人から評価させない方法
「私、離婚してて、子どもは前の夫と暮らしてるんですよ」
と、今日はじめて会った人にサラッと言われた。
そして彼女はそばにいる男の子を指して
「この子は今の夫との子なんですけど、上の子とちがって自己主張が強くて」と笑った。
打ち明け話をしていたわけではない。
そもそも私たちは出会ってまだ3分で、お互いの年齢も出身地も家族構成も知らなかった。
ただ、たまたま彼女の息子が走り回っているのを見て「わんぱくそうですね」と言ったら、こんな展開になったのだった。
一瞬、戸惑った。
私は離婚したことがないし(そもそも結婚したこともない)、子どもを生んだことも、その子を前の夫に預けたこともないので、彼女が説明してくれた状況をうまく想像することができなかったのだ。
とりあえず「へー、そうなんですか」と、あってもなくてもいいような相槌をうち、話題は変わっていった。
帰り道、茶色い水たまりを飛び越えて歩きながら、
彼女がサラッと打ち明けたことについて、特にその「サラッと」という部分について思いを馳せた。
離婚とか、子どもの親権とかいうのは、わりとヘビーな話題として語られることが多い。
私はどちらも経験がないけれど、恋人と別れるのでさえあんなに消耗するのだから、子育てをしながら離婚するはものすごく大変に違いない、と思う。
(ちなみに、私は母親から「離婚は勇気と努力の賜物なので、バツイチではなくマルイチと呼ぶように」と教育されて育った。そのおかげか、離婚にネガティブな印象は全くない)
けれど、彼女の離婚と子どもの話は「私、横浜出身で」とか「姉が一人いて」とかいうのと同じようなトーンだった。
つまりそれは、隠すべきことではなく、恥ずかしいことでも誇らしいことでもなく、無色透明の事実だった。
もちろん、その事実に対して、私がバツイチだのマルイチだのと色をつけることはできる。
でも、仮に私がネガティブな色をつけ、その色が彼女に見えたとしても、彼女にとっては痛くもかゆくもないだろう、と思った。
いや、実際に彼女にとって「痛くもかゆくもない」かどうかはわからない。
社会的な生き物である限り、他人からの評価を気にするのはもはや生存本能なのだから、チクリとすることくらいあるかもしれない。
ただ大切なのは、彼女がサラッと話したのを聞いた私が、「私がどんな反応をしても、この人は気にしないだろう」と感じたことだ。
これは完全に「サラッと」の効果だった。
もし同じことを「実はね・・・」というトーンで打ち明けられたら、私は張り切って「大丈夫!マルイチだから!」と母親の言葉を受け売っただろう。
逆に、もし離婚したことをネタにしていたとしたら、期待通りのタイミングを見計らって笑い声をあげただろう。
けれど「サラッと」には、そういう反応を抑制する力があった。
それはとても気持ちのいいことだった。
誰にでも、人に言いにくいことのひとつやふたつ、あると思う。
(能天気な私にだってひとつやふたつならある)
そして言いにくいことほど、勇気を振り絞って「実は・・・」とか「あまり人に言える話じゃないんだけど・・・」とかいう打ち明け口調になってしまいがちだ。
相手と秘密を共有する親密さを求めているなら、それはとても効果的だ。
だけど、本当にただ人からどう思われるかが気になって言えないだけなら「サラッと作戦」は、ひとつの処方箋になると思う。
実はこれは私が、自分自身の体験として学んできたことでもある。
どんな重大な秘密でも「サラッと」言えば言うほど、周囲もそれをサラッと受け取ってくれるように見える。
(もはやそれは重大でも秘密でもないのでは、というツッコミは置いといて)
実際に「サラッと受け取ってくれた」かどうかは知らないが、少なくともそう感じられたということが、本人にとっては重要なのだ。
(なぜなら、相手の反応を気にする必要がなくなっていき、最終的には相手の反応が(いい意味で)どうでもよくなっていくので。)
いつも「サラッと打ち明ける」立場になることが多い気がするのだけど、今日はたまたま「サラッと受け入れる」立場になってみて、やっぱり!と思ったので、書き残しておく。
これからもサラッと自分を晒しつつ、気楽に生きていこうと思う。
あ、冒頭の彼女は、とても素敵な人だったよ。
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