良い靴は良い場所に連れていってくれる
何を言っているのかよくわからない
「良い靴」ってどんな靴?
「良い場所」ってどこ?
わからない。
人々は「良い靴を履くことが楽しみで出かけるきっかけになる」とか、「普段行かない高級な店にも高い靴を履いていることで気軽に入れるようになる」とか各々の解釈を語る。
なるほど、二理ある。
しかし結局「良い靴」「良い場所」とはどういうものを指しているのだろう?
この言葉の出典
「良い靴は良い場所に連れていってくれる」
この言葉が紹介されるとき、おおむね「ヨーロッパ(あるいはより具体的にフランスやイタリア)の諺では…」の枕詞つきで紹介される。
しかし、これはたぶん間違っている。
「良い靴は良い場所に連れていってくれる」という言葉が最初に登場したのは、おそらく日本の漫画『花より男子』の2巻(1993年発行)である。
英語・フランス語・イタリア語で調べても、ヨーロッパの人がこの言葉に相当する表現を使っている例は見つからず、見つかるのは日本語からフランス語や英語に翻訳されたものや韓国ドラマ版「花より男子」を由来とするものである。
実際のところ、ヨーロッパにはそんな諺は存在しないと思われる。
私の考える良い靴・良い場所
話を戻すが、「良い靴」「良い場所」とは何だろうか?
ここまで読んだ読者の約5人に1人は「自分が良いと思った靴(場所)が良い靴(場所)ってことでいいんじゃね?」と思っているだろう。
このように読み手の解釈次第でどうとでも取れる曖昧な言葉について個人的に色々と言いたいこともある。しかし、その意味を具体化することは現実的に難しい。ここでは一旦…
自分で「良い」と思える靴を履いた結果、
主観的に「良い」と思える場所に到達できる可能性がそれなりに向上する
という解釈で話を進めることにする。
目標は明確にイメージせよ
ところで、みなさん十中八九「良い場所」に対して抱いている解像度がやたら低い。
なんとなく「高級ホテル」とか「高級レストラン」とか「高級ブランドのブティック」とか、そんなところだろう。
これではゴールの位置を把握していないのに適当にボール蹴ってサッカーで勝とうとしているようなものである。
「仕事上の立場」とか、「人生のパートナーとの出会い」とか、そういったことでも良いのだが、とにかく「良い場所」に到達したいのであれば「良い場所」のイメージを固めることが何よりも重要である。
目的があっての手段である
まあみなさんが抱くわかりやすい到達点と言えば、だいたい年収1000万とかそんなところだろう。よし、今からお前の名前は「千」だ。
千のみなさんはほとんど人生1回目だろうから、目標に至る正解ルートを正しく把握することはできない。そのため、ある程度の試行錯誤が必要になる。
まずは「良い場所」に到達するために自分が試行してみるべきアイデアを整理して、優先度順に並べてみよう。
そのリストの中で「良い靴を買う」はどのあたりに入っているだろうか?
リストに入らないなら、良い靴なんて必要ないのかもしれない。
実際、靴にこだわらないで成功している人なんて鹿の数ほどいる。
世の中には高い靴履いている人はたくさんいるが、彼らは高い靴を履いているからお金持ちになったのではない。お金持ちになったから高い靴を買っているだけだ(もちろん高い靴が良い靴とは限らないが)。
とはいえ、やらない理由を考えるよりは深く考えずに一度やってしまったほうが良いことは多い。
重要なのは目的意識を持って俯瞰的・主体的に自身の選択をコントロールしていくことだろう。
私の考える良い靴
上で「試行錯誤が必要」と書いたが、より正確に言うなら、人生においてより多くの成果を生む要因は目標に向けた仮説を立てた上での試行回数の多さである。適切な土壌に種をたくさん撒けばたくさん芽が生えてくる。そのために、フットワークを軽くすることが肝要だ。
この考え方をもとに、私の考える「良い靴」はフットワークに重点を置く。具体的な要素としては、以下のようなものになる。
雨の日でも履ける(つまりレザーではなくラバーソール。ちなみにレザーソールが通気性が良いとする人もいるが、これは完全に嘘。アウトソールをレザーにすることに見栄え以外のメリットはない)
歩きやすい(痛かったり疲れやすかったりしたら遠出したくなくなる。歩きやすいと言っても道路の状況や歩行時間で適切な靴は変わるわけで、自分の想定するユースケースに適合していることが重要)
着脱がラク(ローファー等。案外、靴を履くのが面倒で外出したくないということはある)
滑らない(ヒールトップに飾り釘があると滑ることがあるので、飾り釘はないほうが良いと思う。まあ高級靴はだいたい飾り釘打っているが、実用上はほぼデメリットしかない)
自転車に乗る、走るなどのアクティビティが問題なくできる(これは足に合っていれば基本的にはできるが、レザーソールはやや不向き)
見た目が悪目立ちせず、服装に自然に馴染む(たとえばロングノーズや奇抜な色は悪目立ちする)
実際にすべてを1足で満たすことは難しいので、複数の靴で上記の条件すべてを満たし、自分の行動量を最大化できるデッキを組むことになる。
なお、靴を買うことで以下のような状況が発生するのであれば、それは私の基準では良い靴ではないと考える。
靴を汚したくないから雨の日に外出しない(行動を阻害する要因になっている)
歩くと痛いから遠くまで出歩かない(同上)
満員電車で踏んづけられる等で精神的ダメージを受ける(不要なストレスを生じている)
大量の靴で収納場所を圧迫している(使わないものは財産ではなく負債である)
最後に
読者のみなさんはどんな「良い靴」を履いて、どんな「良い場所」に行きたいだろうか?
ひょっとすると多くの人々は本来は不要な高い靴を買う(あるいは買わせる)という行為を正当化するための言葉が欲しいだけで、その大義名分が事実なのかどうかを知りたいなどとは思っていないのかもしれない。
しかし、曖昧で都合の良い言葉は他人を動かすときには有効だが、それを自分自身の行動原理として都合良く適用してしまうと、結局「良い場所」には到達できないかもしれない。
それではまた。良い場所で
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