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ノモリクヲノミカ ③



ぼくを、丸く黒い膜が覆っている。
膜の外に耳をすますと、かすかになにか聞こえてきた。


こむこぽぽぽこぷぷん

こもこもこもこぷぷ



どうやら、水の流れる音のようだ。
ぼくは流れに乗り、どこかに運ばれているのだろう。外が見えない不安、行き先の分からない不安。ぼくは真っ暗な黒い膜の中で、コウタに声をかけた。
この膜に包まれる前に一緒にいたからだ。

「なあ、どうやら水のなかにいるようだね。でもどこに運ばれるんだろう」

けれど、コウタは答えない。

「おい、どうしたんだよ、コウタ、そこにいるんだろ」

周囲を手探りで探しながらそう言っても、コウタは返事をしなかった。暗闇の中、ぼくはひとりだった。外からはただ水の流れる音だけが聞こえてくる。


どむこぷぷかぷどむだむん

かぷかぷこぽこぽしゅこころろ



少しづつ流れが強くなってきたようで、ぼくはころころと転がり始めた。上を向いているのか、下を向いているのか、どこを向いているのか、もうわからない。ころころかろるとぼくは転げ、ぼくは黒い膜を破ろうと手足を動かす。
けれど、なぜか手足は自由に動かず、手は短く、両足が互いに張り付いているように感じた。一体どうしたんだろう。ぼくは仕方なく、口で膜をつまみ、引っ張り、つつき、体をくねらせた。

はやくここをでたい

はやくでなくちゃ

そんな、焦燥感に似た衝動のようなものが、ぼくを突き動かす。

ぴりっ

膜が少しだけ破れ、その向こうから、きらきらとした光が漏れてきた。空色と金色の混じる色の光。冷たい水が膜の中へ流れ込んでくる。
ぼくは、体をしならせ、口の先から、膜の外へ一気に飛び出した。





どむんこぷこぽこぽぽぽぽ

だむんどむこぷこぽぷこぽ

とむとむこぽこぷどむぽこ




膜の外は美しい清流だった。
丸い石が水に流され、ころかろころると下流へ転がってゆく。
ぼくは水に流されないように、流れに逆らい、必死に泳いだ。

両目で見渡すと、古代魚の稚魚みたいないきものが数匹、必死に泳いでいる。なんなんだろう、あの生き物は…。
ぼくは泳ぎながら、ぼくの身体を見る。

手は半透明のヒレ。足はひとつにまとまり、灰色の尾びれがついていて、全身が硬く黒い鱗に覆われていた。どうやら、ぼくも、まわりのいきものと同じ、古代魚らしい。

ふと気づくと、冷たかった清流が、徐々にぬるくなり、赤く濁り始めた。
視界は悪くなり、少しづつ、息苦しくなってくる。

ぼくは水面を目指して泳ぎ、水面から口を出し、ぱくぱくと空気を吸う。他の古代魚たちも水面で口をあけ、なんとか呼吸をしている。水面に顔を出しながら泳ぐのに疲れたぼくは、流れの穏やかな浅瀬に向かう。浅瀬にヒレをつき、体を支え、水面から顔を出す。

しばらくそうやって息をしていると、古代魚の一匹が、陸に上がっているのが見えた。震えながら、ヒレを使い、這って進んでいる。なんで陸になんかあがるんだろう。そう思った。
けれど、さっきまでぬるかった水はもうすでに熱く、そしてほとんど泥のようになっていた。ぼくも耐えられなくなって、水辺から這い出した。まるで、熱いお風呂から我慢できなくなって飛び出すように。

しばらくすると濡れていた鱗が乾き、ひび割れていくような痛みに襲われる。ぴきぱきとからだ中から音が聞こえてきそうだ。

けれど、水へは戻れない。水のなかにいれば熱く、そして苦しい。でも、外にいれば乾燥し、こうやって全身の鱗が痛む。そしてその痛みから逃れるように、ぼくたちは口をぱくぱく動かし、必死で泥の上を這った。

泥を這い、森に入った途端に、突然胸いっぱいに空気が吸えるようになった。乾いてひび割れかけた鱗は厚く強くなり、痛みは消えている。
そしていつの間にか、ヒレではなく前あしと後あしが地面をつかみ、尾びれは尻尾に変わっていた。さっきよりも随分這いやすくなった。
しばらく這って、這うことにも慣れてきたなと思ったら、手足が太くなり、四足で早く歩けるようになった。


森が、少しづつ寒くなる。
ぼくたちは、歩きながら寒さに震える。
吐く息は白く、やがて歩く速度がゆっくりとと、鱗が針のようになり、やがて柔らかく細かく寄り集まり、そして毛になった。体中が暖かくなり、いつの間にか震えがとまる。


森を抜けると、夕日の草原が現れる。地平線が、どこまでも続いている。
ぼくは、さらに遠くの方が見たくなって、後ろ足で立つ。
遠くを見ながら歩いた。
いつのまにか周りには猿たちがいて、立ち上がり、そして同じ方へ歩いている。

足元の石を拾い、投げてみた。
落ちた石は割れ、ぼくは、それをまた拾う。草原に沈む夕日に、石の断面が星のように輝く。

隣を見ると、同じように、割れた石を持ち、夕日に照らされ、佇んでいる人達がいた。

背の低い、眼鏡の女の子。
短い髪の男の子。
眼鏡をかけた、柔らかそうな髪の男の子。
鼻に透明のチューブを通した女の子。
そして、銀髪の女性。
その向こうの人の顔は、見えない。

いったい、みんな、誰なんだろう…?

日が沈み、群青が漆黒になり、皆の顔は見えなくなった。
視界は一気に狭くなり、草原は深い谷底のようだ。その漆黒の中、突然誰かが言った。

「ねえっ!さっきのなに!?水の色が変わったとき、すっごい苦しかったんだけど!」
宇宙服のナオが、肩に取り付けられたライトを灯し、苦しさを全身で表現してる。

そうか、思い出した。ぼくはそういえば、セオドアという国に来てたんだっけ…。

「うん!あんなの初めて!わたし、鱗が毛に変わるとき、なんかぞわぞわした!」
黒猫のサキが両手で自分の身体を素早くこする。

「…おれ、ほんとは泳げないのに、川泳いでたからすごいって思った」
狼のリョウが不思議そうにポツリと言う。

「ぷこぽこぶごぷこぷこぷかっ!うひひひ!」
うさぎのモモが、水の中を思い出したのか、楽しそうに笑っている。

「ユウがいなくなってたから、セオドアオチしたのかと思って一瞬あせったなぁ」
カメレオンのコウタが、ぼくによじ登ってきながらそう言った。

鶴のダレカが、みんなより一歩前に出る。そして目を丸くし、翼の先で前方を指差している。なにか伝えたいことがあるようだ。翼の指し示す先には切り立った崖。黒い岩肌が空高くどこまでも続いている。遥か上には、星空が切り取られて見える。どうやら、谷底にぼくたちはいるらしい。
そしてさらに目をこらすと、ゆっくりと “それ” が見えてきた。







崖からぬるりとそれは姿を現した。
黒い大きな蛇が、とぐろを巻き、こちらを見おろしている。

絹で丹念に磨き上げたピアノのような身体。柔らかい羽で丁寧に埃を払った黒鍵のような目。

暗闇の黒大蛇に気づき、みんなが ひっ と息を呑む。

「…おい、ユウ、お前、り、リーダーだろ…なに突っ立ってんだよ、早く、い、行けよぉ」

狼のリョウが、鼻先でぼくの背中をぐいぐいと押す。

振り向くと、みんなぼくの背中に隠れるようにして、ちらちらと黒い蛇を見上げている。

「まあ、かわいいこどもたち、あんまりかわいいからたべちゃいたいくらいだわぁ」

黒大蛇は目元を緩ませ、優しい声で嬉しそうに言った。ぼくは思わず後ずさる。けれど、うしろのやつらが、みんなでぐいぐいとぼくを押す。

「えっとぉ…あの、た、たべちゃいたい “くらい” だわってことは、…ほんとに食べたりはしないんで…す…よね…?」

ぼくは精一杯、後ずさりしながら、黒大蛇に訊いた。

「もちろんよ。たべるわけないわよ、そんなにかわいいんだからさぁ」

黒大蛇は、男性なのか女性なのかわからない声色で、嬉しそうにそう言う。
口ではなんとでも言える。
ぼくは大人だ。そんなことくらいわかる。

「さ、あなたたちは、怪物州に行きたいんでしょ?じゃあ、知ってるわよね?」

黒大蛇はかぱりと口を大きく開いた。

「さ、いりぐひはここよ、ひゃやくはいんがはいよ」

口を大きく開けたままそう言って、喉の奥の細い管から、細く長い火を吐いた。その火はぼくたちを黒大蛇の口へ誘導するように囲み、轟々と燃え上がった。

「囲まれてる!選択肢なしの一方通行だ!」
耳元でコウタが叫ぶ。

壁のような炎の輪はどんどん縮んでゆく。ぼくたちは、ただただ立ち尽くした。口を開けたままだった大黒蛇はいらいらしている。

「あああ!んもぅ!いったいどっちがいいのよ?怪物州に行きたいの?そこでずっと突っ立ってたいの?どっち?早く決めなさいよぉ!」


「どどど!どうするのよユウ!」
黒猫のサキが爪を立ててぼくにしがみつく。痛い痛い痛い。

「どうする、ユウ!」
狼のリョウが、周りの火を見渡しながら大声で訊く。

「これはなに?盆踊りのお祭り?うひひひ!月がぁ♪出た出たぁ♪月がぁ出たぁ♪」
うさぎのモモが、飛び上がり、楽しそうに盆踊りを始めた。


「でも、ほら!やっぱり黒蛇の口が入り口だって噂はあるんだから、入るほうがいいんじゃない?まあ…出て…これない…っていう噂もあるけど…」

宇宙服のナオが、自信なさげにそう言う。確かに入り口は、蛇の口だという情報しかぼくたちは持ってない。 

ぼくが一歩踏み出そうとすると、カメレオンのコウタがぼくの耳を引っ張った。

「待ってっ!ダレカがなにか言いたいことがあるみたい!」


見ると、ダレカは身振り手振りで何かを伝えようとしてる。火を翼で指さし、丸のようなものを描く。するとその足元で、

「あんまぁりぃぃ♪煙突ぅがぁぁ♪高いぃのでぇ♪」

緊迫した状況のなか、モモは炭鉱節を歌い、盆踊りを踊ってる。ダレカの言いたいことを読み取りたいのに、
とても邪魔だ。

「あ!わかった!火にヒントがあるんだ!」黒猫のサキが二足で立ち上がりながらそう言う。
皆でダレカのジェスチャーを真剣に見つめる。
ダレカは、火を指差し両の翼で1つの円を描く。
丸?円?輪?

「あ!!火の輪!火の輪だ!ほら!火の輪をくぐり暖ある場!今私たちを囲んでる火だよ!」

ナオが両手を大きく叩いてそう言う。ダレカは腕を組んでなんども頷く。伝えたいことはそれだったらしい。

「え、で、でもくぐるってどうするの?」
カメレオンのコウタがみんなに訊く。

狼のリョウも慌てている。
「ひ、火に飛び込むってこと?」

火がどんどん迫ってくる。はやく決めないといけない。

「奥に咲いたるぅ♪八重つぅばぁきぃ♪なんぼぉ色よく♪咲いたぁとてぇ♪」

あいかわらずモモだけはぼくたちのまわりを周回し、炭鉱節の何番目かを歌って踊っている。へぇ、炭鉱節ってこんな歌詞があったんだ…と、ぼくは頭の隅の方で思う。


黒猫のサキが、腕を組んで考えながら言った。
「でも、よく考えると、あれは火の輪とは言えないかもしれない。だってCの形だから」
たしかに、蛇の口へ誘導するように、火の輪の一部は切れている。輪とは程遠い。

カメレオンのコウタが重ねる。

「だいたい、なんかあの蛇の口が入り口って怪しいと思う。なんでわざわざ火で囲むの?急かして、判断力を鈍らせてるような気がする。大人がよくすることだよ」

ぼくもそう思う。大多数の冒険者が、見つけられていないアイテムを探すというのに、噂に頼るのはよくない。
火はどんどん迫ってくる。
ぼくは考える。
そして決めた。

「よし、火が、完全にぼくらを包んで、“火の輪”になるまで待つことにする」

ぼくがそう言うと、みんなも納得したようだ。けれど確信はないから、みんなでぎゅっと目をつむり、抱き合った。
モモだけは炭坑節を踊っている。大黒蛇はすかさずぼくらを急かす。

「え?ほら!火が近づいてくるわよ!ほら!わたしを信じなさいよ!さあ早く!口の中に飛び込んで!さあ!!」

火がどんどん狭まってきて、やがて火の輪に包まれた。そしてさらに火は狭まり、ごうごうという大きな音でお互いの声も聞こえなくなった。

それぞれが何か叫んでいるけれど、なにも聞こえない。言いたいことはわかる。もし違ったらわたしたちどうなるの?ってことだと思う。でもそんなこと僕にもわからない。

モモはまだ、楽しそうに盆踊りをしている。そして、踊りながらゆっくりと火のそとに消えて行った。




え? モモが消えた…?



すると、火の勢いは弱まり、ぼくらを囲んで止まり、消えた。




大黒蛇がため息をついて、つまらなそうな顔でぼやく。

「はいはいはい。合格、合格っ」

そして大黒蛇がずずずずいと脇に避けると、蛇の背後には暖炉があった。めんどくさそうに口をへの字にして、大黒蛇が説明を始めた。

「はい、みなさんおめでとうございます、火の輪くぐりお疲れさまでした。さて、わたしの口が入り口っていうのはダミーです。ダミー入り口です。嘘ってことですね。で、もし私の口に入ってたら、10回休みでした。はい、さあ、ほら、突っ立ってないで早くこっちの入り口来てよ、次の子たちが来たら入り口が暖炉だってばれちゃうじゃない、ほら、さっさと歩くっ」

モモがぴょこぴょむ跳ねて嬉しそうに暖炉の前に走って行く。ぼくたちも、機嫌の悪い大黒蛇の脇を通りぬけ、暖炉へ走り、その前に立った。
どうやら危機は脱したようだ。
ぼくたちは、互いを見て、無言で、頷きあった。






























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