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続・『夢見る小学校・完結編』ー 夢を見るのは大人の方だ

『夢見る小学校・完結編』の余韻は続く。

今朝、わたしより先にこの映画を
観ていた夫と、映画の話をする中で、
『これは大人が夢見るための映画だよ。』と。

至極納得。

確かに、わたし自身も
自分と同じくらいの背丈ほどの
稲藁を首にかけ、どろんこになって
田仕事をする子供たちの歓喜が
伝わってきた時に、
あぁ、こんな場を私たちの田んぼでも
もっと作りたい!!と深いところで
何かが弾けた✨

この映画に登場する大人たちも
自分が夢見た教育や学校を
描いていたのだろうなと思う。
この学校にお子さんを通わせている
親御さんも、多くは様々な事情と
共に、自分が受けたかった教育を
子供達に受けさせたかったんじゃ
ないかなと勝手に想像する。

当事者の子供達よりもきっと
大人の夢の方の方が
強く働いていると思う。

先日会った、この学校の元学生の子も
実際、それなりのドラマがあるし
学ぶ範囲は果てしなく広がるので
大変でした〜と、苦笑いも。

自分を振り返ってみても
なんだかいつのまにか、夢らしい夢を
描くことが本当に少なくなったと思う。
そもそも、そんなに夢見がちな
子供でもなかったのだけど、
それなりの未知への期待感をいつも
持ちながら、歩んできたと思う。

でも、特にこのコロナ禍であらゆる
情報が飛び交い、また、体験も含め、
少なからずその影響を受けて、
無防備に心を開いていくことに
注意深くなっているのを感じる。

年齢的なこともあるかもしれないし
これまでの経験が培ったものも
もちろんあるとして、
無防備にしていると、何かに
巻き込まれそうだ、という感覚が
じーっと心の底を這っていて
スカッとしない感覚があるのは確か。

このところ、心を揺るがす映画を
立て続けに見ながら、
こうして、自分の琴線に触れる時間は
今の自分に必要なことだと感じてる。

YouTubeやこのSNSを通して
自分のメディアを持ってほんとに
あらゆるレベルの情報を発信している中
アクセス数を稼ぐために過激な噂話や
それこそ夢見る者たちを刺すような
発信がネット上を駆け巡る。

世界観の多様性といえば聞こえがいいけど、
自分にとって毒になるか
栄養になるかを見極める力は
持っていたいもの。
(最近、ちょっと毒に触れたので
個人的にクローズアップされてます😅)

そのためにも、自分の感性を磨きつつ
夢見る心の扉をもう一度思い切って
開いてゆきたい。

次に続く子供達にこの世界を
どうにかしてもらうのではなく
彼らが夢を見られるような世界を
創っていくのが今の大人の責任。
その責任を果たすためにも
遊ぼうぜ、大人たち😆
大人が遊ばなくちゃ、子供達は
のびのび遊べないから。

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