「つくね小隊、応答せよ、」(48)

「気づきましたか?」

森の住民たちが、渡邉たちを襲った翌日。
狐が他の二匹に問いかけた。

「…あの足音のことか?」

早太郎が目をつむって耳を立てながら答える。金長も同じような顔つきになり音を聴き、

「この足音の感じは…どうやら森の住民たちじゃなさそうですね」

と言った。狐は頷く。

「さっき、木の上まで登って見てきたんですが、二里ほど離れた場所を米兵たちが十数名進んでいました。方角としては、こちらへ向かっていますね」

「おいおいおい。次から次に沼だのワニだのコウモリ女だの河童だの…で?次は敵の兵隊か?」

早太郎が不機嫌そうに言い放つと、狐がなだめる。

「河童はいなかったとは思いますが…米兵がいるのは仕方ないですね…戦場ですし」

金長が腕を組み、あぐらをかいて考える。

「ということは、森の住民と、亜米利加の兵隊、両方から彼らを守らないといけないわけですか…となると、もっと戦略的に考えていかないと…」

狐がひとつ頷く。

「そうですね…。
渡邉たちがどう選択するのか、そして森の住民たちがどういう手立てを講じてくるか、そしてさらに、米兵たちがいつどこにどうやって進んでいくのか、によって、わたしたちの動きは変わってきます。
どちらかといえば、わたしたちはその都度、ばたばたと動き回ることになりそうです」

早太郎が耳の後ろを足でめんどくさそうに掻く。

「いままで動きを見てると、あの森の奴らは、夜にしか動けんらしい。昼間はせいぜい清水たちを迷わせるだけだ。
となると、夜は森の奴らから守り、昼は兵隊たちから守るって感じになりそうだな」

狐が深く頷いて、ゆっくりと語り始めた。

「できるだけ米兵と渡邉たちを近づけたくはありません。米兵たちは十数名、対して渡邉たちは三人です。
ですので、できるだけ彼らが接近しないように、わたくしに、考えがあります。…まずですね、」

早太郎と金長は、身を乗り出した。


同じ日。
日没前の、森が静かになる時間。
遠くで、波の音や、海鳥たちの声が響いていて、穏やかな潮風が、木々の隙間を抜けてゆき、柑橘の夕日が、木々の間を直線に貫く。

アロ一等兵は、足音を立てぬようにゆっくりと進み、今夜の野営地の周辺に敵が潜んでいないか調査している。
他の仲間達も、離れた場所を同じように音もなく進んでいて、その仲間たちとの距離を目の端で捉え、周囲を警戒する。

この辺りは、艦砲射撃で木々が潰されていて、隠れる場所はなく、ある程度遠くまで見通すことも出来る。木々の間からは、金色に輝く夕映えの海が見える。だから、この森に日本兵が隠れている訳はない。でも、もしかするといるかもしれない。だから“一応”という感じで、彼らは歩いていた。

突然、開けた場所に出た。
艦砲射撃が複数着弾し、砲弾の火薬で火の手が上がったのかもしれない。土も木々も焼け、森が開かれ、赤茶けた土や木の中身が露出している。

その場所の真中に、ぽつりと建物があった。
立派な庭もあり、時おり、かこんっという音がする。
ちょろちょろと竹筒に水が流れこみ、そしてその竹に水が溜まると、一定の周期で竹が倒れ、音がする仕組みのようだ。

アロ一等兵は怪訝な顔をした。先程までそんな音は一切聞こえなかったし、そして周囲の木々は燃えてなぎ倒されているはずなのに、家屋には白い紙で作られた窓があり、滑らかで艷やかな廊下が庭と面している。爆風で簡単に吹き飛びそうな作りだが、ついさっき完成したかのような雰囲気だった。

紙の窓の向こうに、誰かがいる気配がした。
人影がゆらゆらと動いている。
アロ一等兵は、手のひらににじんだ汗を太もものあたりで拭って、小銃を持ち直す。
左右の兵隊たちに声で知らせれば、中にいる人間に気づかれてしまうおそれがあった。アロ一等兵はさらに音を立てぬようにして、その家屋へと一歩一歩近づいた。

かこんっ

庭の竹が水を流し、石にぶつかる。

すぅーーーーー

庭に面した廊下の奥の、紙でできた戸が滑らかに、音もなく動いた。まるで、草むらを蛇がゆっくりと進むようなそんな動きだった。

アロ一等兵は、すかさず小銃を構える。
M1ガーランドという名の自動小銃。
渡邉たちが扱う三八式歩兵銃は五発装填、手動で弾込めを行うのに対し、M1ガーランドは八発。そして引き金を引くだけで、自動で弾込めと空の弾の排出が行われるというものであった。

紙と木でできた窓のような作りの戸が、半分ほど開くと、中にはきらびやかな衣服をまとった女が座っていた。
透き通るような白い肌の色。
切れ長の月のような目。
口角の少しだけ上がった赤い唇。
クリスタルのように細く長い指。
ピアノのように深い黒色の結い上げられた長い髪。
彼女全体が、光をまとっているように見えた。

アロは、昔のことを思い出す。
幼い頃に見上げた景色のことだ。

ニューメキシコ州のグローセリーショップの店先に、グミやキャンディーやマシュマロが入った透明な瓶があった。
小さい頃のアロが、そのビンを見上げると、店主の髭面の白人の男が、ネイエティブアメリカンの子であるアロをじろりと見下ろす。アロは、にこりと、ぎこちなく笑うが、白人の男は白い髭の一本も動かさずにアロを見下ろしたままだ。

ニューメキシコで白いものと言えば、白骨化したコヨーテか、生まれたての赤ん坊の歯か、雲ぐらいのものだったが、目の前の水色のビンの中で、真っ白なマシュマロが透き通るように押し黙っている。白くぼんやりと光りを浴びて、ぼんやりとマシュマロは光を放っている。
アロは星を眺めるように、そのマシュマロをずっと見上げた。

眼の前の女は、そのマシュマロの何倍も光をまとっているように見えた。
そしてその女の匂いなのか、香でも焚いているのか、透明感のある花のような香りが漂ってくる。アロは思わず目をつむり、鼻からその香りを吸い込んだ。しかし、すぐに首を横に振って我に返り、慌てて小銃を構え直す。

女と目が合った。
女は部屋の中に座ったまま、アロをまっすぐに見据える。

「動くな」

アロが言うと、女は口元でふふふと笑い、

「動いてなど、いませんよ?」
アロと同じ言葉でそう言った。

「英語を喋るのか?」

周囲を素早く警戒しながら女へとゆっくり近づき、アロが強い口調で問いかける。すると女は正座したまま、ふふふと笑ってそれに答えた。

「どう思われます?兵隊さん」

そして女はゆっくりと立ち上がり、部屋の奥へ歩きながら、柔らかくアロに手招きをした。目元には柔らかな笑みを湛えながら歯は見せない。
魅惑的で、妖艶で、怪しげな日本人の女。
その女が自分に手招きをしている。

…罠に違いない。
アロはそう思った。
あんなに落ち着いて、銃を持った敵国の兵隊と話ができるわけがない。
この庭には地雷が仕掛けてあり、そこに誘導しているに違いないのだ。
アロは、地面をじっくりと見渡し不自然な起伏がないか調べる。
いや、もしかしたら屋根の上から狙撃されるのかもしれない。アロは黒光りする屋根の上を見上げた。
すると近くの木々から鳥が飛び立った。慌てて銃を鳥に向けたが、どうやら鳥同士のただの喧嘩だったらしい。けたたましく鳴きながらもつれ合い、飛んで行く。鳥に驚かされたアロは、ため息をついて、もう一度屋根の上を見上げた。

しかし、そこには屋根はなかった。
屋根どころか、壁も紙と木でできた窓もなく、水の溜まる竹筒も、庭もなかった。
もちろん、女もそこにはいない。
ただ、艦砲射撃で傷ついた森が、諦めたようにそこにあるだけだった。

アロは口をあけ、傷ついた森を眺めた。


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