夫に「ネイリストに転職したい」と言った。

「家を建てる時、駅の徒歩圏内なら今の職場に通い続けられるからって言ったから(土地代が高い)ここに建てたのに。その約束を反故にするってことでしょ」

そんな約束、してないけどなぁ。
じゃあ私、家を買った時点でこれから何十年の未来が固まってしまったの?
あなた一人の名義のお家なのに?

「趣味とビジネスは別物でしょ」
「そんなにしたいなら、友達にしてあげたり、インスタにあげたりしたら良いじゃない」

そんな時間、どこにあるの?
一度きりの人生、一回くらい、誰も喜ばなくても、自分がやりたいことやってみたいよ!!

「美容業界なんてこき使われて搾取されるだけ。わざわざそんなとこ行きたがるなんて、頭おかしいんじゃないの」
「どうしても転職するなら、この家から出て行って、一人で生計立てて。甘えないで」

勿論、今より稼ぎたいからこそ転職したいの!賃金は低くなるけど、まずは一回転職して、経歴とスキルを積みたい。並行して資格を取って、二年以内にはサロンを開きたい。資本主義社会で、労働者じゃなくて、小さな規模でも一度資本家になってみたい。もしダメだったとしても、起業経験があればまた就職する見込みもある。
娘の学費の貯金もやめないし、これまで通り生活費は私が出す。

「転職したい理由を教えて。今の職場が嫌いとか、今の仕事よりネイルが好きとか、何かあるでしょ」
「まあ何言われても絶対反対、絶対ダメなんだけど、一応聞く。」

夫がせっかく聞いてくれているのに、どうしてどうして、言葉が出ないのだろう。
どうして無駄な涙ばかり出るのだろう。

頭の中で、沢山の言葉が大きな竜巻に巻き上げられている。外に出るのは涙ばかりで、首は、喉は、内側から締め上げられるように熱く苦しい。

私の人生なのに。
私の人生なのに。

思わず自分の腕を強く抱く。これは、かつて母にいじめられていた時と、全く同じリアクションだな。何を言っても不正解なのに、母は私を目の前に正座させて、私が何か言うのをずっと待っていた。そういう時は大抵、私の横にすっかり冷えてしまった夕飯が、早くこの茶番が終わらないかと退屈そうに待っていた。

 私は私の結婚を、とても良かったと思っているけど、側面の一部としては、怖がる対象が母親から夫に変わっただけのことなのかもしれない。
「ママ、泣イテルー」と娘は言う。
「イイコ、イイコ」と頭を撫でてくれる。
私が彼女の目の前で泣くことが、彼女の深層心理でトラウマになったりするのだろうか。あぁ、嫌だなぁ、嫌だなぁ。

眠り、目覚ましの音で起き、出かけ、働き、帰る。

淡々とすぎていく一日。絶望していても、私は今日も、そんな穏やかで何事もない一日を過ごした。そう、過ごせるのだ、私は。すごく不謹慎だけど、病気になって、人生を、不可抗力で休みたかった。
 同僚と談笑し、面倒な仕事を少しだけやっつけて、460円のお弁当を食べた。おかずがクリームコロッケだったことだけは、嬉しかった。

 この平穏を、静謐を、なぜ愛せないんだろう。どうして今あるものに満足できないんだろう。単に私が贅沢者でないものねだりである可能性を考える。あるいは、未熟で精神年齢が著しく低い可能性を。いい歳にもなって、地下ビルの柱に隠れて涙を流す。私は40になっても50になってもこうして泣いてるんだろうか?

びっくりさせてごめん、私バカだったね😂

と、困り顔で夫に言えるだろうか。
言えないから、帰れないのだ。

私の中のお母さんは死んでしまったの。
どうしてこんな時こそ、助けてくれないのだろう。


 変な話だけど、周りにいる大好きな人がみんないなくなったら、私はようやく自分の欲望のまま生きられる、ということのようだ。私という人間は、とても柔らかい性質を持っていて、押されれば凹み、引き伸ばされればどこまでも伸展し、そんな柔らかい性質だからこそ、家族に愛され、友人に愛され、職場の皆様に愛され、今日まで無事生きているのだろう。
 人にもみくちゃにされる人生しかなかったものだから、何の外力も無くなった時、自分がどんな風なのかわからない。
私が欲望を貫くことによって、私は労働力を搾取され、生活に困窮し、嫌味な人間に囲まれ、自分も家族もどん底に不幸になるんだろうか。
そんなリスクを背負うくらいなら、今の生活がどれだけ暖かで幸福なことか。

 それは意気地なしと断罪されることかもしれない。そう、私には意気地なんてない。そんなものはずっと昔にベコベコに折られて、踏み付けられて、もうない。でも、いつまでもそうやって過去のせいにすること自体、情けないことだと、頭では識っている。

こうやって胃もたれしそうなほどの感傷に浸り、年甲斐もなく泣き、でもそうやってゆっくりと振動がなくなっていくものなら、良いのだ、良いのだが。怖いのは、いつか耐久力の限界が来ることだ。精神科に行くべきか。こんなに恵まれているのに。私に苦しむ資格などないのに。これまで何度も何度も何度も逡巡したが、これまで結局、一度もお世話になったことはなかった。結局、私はどこまで落ちても自力で平常を取り戻せるのだ。連日不眠に悩まされることもないし、朝起きれなくなったこともないし、ごはんも食べられる。本当に鬱で苦しんでいる人に比べ、自分はなんと強かなのだろう!

今はこれだけ苦しいけど、多分、いや絶対、また一人で元気になる。そしてまたもみくちゃの社会に戻る。しかし、急がねば。
明日は職場の後輩とイタリアンでランチだ。
来週は新人歓迎会、その次の週は先輩たちとアフヌン。
帰りが遅くなるから、夫孝行もしなければ。
頑張れ、頑張れ、頑張って戻ろう。

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