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どうしようもない日の生産物

時々、すべてにムシャクシャして、わめき散らしたくなることがある。

と書くと、ものすごく情緒不安定な人のようだけれど、私はどちらかというと気長で穏やかなタイプだし(自分調べ)、こういう状態の時でさえ、他人から見たらほとんど変化はないと思う。

だけど、時々それは起こる。何のキッカケもなく突然やってきて、いつもひとつの結論を残して去る。


今日の夕方、自宅近くの道を歩いている時に、それは久しぶりにやってきた。

いつものように何のキッカケもなく、いきなり私はすべてのものに対して苛立った。


この、そこら中に漂う生ゴミの饐えた臭い!(注:私はミャンマー在住)

毎日毎日この湿度!洗濯物が永遠に湿ってる!

歩道の真ん中に電柱立ってるし!どこを歩けと!

「ヘイ、タクシー?」乗らん!

オッサン、噛みタバコを吐くな、汚い!

立ちションもするな!その水、雨で上がってくるから!

犬、寝るな!そこは歩道だ!

カラス、うるさい!ゴキブリ、多い!


そんな風に、突然やってきた嵐の中、私はテクテクと歩く。

歩きながら、このムシャクシャの原因を考える。

いつもは何とも思わないことに、一体今日はどうしてこんなにイラつくんだろう。


理由はすぐにわかる。いつもそうだから。

この苛立ちは、自分に対する苛立ちだ。


今日は朝寝坊して、キックボクシングに行けなかった。

その分、充実した1日にしようと思ったのに、パソコンのトラブルで時間を食った。

本を開いたけど、結局あまり集中できなかった。

出かけようとしたら雨が降り出して、結局家でダラダラ過ごしてしまった。

仕事でも、事業地の治安が悪くなって、プロジェクトが一時中断になりそうだ。


そんな、どうしようもない1日に、そんな1日しか過ごせなかった自分に、私はどうしようもなくムシャクシャしたのだ。

はぁ。そうなんだよな・・・。

外界に対するムシャクシャは、自分へのクヨクヨに変わる。


「そういう日も大切な1日」みたいな達観は、まだできない。

あーぁ、もっといい1日にしたかったな、と思っている。

過ぎちゃったことはしょうがない、明日はいい日にしよう、と思いつつ、「そう思うことで今日をうまく終わらせようとしているだけ」ということにも気づいている。


だからせめて、そんな1日があったことを書き残して眠る。

このどうしようもない1日が、何か生み出したとしたら、今日のこの文章。


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