこっちゃないが、もし日本人であれば返事をしてくれ!!!」



流暢な日本語です。

けれども、流暢な日本語を話すからといって、相手が日本人だとは限らない、と男は思い、名乗り、顔を見せてくれるように言いました。



「俺は、大日本帝国陸軍上等兵、秋月だ。そちらが本当に日本兵であるという証拠を見たい。顔を見せてくれ」




それから渡邉と秋月は、食べ物の話題や、秋月が本当に栃木出身なのかどうかを試す質問をし、お互いが日本人だと確認しあえたようです。そして三人と秋月は合流します。





うわもろぐわぼろむわもろむらもろろろ

金長は木に片手をついて、嘔吐しています。


「おい、まだ酔ってんのかよ」

早太郎が金長に歩み寄りました。早太郎が金長を覗き見ると、金長は痩せていて、泥のような顔色です。

「むわもろもるもろ…乗り物、酔い、ですかね…」

「いや、だから、俺は乗り物じゃねえよ」


狐が近寄ってきます。

「早太郎さん、清水さんが早太郎さんのお話を始めましたよ」

早太郎が耳を立てると、清水の語りが聞こえてきました。

大狒狒たちと、早太郎、弁存、そして娘を殺された両親が、戦っています。



早太郎は、その日の事を思い出しています。


美しい月夜。

血の匂い。

恐怖と怒りと苦しみと、憎悪にもがく最後の一匹の狒狒。

傷だらけの自分。

肺を潰された弁存。

声の出なくなった娘。

娘を殺された両親の、痛みと苦しみと祈りの叫び…


そこにいる全員が、どこかに傷を負い、血を流していたあの夜。




ぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼ




早太郎たちの頭上を、いくつものB29が飛んでゆきます。

男たち4人が空を見上げます。

3匹と天狗も、空を見上げます。



自分たちの国を壊して焼き、生き物を殺す爆弾を満載した航空機の腹を、ただ見上げています。





「殺してくれ」



そう聴こえました。

秋月の声です。

秋月が渡邉に、自分を殺してほしいと頼んでいるのです。



3匹は、はっとして、天狗を見ます。


天狗は俯いて、何も言わず、ゆっくりと目をつむりました。

3匹は、渡邉を見ます。


弾を装填し、秋月に1つ質問をしました。

秋月は、その質問に、にやりと笑って答えます。

そしてその瞬間、渡邉は秋月の額を撃ち抜きました。





いつ撃たれるかわからない状況で、いくつもの怪我を負ってきた上等兵たち。

いつ撃たれるかわからないという状況は、心身を徐々に削ってゆき、疲弊させます。ましてや、「撃たれる」とわかっている状況では、全身の筋肉がこわばり、心も体も恐怖に包まれてしまうのです。

渡邉は、最後の瞬間に、秋月のそんな恐怖を取り除いた状態で、故郷のこと、普通の日常の自分のこと、そんなことを思い浮かべながら、死んでほしかったのでしょう。

だから、彼を質問の途中で、突然、殺しました。

三人は、秋月に敬礼し、手を合わせ、背を向け、歩きはじめました。

「あの三人と、巡り合えたことは、彼にとってよかったことなのだと、わたしは、そう思います」

天狗がつぶやきます。

しばらくして、控えめな声量で狐が訊きました。

「彼にも、天狗さんに加護を頼む家族が、いたの、ですよね?」

天狗は頷きます。

「高齢の祖父がひとりおります。彼は、毎朝毎夕、我らの社に参拝を欠かしません。彼が毎日願うことは唯一つ。

たったひとりの孫を、どうか生きて日本に返して欲しい。守ってあげて欲しい。どうか、どうか、お願いします。どうか、どうか孫を…

と。」

天狗が手のひらを地面にかざすと、

三匹の前に、土下座をしてお参りをする高齢の男が見えました。

朝早い時間と、日が沈む前、誰もいない時間、秋月の祖父は神社の本殿の前でそうやって毎日毎日、祈りをささげていたようです。

天狗が手をかざすのを止めると、秋月の祖父は消えました。


三匹は、ちらりと天狗の顔を見上げます。天狗は寂しそうに笑いました。

「みなさま、ご協力いただいて、ありがとうございました。わたしは、加護の対象を失ったので、守れなかった、ので、もうここには居ることができません。私のここに居られる残り時間も僅かです…」

三匹とも、なにか言おうとしますが、なにも言葉が思い浮かびませんでした。

「あ、あの、渡邉という男に、礼を伝えたいのですが」 

少しの沈黙のあと、天狗が言いました。

狐はしばらく考えて、いいですよ、というように笑顔でひとつ頷きました。

天狗は深く、三匹にお辞儀をして、三匹の目を見て一匹づつに頷いて、翼を広げて飛び上がり、上空へ飛んでゆきました。

三匹は、天狗の姿を目で追います。

遠くの三人が、話しながら歩いていくのが見えます。

天狗が木にとまり、振り向いた渡邉が天狗に気づき、発砲しました。

その後、天狗と渡邉は対面で遭遇し、天狗は秋月のことについての礼を伝えました。

そして天狗が風を吹かせ、渡邉が目をつむり、風が止んで目をあけると、もうそこに天狗はいませんでした。


風にのって早太郎にしがみつき、空を飛んだことで乗り物酔いになっていた金長でしたが、今は本調子に戻ったようです。

「ちょちょちょちょちょっと!見ました!?あのあかいひと!ねえ!あの赤い人!人間に姿見せましたよ!ねえ!見せました!?ねえ!見せましたよね!???」

「うっせぇよ、見りゃわかんだろ」

「え!交流してましたよ!え?!そういうのいいの!?あり!??」

「うっせんだよっ、ぽんぽこぽんぽこ言いやがって…」

「……は?いや、ぽんぽこぽんぽこなんて言ってないんすけど…」

「今言ったじゃねえかよ」

「それはあなたがぽんぽこぽんぽこうるせえって言うから、言ってないって意味でぽんぽこぽんぽこって言ったんじゃないですか…」

「今も言ってんじゃねえかよ。とにかくうるせえわ、おめえ、たぬきはたぬきらしく蕎麦屋の前にでも座ってろよ」

「…は?ちょ、ちょっと早太郎さん、ちょっと失礼にもほどがあるっていうか…え、ちょ、おま、ごら、あやまれごるあぁあああ!!!!」

「まあまあ!金長さんも落ち着きましょうよ!また見つかっちゃいますし、ね?」

「そうそう。狐の言う通りなんだよ。くそだぬき。だいたいおめぇ、

“交流してましたよ?あんなのありなんですか?!あ、ぽんぽこぽんぽこ!”

とかって言ってるけどよ、おめぇが一番あいつの前に姿現してんじゃねえかよ…ばかたれが」


「いやだから!まじでぽんぽことか言ってないしっ!っていうか、く、くそだぬきだぁ!?あんだとごらぁぁあぁ!!!」



調子を取り戻した金長が、早太郎や狐とやりとりしていると、三匹の上にまた羽音が響きました。


さきほどの天狗です。

天狗が大声で言います。


「みなさまに、伝え忘れていたことがありました」


三匹は、天狗を眩しそうに見上げます。天狗は大声のまま言います。


「彼らを加護するのは、異国のものたちからの攻撃から、だけで…ありません」


三匹が言葉の意味を考えますが、意味がわかりません。早太郎が訊きます。

「つまり、どういうことだ?」


「この島では、彼らを殺そうとするのは敵国の者た…だ…ではな…のです」


狐がさらに訊きます。

「ん?つまり、ここの島民のものたちも、彼らを殺そうとしている、と、そういうことですか?」


天狗は首を横に振ります。



すると徐々に天狗の色合いが白黒になってゆき、姿が薄れてゆきます。

「…違い…す。ここ…の、森……う者……ち…も、か……の……」

声がとぎれとぎれになり、聞こえなくなってきました。

「何言ってんだ?聞こえねえぞ」

早太郎がそう言いますが、天狗にも同じように声が届かないようです。

「彼……は、あな……も邪……わた…も戦……強……気を……」

薄れゆく天狗が、必死の形相で、大声で何かを伝えています。

「よき…ご…護……」

そして最後に一言言い残し、天狗は消えました。

青空が、今までと同じように、ただそこにありました。


三匹は、天狗のいた空間を不思議そうに見上げ、首を傾げています。

















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