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美術展レポート〜オリジナル・解釈・表現のズレを楽しむ〜

2つの企画展を訪れた。
まずは練馬区立美術館で開催されている平子雄一さんの展示。

美術館にある「コレクションの中から10点の絵画を選び、分析、解釈し、それらの作品から様々な要素を取り込んだ新作絵画を制作し、選んだコレクションとともに公開する展覧会」とのことで興味を持った。それぞれの作品を通して平子さんの中に湧いてきたイメージが作品の傍のパネルに描かれており、それらが混ぜ合わさって巨大な作品が生まれていくプロセスを感じることができ、非常に興味深く感じた。「自然」という共通のテーマを共有しながらそれぞれ独立している10点の作品。それらの要素が平子さんの感性によって「分析、解釈」され、単なる複製とは全く異なる新たな形となって新たな様相を帯びていく…。なんとなくだけれど、ブルーノ・ラトゥールの「純化」と「翻訳」という概念が、ふと頭に浮かんだ。

もう一つは、水戸芸術館で開催されている中﨑透さんの展示。

水戸芸術館という場自体が異種混淆的でダイナミックな取り組みをされており興味深く感じたが、そのような生き生きした雰囲気の館内に飾られた中﨑さんの作品を通して、人々の語りやデザインの中にある思いを解釈し、それを翻訳あるいは変容させることで生まれる重なりやズレを探究するアプローチにたくさんの刺激をいただくことができた。

2つの展示から、個々の要素の独自性と、それらを解釈すること、そしてそれを表現すること、それぞれのギャップがあるからこそ〝動き〟が生まれるのだと感じた。教育や保育などの場面に置き換えると、例えば子どもたちの表現や働きかけを教師・保育者が解釈をし、応答する・あるいは何らかの物を用意するという日常的な、けれど実践を動かす局面になるだろうか。時にマッチし、時にズレを引き起こし、修正され、変容し、様々な要素を巻き込みながら進んでいくー。そんな一瞬への意識・自覚を、2つの展示から再認識することができた。

余談だが、オンラインで仲間たちと「もじつけ」という遊びを行なっている。

異質な文字同士(最近は、これまでの人生で見たことがない文字たちも頻繁に登場する)を使い、文字列をランダム生成して、そこからイメージしたものを表現してシェアするという遊び。

なんとなく、今回興味を抱いて訪れた2つの展示とコンセプトが重なる気がして、改めてこの遊びの面白さや私自身が大切にしたい哲学が明確になった気がした。

2022年も残りわずか。来年も様々な美術館を訪れ、考えを深めていきたい。

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