生い立ちと経歴


人生で大切なことを学んだ小学校

転校生の私を受け入れてくれた友人達

四年生の頃、親の離婚を機に母の地元の小学校へ転校しました。
友達ができるか不安でしたが、転校したその日にたくさんのクラスメイト達が家に遊びにきてくれ、すぐに友達になることができました。
違う方言を話すよそ者の私を温かく受け入れてくれた友達の優しさに学んだことがたくさんありました。

1学年1クラスの道徳の時間多めな学級

私たちの学年は1クラスしかなく、その中には知的障がいを持っている友達、なんらかの理由で親と暮らせず施設から学校へ通っている友達、そして私を含め様々な家族の形を持つ友達がいました。
クラスの中で喧嘩や、家庭での問題があると担任の先生はよく私たち全員を輪になって座らせ、自分たちで話し合う機会をくれました。
その先生の影響で人権や「違い」をどう受け入れるかについて、そして偏見や差別について関心を持つようになり、それをどうやって話し合い、解決していくかという大切な経験をさせてもらいました。
「みんなちがってみないい」という気持ちが芽生えたのもこの頃からで、違いによって排除するのではなく、みんなが気持ちよく一緒に過ごすために、私たちには何ができるのかを、時にはみんなで涙しながら、とことん話し合ったことばかり覚えています。

2004年-部活と生徒会夢中だった中学生時代

中学生になると水泳部に入部し、部活に打ち込むようになりました。
選抜駅伝部にもスカウトされ駅伝部の部長として早朝は駅伝部の練習へ、授業が終わると走り込んでプールに飛び込むという生活をしていました。
三年生の時には副生徒会長になりました。
どんなことをしたかよく覚えていませんが、チームで心一つになる瞬間や何かを作り上げる面白さを学びました。
部活動では練習した分結果が出る種目だったので、忍耐力と粘り強さを鍛えられました。

友人の夜遊びを止めることができず後悔から警察官を目指す

中学2年生の頃から友人が夜遊びを初め、心配でしたが、その子が夜遊びを注意していた先生や親を拒絶するようになり、私からも離れてしまうのではないかと怖くて夜遊びを止めることができませんでした。その後悔から高校卒業後は、深夜徘徊をする少年たちの気持ちに寄り添いながらも、明るい道を示せる警察官になりたいという夢が芽生えました。

「私ってナニジンだと思う?」外国人の母親を持つ友人からの相談

友人が相談してくれたことで、ミックスルーツとして日本で生活する友人のどこにもホームがないという孤立感を知り、心を痛めました。
その出来事ものちに多様性教育や多文化教育に関心を持つきっかけになりました。

2007年-憧れの八女高等学校に入学

塾の帰りに見た同高校の大運動会の練習風景に涙が出るほど感動し、ここに行くと決めました。

大運動会と「文武両道」熱すぎる高校生活

入学と同時に大運動会のブロック決めがあり、応援団やブロック長、各リーダーの先輩達が校歌や校則を厳しく指導し、校則違反などがあると、大運動会の持ち点から減点されるという統率力のある?熱血な高校でした。
生徒で企画や運営を行う大運動会の、腰をのけぞって空に届くくらい大きな声で校歌や応援歌を歌う様子はこの高校名物です。

そんな熱い感じの雰囲気が大好きで私も副ブロック長になり、仲間と一から何かを作り上げる楽しさやリーダーシップについて学びました。
勉強はさっぱりでしたが、古典、漢文、英語が大好きで、昔の人たちの秀逸で可愛い言葉の表現と、今も昔も変わらない人間の心に思いを馳せるのが好きでした。

2008年県の事業でアメリカのサマーキャンプへ参加

高校二年生の夏休み福岡県の事業「青少年アンビシャスの翼」で2週間アメリカのサマーキャンプに参加しました。
そのキャンプでは現地の高校生達と電気もガスもお風呂もない山奥で4日分の食糧を背負い、110kmの登山を2回行うという、ワイルドな生活を体験しました。
そこで出会ったアメリカの高校生達と国籍や言葉や人種の壁を超えて何かを成し遂げた先にある感動を味わうことができました。
英語はほとんど話せませんでしたが、相手を理解する姿勢や、身振り手振りでなんとか伝えようとするコミュニケーション力が鍛えられたと思います。

2009年日本の次世代リーダー養成塾福岡県代表として参加

青少年アンビシャスの翼に参加し、違う環境で育った人たちと語り合い、学び合う楽しさを感じました。
高校三年の夏に、世界で活躍する様々な業界のリーダーの方々の講義を聞き、全国の高校生達と社会課題について議論できる日本の次世代リーダー養成塾に参加しました。
戦争や平和、国、哲学や生き方について2週、間真夜中まで語り明かしました。
この経験が社会課題に関心を持ったきっかけになったと思います。

2010年-福岡県警察警察官を拝命

中学生の頃からの夢であった地方公務員福岡県警察に合格し、警察学校に入学しました。

問題児だったが首席で卒業

警察学校では朝6時半から23時までひたすら訓練と勉強をし、ついていけなければふるい落とされるという激動の毎日でしたが、私は変人なのでそういう厳しい環境やきつい訓練は逆に燃えるタイプでした。

体力系の科目は汗水鼻水を垂らしながら、ガムシャラにくらいつけたのですが、刑法や刑訴法などの座学の授業は睡魔との闘いでした。
うっかり居眠りをしてしまった時は、教官方に火が出るほど怒られて、連帯責任でクラス全員拳立てなどをさせられておりました。

そんな私を見捨てることなく、厳しく指導してくださった担任教官に何か恩返しがしたく、誰よりも大声を出すことと、「絶対に警察学校を首席で卒業する」と心に誓い、その日から居眠りをしないよう座学は全て1番前の席で立って授業を受けさせてもらい(後ろの席の人からしたら完全に邪魔だったと思います)、走り込みや武道訓練では誰よりも声を出し、消灯後も毎日、懐中電灯を口に咥えて明かりが漏れぬよう布団の中で勉強を続けました。(消灯後明かりが付いていたら連帯責任の拳立てです。)
卒業式の日、卒業成績1位で「本部長賞与」を授与し、担任教官に少しでも恩返しができたかなとほっとしました。

2011年-少年補導に力を入れた交番勤務

交番勤務では、落とし物の受理から、パトロール、交通の取り締まり、事件事故現場での事情聴取からそれに付随する書類作成、少年補導、小学校での安全教室、警察相談、酔っ払いの保護、猿や猪の徘徊、行方不明の捜索など多岐に渡り警察業務全般の初動捜査に従事しました。
私は特に少年補導に力を入れていました。
事件事故の合間によくコンビニでタバコを吸ってたむろっていた少年たちに声をかけていました。
彼らが夜中に徘徊する理由は私たちがそうであるように、自分を認めてくれる居場所や属するコミュニティが欲しいからだと思います。
しつこく顔を合わせる度に、心を開いてくれ、徐々に恋愛の相談をしてくれたり、家に帰るよう促すと素直に応じてくれたりするようになりました。
本当は家庭や学校に彼らの居場所があればいいのになと思っていましたが、彼らへの「声かけ」によって、「あなたのことを気にかけている人がいる、もしもの時は頼ってね」というメッセージを伝え続けました。

2012年-刑事第1課の刑事に

年1回ある警察独自の武道である逮捕術大会に出場し、当時監督をしていた刑事第一課の課長から「お前は声がデカくて気合い入っとる」という理由で刑事課に引っ張ってもらい、それから退職するまでずっと刑事第一課の刑事として勤務させていただきました。

刑事第一課では主に、殺人、強盗、強姦、強制わいせつ等の性犯罪、傷害、暴行、放火などの事件を担当し、犯罪の現場臨場、被害者からの事情聴取、捜査、鑑識活動、被疑者の逮捕、取り調べを行っておりました。
また病院以外で亡くなった全ての方々の検視も担当していました。

当時、刑事課で女性警察官が私だけだったこともあり、女性が被害者や被疑者である全ての事案やそれ以外の現場にも臨場していたので、立て続けに入ってくる事件に何日も寝ずにパンツを裏表に履き替えながら勤務したり、久しぶりに家に帰れたかと思うと、その日の午前2時から呼び出しの電話があり、また出勤するという、ほぼずっと泊まり込みで事件の早期解決のため尽力いたしました。

被疑者の取調べでは犯罪の経緯の他に、その人の生い立ちから、これまでの人生についても話を聞き、書類を作成します。
彼らと向き合う中で、彼らもまた家庭や学校、社会から排除された被害者なのかもしれない感じるようになりました。

周りの大多数との「違い」が原因で排除され、孤独で居場所のなかった被疑者の過去にも心を痛めました。
「もし、周りに誰か手を差し伸べてくれる人がいれば、受け入れてくれる人達がいれば、彼らは犯罪という道を選ばなかったのかもしれない。」そう思うほど、差別や偏見のない、優しい社会をつくるためにどうすればいいかと考えるようになりました。

本部長指定特殊捜査員を任命

署の刑事として仕事をしながら、身代金目的の誘拐や立てこもりなどの特殊事件を扱う捜査員に任命されました。

2016年逮捕術福岡県代表選手として全国大会へ

警察独自の武道である逮捕術の福岡県代表選手に選ばれ全国大会に出場しました。
全国大会では惜しくも1位となった警視庁の選手に負けてしまいましたが、自分で自分を認めてあげられるまで努力することで自信がつくことを実感しました。

2017年約8年続けた警察官を辞めて教育の道へ

日々刑事として被害者や被疑者と向き合う中で、この悲しい事件の根本を解決するには、自分や他者の「違い」を大切に思えるような教育と理解を広めていくことではないかと考えるようになりました。

そこで、高校2年生の頃参加したアメリカのサマーキャンプを思い出したのでした。
当時の私には、多様な「違い」を持つ人達が自分らしく堂々と自己表現をしていたそのキャンプでの光景が強烈に旨に焼き付いていたからです。

一年後の夏にそのキャンプにカウンセラー(指導者)として戻ることを決め、約8年間続けた警察官を退職しました。

2017年-英語の勉強のためホテルでアルバイト

高校2年生の頃参加したアメリカのサマーキャンプでカウンセラーとして働くために、まずは英語の勉強をと思い、「英語 福岡 仕事」でweb検索し出てきた株式会社フォーブスホテルウィングインターナショナル博多新幹線口というホテルで1年間限定でアルバイトを始めました。

始めてのサービス業、今までやってきた「気合い、情熱、根性」とはまた違うタイプの仕事でしたが、お客様の困りごとや不安をを解決するという点で共通する部分があったので、プラスアルファのサービスを心掛け、予約の受理、チェックイン、チェックアウト対応、地理案内、コンシェルジュ業務などを行いました。
入社後3ヶ月で全国ホテルウィンググループのスタッフ中、会員獲得数が2ヶ月連続で1位になりました。

2018年米国のサマーキャンプのカウンセラー

アメリカのサマーキャンプのカウンセラーの試験に合格し、念願のカウンセラーとして夏休みの間、アメリカの小中高生達に自然教育、多様性教育、登山、日本文化クラスなどを企画•運営しました。

アメリカでは、ほとんどの子どもたちが夏休みに何らかのサマーキャンプに参加しそこでリーダーシップや協調性を学びます。

カウンセラーの仕事は、先生のようなものですが、時に行政や警察と連携し、参加者の家庭の問題などについて向き合い、カウンセリングを行い参加者の心のケアも行います。

同僚達に日本で「違い」を楽しめる教育の機会をつくりたいと話すと別のNPOを紹介してもらい、キャンプのシーズンが終わると一度帰国した後、そのNPOでファシリテーターをさせてもらうことになりました。

2019年多様性教育を行う米国NPOでファシリテーター

米国カリフォルニアのベイエリアの各小学校から1クラスずつ集まった生徒達が5日間かけて様々な人種の子達とともに多様性教育、多文化教育を学ぶプログラムのファシリテーターとしてボランティアをさせていただきました。

そのプログラムでは
1日目:自他を尊重する方法
2日目:特権について学び、他者や自然とつながる方法
3日目:自他を尊重した聴き方、伝え方、共感力
4日目:実際に偏見や差別と対峙した時の模擬練習
5日目:紛争解決の実践練習
など「平和」を築いていく人になるためのプロセスを段階的に学べるプログラムで、私自身ずっと探していた、楽しみながら「違い」が豊かさだと感じられる教育そのものでした。
ファシリテーターをしながら、多様性教育や多文化教育を実践的に学ぶアクティビティや手法を習得しました。

2020年-英語の民間学童でバイリンガル講師

帰国後、多文化教育を行うキャンプで起業も考えましたが、家庭環境に関わらず参加できるものという条件では、なかなか収益につながるビジネスモデルを見出せず、多文化教育キャンプはボランティアで運営することにし、英語で遊んで学ぶKidsDuoという民間学童でバイリンガル講師として転職しました。

教科書を使わずに、サイエンス、図工、演劇、ダンス、道徳などの授業を英語経験0の子ども達に英語で教える仕事でした。
アクティビティの考案からイベント企画、運営、保護者対応、生徒対応などを担当していました。
言語に頼らないコミュニケーション力や、アクティビティをつくる力、企画力も身につきました。

また、多様性教育について学べるアクティビティや子どもの対話型アクティビティを実践しました。
私のクラスを受けた生徒が、小学校のSDGsの授業で「ジェンダー平等を実現しよう」をテーマに選び作ったプレゼンテーションを見せてくれ、授業から感じたことを行動に移してくれたことがとても心に残っています。

2022年-世界の教育を見るため教育機関を回るボランティア旅

世界中の子ども達が友達になり、互いから学び合う機会をつくりたいと思い、また世界の教育を見てみたいと思い、今年10月中旬からタイとマレーシアの教育機関でボランティアをする旅に出かけました。

タイの山岳地帯の孤児院/学校でボランティア

ミャンマーとの国境近くにある「バーンサイルン」という山岳地帯に住んでいたことや、家庭の事情により教育の機会がなかった無国籍の子ども達を受け入れ生活と教育の支援を行っている学校で英語、日本語、空手を教えるボランティアをしました。
モン族、カレン族などの少数民族の子どもたちがタイ語、日本語、英語、算数、農業などの教科を学んでいました。
子ども達の学べることを幸せに思う気持ちが伝わってきて、私が何不自由なく教育を受けさせてもらえたことへの感謝の気持ちが込み上げてきました。

マレーシアの公立小学校でボランティア

マレー系、インド系、中華系と原住民の方々が一つの国で紛争をすることなく生活しているマレーシアで、子どもたちがどのような教育を受けているのか学ぶためBukit Mutiaraという公立小学校で英語講師のボランティアをしました。

マレーシアの自然学校でボランティア 

Raunforest Schoolというシュタイナー教育を行っている中国系の子が多く通う自然学校で多文化教育のボランティアを行いました。
マレーシアでは、あからさまな人種間の争いは無いものの、目に見えない人種間の偏見や、隔たりがあると感じたからです。

2021年-2022年ダイバーシティキャンプin福岡を企画運

2021年10月
2022年10月

ダイバーシティキャンプin福岡という「みんなちがってみんないい」を楽しめる子どもキャンプを多言語で企画運営しています。

アクティビティを通して子どもたちが、自分自身を探求し、表現しあったり、一人一人が持つ「ちがい」を楽しみ尊重し合える多文化教育を軸としたキャンプです。

今後も多様性教育や多文化教育を軸に子ども達と共に「みんなちがってみないい」を感じられる社会づくりに貢献していきたいです。

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