「あきらめる」というコミュニケーションの盲点
仕事もプライベートも充実するカギとなる「パートナーシップ」に特化したコーチング&トレーニングを提供するHOSUが、皆さんがパートナーシップでより大きな結果を得られるように、いろんな切り口で投稿しています。
noteマガジン「パートナーシップを磨く」連投72日目。「あきらめる」というフレーズが、ちらほら浮上するので、そこから探究です。
単純に、「あきらめちゃいけない」という低次元な話ではありませんので、最後までお読みください。
仕事で同僚にリクエストがあるとします。
例えば、「もう少し丁寧に点検してほしい」「二度手間にならないように、誤字脱字のチェックをしっかりしてほしい」といったリクエストがあるとしましょう。
ところが、何度伝えてもリクエストに応じた行動変化が見られない。丁寧にと伝えているのに、雑なままだし、誤字脱字だらけなものを、何度も目の当たりにするということです。
そうすると、だんだんと「いくら言っても変わらない」という体験をして、がっかりして、「これ以上言うことはやめよう」とあきらめることになりがちです。
あきらめるという選択は、「相手を変えること」をあきらめるという行為のはずなんですが、なぜか「自分の考えや自分に見えている影響を伝えること」も一緒にあきらめてしまっている人が少なくありません。
ここをよく観てみましょう。
確かに、「こいつはちょっとやそっとじゃ変わりそうにないぞ」という相手だった場合、わたしたちは「行動が変わらない=理解(納得)していない」ととらえていたりしませんか? だから、何度も同じ説明をして、「これで理解(納得)できるよね? だったら行動変えられるよね?」と変わることを期待する。
でもね、「わかっちゃいる(理解してる)けど、やらない(やめられない)」ことってあるでしょう? 酒、タバコ、ギャンブル、ダイエット、書類整理、洗車、大掃除…この時期なら、年賀状とか?(笑)
・わかっているけど、やりたくない
・わかっているから、やろうと思うけど、やれない
・わかっているけど、素直に従うとプライドが傷つく など
ひとえに行動しないということをとっても、いろんなパターンがありますからね。
例えば、一方的で感情的に意見を押し付けてくる人がいたとして、その人に「その言い方だと受け取れないから、言い方を変えてほしい」とリクエストしたとしましょう。その人はたびたび指摘されるので、自分でもなんとなく悔しいけどわかっているとします。
ただ、わかっているけど、自分でもうまくコントロールできず、また感情的に話してしまっているとしたら、そこで「その言い方を変えてほしい」と言われたら、火に油を注がれるようないたたまれなさや情けなさのようなものがわき、反発する表情や発言をするかもしれません。
だから、「ああしろ、こうしろ(ああするな、こうするな)」と相手を変えようとすることは、建設的な話し合いにならない可能性が高い。だから、「ああしろ、こうしろ」と言うのをやめよう!となり、一切、反応を示さないということをしてしまうのでしょう。
今日のポイントはここです。
「ああしろ、こうしろ」を言わないことと「あなたの言動が、わたしにこういう影響を与えている」を言わないことはイコールじゃありません。
前者は、相手の行動を制限してしまい、相手を追い込むことにも繋がるものです。だから、わたしなら、「ああしろ、こうしろ」は言わず、次のように言うかな。
「いまから伝えることで、あなたが行動を変えるかどうかは、あなたしだいなので、行動を変えなかったとしてもかまいません。ただ、あなたの言動で、わたしはこういう気持ちになっています。それだけは知っていてください」
本当に、こちらに起きていることだけをまず言う。それに加えて「だから、ああしろこうしろ」をつけるから、たいていの会話はおかしくなるんです。「ああしろこうしろ」は相手の選択の自由を奪っているわけですからね。むしろ、「わたしに起きていること」を伝え、それを受け取ってくれた先に、「ああしろこうしろ」が受け取られる器が出来上がるのですから、その器をつくることのほうが先です。
「相手を変えようとすること」はあきらめていいですけど、「自分の考えや自分に見えている影響を伝えること」をあきらめないように。それは、自分を傷つける行為と同じだから。
記事に価値があると認めてもらえることは、何より嬉しいですし、とても力づけられます。いただいたサポートはパートナーシップの価値が大きくなる使い方につなげます。