一度だけ近い過去の話もしよう

前回の続き。予想通り資格を手に入れ就職し、家を出て家族を手に入れ、このまま兼業主婦として一生を終わると思っていた。
とはいえ、実は今通っている学部はできた時から気にはなっていた。しかし当時は退職するなんて思いもよらなかったし、子供はまだ手がかかった。家族と離れて遠くに行くことも、そもそも受験することも夢物語だった。
ところが状況が変わった。今回の話の本筋ではないので詳細は省くが、結果私は早期退職し、再受験を選ぶことになった。

実際、一番の勝因は「心理戦に勝った」事だと思う。絶対無理だと思っている夫に「一度だけ挑戦させて」と頼み、「いいよ受かったら行っておいで」と言質を取った。ついでに「後戻りはできない」という覚悟も決まった。後に「まさか受かるとは」と、家族3人に6回くらい言われた。

戦略はともかく戦術としては、
・共通テスト型にした
1年で記述問題を仕上げるのは無理だと思い、共テ1本に絞った。大体75%超えがボーダーのようだったので、トータル8割を目標にした。実は札幌で受験できる全学統一文系試験も受けた。が、やはりさくっと落ちた。私大なめたらあかん。

・数学を切った
自分には図形認識能力がない。頭の中でサイコロが転がせない。なので、数Ⅰの三角比が立体になったやつと、数Aの空間図形の問題がどうやっても解けない。ベクトルと軌跡も辛い=数ⅡBも厳しい。仮に昔レベルまで取り戻せたとしても得点率は7割いかないし、それ以上どうにか出来る保証もなくコスパも悪いので数学は諦めた。
※2022年は共通テストの数学が激的難化した年だった。つくづく数学を選ばなくてよかった。

数学を捨てた時点で「共通テスト5教科型」と「3教科型」に絞ることになった。5教科型は英国理と社会2つ、3教科型は英国社にした。

・理科を基礎にした
化学1つにしようか、基礎(2つで1教科扱い)にしようか迷ったが、時間的に有機化学までは届かないと思って化学基礎+生物基礎にした。しかし、生物基礎はキツかった。なにせあの世界は日進月歩、私が卒業してから発見されたノーベル賞ものの研究などが普通に重要用語になっていて、一から覚え直す羽目になった。逆に化学基礎は範囲が狭くやりやすく、そっちで得点を稼げたのが大きかった。

・世界史がもともと大好きだった
これだけは私大レベルまでやり込んだ。世界史をみっちりやると、倫理の半分は楽に取れるので、もう一教科は倫理にした。1日1個世界史の小ネタを旧Twitterに投稿していたのだが、2年を経ても時折インプレッションがついたメッセージが届く。いつか整理してまた発表したいな。

・国語は相性が良かった
かつて9割取れていた国語。古文と漢文は忘れ去っていたが、娘の対策問題集をやってみたら現代文はやっぱり9割弱取れた。うちの学部は現代文だけを2倍して200点満点という、私にとってはボーナスステージ状態なので漢字だけを学習して挑んだ。結果、得点率87%。多分これがなければ受からなかっただろう。

・英語はリスニングだけをやり込んだ
センターの時は桐原の即戦ゼミを10周くらいしたら文法問題はほぼ解けた。しかし共通テストにそんなぬるい4択問題なんてない!しかも昔は単語の発音とかアクセントとかがメインだったリスニングが100点分になって登場。スライムが進化して中ボスになったようなもんだ。限られた時間で読解を鍛えるか耳を鍛えるか迷ったが、60点を90点にするよりは10点を60点にする方がまだ可能だろうと、アプリでひたすら英文を聞いて書きとるディクテーションを娘と一緒にやった。本番は全然聞き取れず、あ、これ死んだと思ったがどうにか7割は取れた。

結果、3教科型で79%、5教科型で77%。科目が少ないほど得意教科のせめぎ合い=ボーダーラインは上がるので、3教科型はほとんどギリギリ、5教科でもそんなに余裕ではなかったが、とにもかくにも合格した。

科目をカスタマイズできる私大だった、もともと国語が得意だった、勉強が苦にならない分野(世界史)を持っていた、仕事の性質上理科に苦手意識がなかった等々、向いていた要素はあっただろう。しかし「ブランク」「年齢」「家事」「ストレス」等の要因を無条件で打ち消せるほどのアドバンテージがあったとも思えない。

要は「必死にやったからできた」のだ。裏を返せば「きちんと計画を立てれば、40代のおばさんでもこのレベルまではいける」ということだ。

いわんや10代をや。体力も根性も可能性もあるはずの若いもんたちが、どうかひたむきに努力し、それに見合った結果が掴めますように。あ、あと、頑張ろうと思っている再受験生の方がもしどこかにいたら、年齢は壁じゃないです、大丈夫。

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