出来るとは
もう夏が終わろうとしていますね。
この3ヶ月、いろんなことがありました。
プライベートでも職場でも。
そこで疑問に思ったことは「出来る」の価値観について。
今、縫製工場に勤務しつつ、型紙の見方すら何もわからないような初心者でも、とても丁寧に指導して頂いています。
普通はそんなことないはず。
“これこう縫って”
それだけなはず。
でも丁寧に一から教えていただけて感謝しかないです。
仕事をやり続けていろんな型や生地が来ます。
そしていろんな工程をやらせていただけているので、ハイレベルすぎます。
縫うたびいろんなことが起こるので、
はじめたばかりの最初の頃はちょっと出来ただけで
”縫えるようになった!”
と喜んでいたのですが、だんだんそれが出来なくなりました。笑
縫製の奥深さに驚愕しております。
なので、出来るようなった!と言えるものがなくなってしまいました。
(本当にヒモやゴムの付属を縫うことくらい...笑)
もちろん、始めたばかりの頃に比べたら
ミシンの踏み方にも慣れて、うんと縫えるようになっています。
でも縫えば縫うほど、
”もっときれいに出来る。”
”なんか師匠のと違う...”
そういう違いに気づき始めました。
きれいに縫えたつもりでも、1mmいや0.5mm、ほんの僅かの差で大きく精度が変わってしまうのです。
最近はそんな壁がたくさん立ちはだかっています。
でもこの壁を壊していくのが今のモチベーションになっています。
なので、私にとっての「出来る」は追求し続けることだと思っています。
自分のレベルに満足していてはダメで、さらには工場の中だけで満足していてもダメ。
外にはまだまだうんとすごい人がたくさんいるから。
いろんな服見て、いろんな縫製見て、勉強し続けることが「出来る」に繋がっていくのではないかなと思っています。
周りに認められてこそ、技術はあるべきものだとそう思います。
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