闘うつもりはないの、感謝して退場してもらうつもり・・・
今日は、雨。土日は治療もないし、展望温泉もはいれないから、ある意味張り合いがないのよね。
窓から見える駐車場もガラガラ。
ここから続いてます
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治療の話の続きは、また次にするとして、ちょっとだけ息子の話ね。
ここまでもちらりちらりと書いてきたけれど、息子は5歳の時に白血病と診断された。
何年間かイギリスに住んで帰国して半年後。
おたふくで幼稚園を休んでいた息子の脾臓がかなり腫れている。
あわてて、近くの病院に運んだところ、
「これは重大な病気の可能性がある。専門の病院に紹介しますが、どこにしますか」
一人っ子だった。
「どこでもいいので、一番いい病院を」
とお願いすると50キロ離れている県立のこども病院を紹介してくれた。
救急車で運ばれる息子。
私たちは車で後を追った。
休日だったこともあって、
「検査結果は月曜日にでます」
月曜日の朝、帰りが遅くなった時のためにおでんを鍋いっぱい作ってから出かけた。
主治医に別室に呼ばれて、
「残念ながら、あなたのお子さんは白血病です」
多分30分以上色々な説明を聞いただろうが、覚えているのは二つだけ。
「日本では年間3000人のこどもが白血病にかかっています」
「平均は7割治りますが、うちの病院では8割をめざしています」
年間3000人!
ということは、毎日、7組の親が私たちと同じように日本のどこかで
「あなたのお子さんは白血病です」
と言われているんだ。なんて、意味もないことを計算していた。
病室に20人ぐらいの子供達が入院していたが、このうちの4〜6人は来年いないんだ。
そう思うと、自分の子供がその2〜3割に入るような気がして、たまらなく不安になった。
朝作ったおでんは、全く食べる気になれず、1週間後に鍋丸ごと捨てた。
食欲がない・・・食欲を感じないということを初めて体験した。
いやあ、そのままだったらスリムでいられたんですけどねえ。
当時の白血病の治療は、全身に抗がん剤を投与して、白血球を死ぬか生きるかのレベルまで殺す。
それから、急いで白血球を増やす薬を入れる。
正常な細胞の方が先に増えてくる。
それを何回か繰り返す。
白血球を増やす薬を入れるタイミングを間違えると、白血球が増えてこないなんてことも起こる。
文字通り死ぬか生きるかの治療だ。
全身に抗がん剤が回っている子供たちは、食べては吐く。
それでも、なんとか口から栄養を取らせたいとまた食べさせる。そして、吐く。
何人もの友達を見送った。
子供達には、
「○○君は、転院したよ」
と、伝えるが、無菌室に入っていた友達が、ある日、いなくなれば、大きな子供たちはみんなわかっている。
なのに誰も、口に出さない・・・
そして、ほぼ一年後、予定された治療を終え、みかけ上、がん細胞が見えなくなった状態(寛解)になると、退院する。
息子は再発、そして、再再発してそんな治療を3回も受けた。
大変なのは、入院中よりむしろ退院してからだった。
体力はない、髪の毛はない、勉強は遅れている、社会性はない・・・いじめの対象になったのも無理はない。
担任に相談しても、
「○○君は、あんな子だからいじめられてもしかたがない」
とまで言われたこともある。今思い出しても、くやしい〜〜
そんなこんなで、彼が幸せな時間を過ごしたヨーロッパにもう一度戻してあげたいと、スウェーデン赴任を決めた。
中学入学の直後のことだ。
スウェーデンのインターナショナルスクールに通って1ヶ月ほど経った頃、私たち両親は、担任の先生に面会を求めた。
いろいろなことで手をわずらわせていると思ったからだ。
彼の担任はイギリス人のパトリックという30代の男性だった。
手に持っていたバインダーには、親にあったらこれも言おう、あれも言おうとたくさんのメモが書いてあった。
まずは、私たちが、彼のこれまでの歴史について話した。
イギリスで育ったこと。
白血病で3回も入院したこと。
そのために、いろいろ他の子と違っていたり遅れていたりすること。
聞いていたパトリックは、手にしていたバインダーをパーンと机の上に投げた。
「彼にとって勉強ができないこととかそんなことはどうでもいいことだ」
そして、こう言った。
「He is a good fighter. You must be proud of him.」
(彼は立派なファイターだ。 あなた方は彼のことを誇りに思うべきだ)
嬉しかった。
そんな言葉を日本の学校では一度もかけてもらったことがなかった。
そうだ、彼は命懸けの戦いに勝ち抜いてここにこうしているんだ。
その戦いを一番近くで見ていたのは私だった。
誇りに思うべきだ。ほんとうに、そのとおりだ。
そして、今、私は、似たような立場にいる。
でもね。私は、癌と闘う気はない。
だって、私の中で私が作ったものだ。
何かの意味があって、作られたのだ。
いつまで経っても無茶な仕事の仕方をやめようとしない私に体が体を張って警告を出してくれたのだと思う。
だからね。
癌に感謝して、ありがとう。でも役割は終わったよ。
どうぞお引き取りくださいと、笑顔で出ていってもらおうと思っている。
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ここに続きます
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