見出し画像

きれいな手

2024.04.09
ペギンの日記#9
「きれいな手」


私は他の人よりも、手にこだわりがある方だと思う。

自分の手をお手入れするのが好きだし、他の人の手を観察するのも好き。

「観察」というと聞こえが悪いかもしれないが、要するにきれいな手を見て感動しているのだ。ヘアセットやメイクが上手い人を見て「可愛い」「美しい」「すごい」などと思うのと同じ感情の動きである。

今まで出会ってきた人の中で、本当にきれいだと見惚れてしまった手の持ち主が二人いる。

一人目は中学の頃に一緒に陸上をやっていた同級生。
彼女は特に爪が美しかった。爪の先端の白い部分が他の人に比べ極端に少なく、しかもいつも、爪は日常生活にちょうどよいであろう長さで丸く削られていた。比較的爪の白い部分が多くなりがちな薬指でさえも、彼女の場合はピンク色の部分が大きく、爪の先端は他の指同様、滑らかに曲線を描いていた。
指も、華奢な指と表現できるだろうか。細く、しなやかだった。日焼けでやや浅黒い肌に、爪のピンクがより際立って見える。
ペンの持ち方が独特で、普通、ペン軸に中指を乗せないと思うのだが、彼女はペン軸に人差し指と中指を乗せ、それら2本の第一関節を反らせ、その2本の第一関節の上に親指を乗っけてペンを保持していた。そんな独特な持ち方すらも彼女の手の美しさを引き立てていたように思う。
ただ不思議なのは、本人が指や爪をそこまで大切にしているかというとそうではなく、見ているこっちが心配になるほどアグレッシブに両の手を使っていたことだ。
自然な生活と調和する形で生まれている手だからこそ、そこに素朴な魅了を感じたのかもしれない。

二人目はいとこのお兄ちゃん。
トランプマジックがすごく上手で、家に遊びに来てくれたときにはいつもねだって見せてもらっていた。
もちろんマジックの内容にも感動するのだが、私の目的は魔法のように動く彼の手を観ることだった。
手の中でトランプがシュルシュルと動く。それの動きに合わせて血管の浮いた二の腕の筋肉が盛り上がり、沈み込む。指は素晴らしいアイソレーション(独立した動作)を見せ、本当にひとつの脳で操作しているのだろうかと不思議になるくらい複雑な動きをする。
いとこのお兄ちゃんの手は、指がひたすらに長く、そしてしっかりとしていた。細い、という表現だと弱々しすぎる。かといって筋肉質な指かと言われるとそうではなく、本当にちょうど、安定したトランプマジックをやるための指といった感じであった。
一度大きさ比べで手を合わせたことがあるが、そのときの感覚を今でも覚えている。お父さんやお母さんとは違う、若いみずみずしさのある手のひら。ただその奥にあるのは、小さい子のようなやわらかさではなく、確固たる重さ。押すとクッと止まるような軽快な力強さ。手の平から指の先まで、命が宿っている手、という言い方がそれらしいかもしれない。
彼の手は魔法の手だと思った。

こんなふうに「きれいな手」が好きな私。
でも最近、それがちょっと揺らぐ話を聞いた。

「きれいな手だね」は嫌味である。

私たちより少し上の年代の方々は言われたことがあったりするのだろうか?

主に女性に対して「家事を真剣に行っていればそんなにきれいな手を保てないはずである。だからきれいな手を持つあなたは、働くことや汚れ仕事を避けているサボり屋だ。」という意味をこめて「きれいな手ですね」と言うのだそうだ。

たしかに言いたいことは分かる。

職人さんの節くれだった手や、料理上手のおばあちゃんのシワクチャな手には、その人がどんな苦労をして生きてきたかがにじみ出ている。と、感じることはある。

ジブリ作品「風の谷のナウシカ」では、クシャナが風の谷の老人3人に対して降伏せよと詰め寄るシーンで、老人からこんなセリフが出てくる。
「あんたも姫様じゃろうが、わしらの姫様とはだいぶ違うのぉ。」
「この手を見てくだされ。ジル様と同じ病じゃ。あと半年もすれば石と同じになっちまう。じゃが、わしらの姫様はこの手を好きだと言うてくれる。働き者の綺麗な手だと言うてくれましたわい。」

腐海に近いところで仕事をすることで傷んでしまった手を、ナウシカは綺麗だと言った。

こちらはちゃんと見たことは無いが、「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破」では通称ポカ波が、お食事パーティーのために手を絆創膏まみれにしながら料理の練習をする様子が描かれる。

2作とも、その描写が本来持つ意味とは違ってしまうのだろうが、「きれいな手」は嫌味だという話を聞いてから、私にはどうしても「誰かが自分の手を汚くしなければ、幸せを掴むことはできない」と言っているように見えてしまう。

好きだ。

頑張っている人の、あかぎれだらけで絆創膏が貼られた、節くれだった手も好きだ。
かっこいいと、すごいと、素直に思う。

ただ、汚れていないからと言って、その人が何もしていないわけではないと思う。ピアノ奏者は何よりも指を大事にすると言うし、単純にきれいな手で私を喜ばせてくれた二人だってそうだし、きれいな手によって誰かが幸せになることだって出来ると思う。

私本位の願いかもしれないが、きれいな手だからといって、そういう目で見られるような世界であってほしくないなと思う。

まぁこれからの時代、嫌味で「きれいな手ですね」と言う人は減ってくると思う。
手を酷使する仕事ばかりでは無いし。

でももし、「きれいな手」がよくない手だと思っている人がいるならば、

いや。

少なくとも私は、

きれいなものをきれいだと、認め続けられる私でありたい。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?