Nishi

東南アジア在住。看護師。 日々考えていることを、書き散らす。 Twitter --&…

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東南アジア在住。看護師。 日々考えていることを、書き散らす。 Twitter --> https://twitter.com/pegu0224

最近の記事

【イラスト解説!】今さら聞けない「ミャンマー軍事クーデターって何?」

2021年 2月 1日、ミャンマーでは国軍がクーデターを起こし、国の全権を掌握しました。 これに対して、市民はミャンマー国内の町という町で、さらには日本でも、必死の抗議運動をつづけています。 なぜミャンマー人たちは、そんなに必死なの? ミャンマーの軍事政権って、そんなにヤバいの? 今さら聞けない「ミャンマー軍事クーデター」について、ぎゅっと5枚のイラストにまとめました! 私は今ミャンマーに住んでいます。 大通りからは毎日、デモのために集まった群衆の声や、エンドレス

    • ぐるぐる時間からの脱却

      2020年、私はあることに気がついた。 時間にはどうやら、2つの種類があるらしい。 1つは、ぐるぐる回りつづける輪っかのような時間。そしてもう1つは、ぐるぐるしながら伸びていくコイルのような時間、だ。 私の場合、2020年は、ぐるぐる回る輪っか時間をひたすら重ねた1年だった。 もちろん原因は、新型コロナだ。 2020年、自粛生活のはじまり2020年4月。ミャンマーでstay homeがはじまった。町はロックダウンされ、仕事は在宅ワークに。友達もほとんど日本に帰ってし

      • 目の見えない人と一緒に見る世界

        数年前、白杖をもった人と歩いたことがある。ほんの数十秒の、やりきれない思い出だ。 その夜、私は駅のベンチで終電を待っていた。すると突然、静寂を破って、カランカランッと空き缶の転がる金属音が響いた。 スマホから顔をあげると、スーツ姿の男性が白杖を動かしながら、こちらに向かってホームを歩いてくるところだった。空き缶は、彼の白杖に当たって飛ばされたものらしかった。 あぁ、見えないのか。 とっさに立ち上がり、その人に声をかける。「あの、改札まで一緒にいきましょうか」。 彼は

        • ブックカバーチャレンジを批判する人へ

          友達からFacebookで「7日間ブックカバーチャレンジ」なるものが回ってきた。 いわゆる「バトン」形式で、7日間1冊ずつ好きな本の表紙(ブックカバー)の写真をアップして、同時に、毎回1人の友達をこのチャレンジに招待するというもの。 これについて「チェーンメールと似た構造なので、断るべきだ」という批判をチラチラ見かける。「その通りだ!」と同意する人もいる。 でも、本当にそうだろうか? 私はそうは思わない。 「チェーンメール」というのは、内容が良かれ悪しかれ、出どころ

        【イラスト解説!】今さら聞けない「ミャンマー軍事クーデターって何?」

          自粛生活、タダで終わらせるもんか。

          コロナ感染爆発の中、ミャンマーは4月17日、新年を迎えます。(ミャンマー暦 1382年が始まります。) 今年の正月の水祭り休暇は、なんと10連休!わーい! でも不要不急の外出禁止!そりゃそーだ! ということで、突然ふって湧いたような、どこにも行けない10日間。 人生の中で、やるべきこともないのに10日間も自宅に閉じこもったことなど、記憶の限り、一度もない。 最初はガッカリして、「え〜、だったら仕事しようかなぁ」とか、つまんないことを考えたりもした。 でも、さすがに

          自粛生活、タダで終わらせるもんか。

          がんばらないことに言い訳を探す心理

          週末は、珍しくほんのりと体調を崩していた。 「ほんのりと」と書いた通り、高熱が出たり嘔吐したりしたわけではなく、ただ少しお腹の調子が悪くて、少し頭が痛くて、微熱が出ていただけだ。 しかし、普段すこぶる健康なせいか、私は驚くほど痛みに弱い。 そこで土曜日は、あぁダメだ、だるい、つらい、と、友達と飲みに行く約束もキャンセルして、家でお粥をすすっていた。 そして重病感をかかえたまま、夜8時に布団に入ったのだが、まったく眠くならない。 そりゃそーだ、平日ならまだ働いているか

          がんばらないことに言い訳を探す心理

          ナガ族の太鼓に思うこと

          ミャンマーとインドにまたがる山岳地帯に、Naga(ナガ)という少数民族が暮らしていて、数年に1度、10mもの長さの太鼓をつくるそうだ。 太鼓をつくろう、と決めると、村人は集まって占いをする。どの方角のどんな木を切るのが良いか、吉兆を占うのだ。 占いの結果が出ると、男たちは森に入り、びっくりするほど大きな木を切り倒す。 それから10日ほど、男たちは斧や鑿(のみ)をふるい続ける。少しずつ大木の幹を掘り進め、空洞にしていくのだ。 中が空洞にならない限り、重くて運べないので、

          ナガ族の太鼓に思うこと

          しばらく青い鳥を探すのをやめようと思った

          18歳のころ、私は文学部で歴史を勉強していた。 一応(本当に一応)4年間、都心の大学に通ったのだけれど、私は実は入学して間もなく「私、歴史学には向いてないかも」と思っていた。 というのは、歴史学は「過去に起きた出来事をいろいろな方向から検証し直して明らかにする」という学問なのだが(たぶん)、その検証の過程で、私はすぐに飽きてしまうのだった。 同じようなことについて(例えばナチスのユダヤ人政策について)何十冊も史料を当たるというのは、私にとって苦行に近かった。 私は、教

          しばらく青い鳥を探すのをやめようと思った

          どうしようもない日の生産物

          時々、すべてにムシャクシャして、わめき散らしたくなることがある。 と書くと、ものすごく情緒不安定な人のようだけれど、私はどちらかというと気長で穏やかなタイプだし(自分調べ)、こういう状態の時でさえ、他人から見たらほとんど変化はないと思う。 だけど、時々それは起こる。何のキッカケもなく突然やってきて、いつもひとつの結論を残して去る。 今日の夕方、自宅近くの道を歩いている時に、それは久しぶりにやってきた。 いつものように何のキッカケもなく、いきなり私はすべてのものに対して

          どうしようもない日の生産物

          世界に「すきま」を見つける

          最近私が気になっているのは「すきま」という概念だ。 これが適切な単語かどうかはわからないけれど、ひとまず「すきま」として書き進めてみる。 洪水でハッピーになる人がいるみたいに、世界は一面的ではない。 それはもちろん当たり前なのだけれど、私が言いたいのは「何事にもいいところと悪いところがある」とか「色んな見方ができるよね」とかいうことではない。 そういう風に外から世界を眺めるのではない。 世界の内側にいて、色んなどうしようもないことに翻弄されている一人として「いろんな

          世界に「すきま」を見つける

          洪水が起きるとハッピーな人たち

          今、ミャンマーの各地で洪水が起きていて、避難者の数は4万人に達するという。 「それは大変だ、私のNGOでも何かできないだろうか」などと考えていたところ、カレン州(豪雨に見舞われた地域)出身のスタッフがこんな話をしてくれた。 「僕の町も今洪水なんだけど、洪水が起きると、町にはいいことがあるんだ。洪水で交通が遮断されて、そこから先に行けなくなった人たちが、何日か町に滞在するでしょ。そのおかげで経済が潤うんだよ。だから町の人たちは結構ハッピーなんだ。」 彼はなんだか楽しそうに

          洪水が起きるとハッピーな人たち

          私はnoteを売らない

          noteには、自分の記事を売るしくみがある。 だけど、私は売らない、と決めている。 売ったところで売れないから、ではない。 いや、確かにそれも真実ではあるけれど(笑)でもそれは、私が記事を売らない理由ではない。 「お金を稼ぐ」ということから、なるべく距離をとりたいのだ。 決して「お金が嫌い」なわけではない。 むしろ、激貧だった学生時代の経験から、お金はたくさんあった方が楽しいと知っているので、ややもすればお金がもらえる方向にホイホイ流れてしまう。 だからこそ、私

          私はnoteを売らない

          目の前の景色を疑う

          私の青と、あの人の青は同じだろうか、と時々かんがえる。 たとえば、ここに色のついた物体がある。 私はそれを「これは青だ」と言う。 隣にいる人も「うん、青いね」と同意する。 だけど、私とその人が同じように「青い」と表現した色は、果たして本当に同じ色だろうか。 その人にとっての「青」は、私にとっての「緑」だった、なんてことは起こり得ないのだろうか。 たとえば小さい頃、空を見上げて「これは青い空」と教わる。私はその色を「青」という名前で記憶する。 でも、ある人の目に映

          目の前の景色を疑う

          たまらない文章

          グッとくる表現、というのがある。 ストーリー性とか、起承転結とか、そういうことではなくて たった一節、ひとつの単語に、思わずうなるような。 昨日読んだ小説に、そんな一節があった。 主人公の女性が、何年も前に酔っ払って書いたノート(わたしは本当に子どもを生まなくていいのか、後悔しないのか、と自分に問うた殴り書き)を、引出しから取り出すシーンだ。 「それからページを破って切り離すと、それをふたつに折った。それから四つに折り、八つに折り、もうこれ以上はたためなくなるまで小

          たまらない文章

          誰一人、何者でもない

          自分がちっぽけな存在であることに、安心することがある。 10年くらい前、サハラ砂漠でキャンプをした。 「砂漠のオアシス」とうたわれる町にバスで到着すると、体温を優に超える熱気がまあるく身体を包み込んだ。 ベドウィン族という砂漠の遊牧民が引くラクダに乗せてもらい、景色が歪みそうなほどの熱気の中、砂漠を2時間ほど進むと、柵で囲われただけの小さな居住空間があった。 質素な小屋に入って、太陽の猛攻から逃れつつ、陽が落ちるのを待った。 昼間の灼熱の余韻のような、暖かい夜だった

          誰一人、何者でもない

          外国で暮らすことは、自分の世界のルールを変えること

          「小さなことで、いちいちありがとうって言わないで」 「あと何か迷惑かけた時に、ゴメンって言うのもやめて」 ベトナムに住んでいた頃、ベトナム人の友達にそう怒られた。 聞きまちがいではない。 彼女はきっぱりと、「ありがとうも、ごめんねも、もう金輪際言わないで」と言ったのだ。 彼女の理論はこうだ。 「私たちは友達だから、お互いに親切にするのも迷惑をかけあうのも当たり前。ベトナムでは、家族や友達ならそんなのいちいち気にしない」 しかし礼儀作法の国(?)日本からきた私は、

          外国で暮らすことは、自分の世界のルールを変えること