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5/11 【いつの間にか、人のために文字を書いていた。】


「最近、どうもnoteイップスに入ってるんすよね〜。」と、何度も口にしていた。

なんやnoteイップスってと思われるかもしれないが、これは紛れもなく自分が考えた造語であり、今のnoteに対するモチベーションの低下を表している。隠しようのないイップス。完全なイップス。キーボードを叩くことに違和感を覚え、しっくりくるようなネタや気持ちを心の引き出しからひっぱり出すのに、通常の何倍もの時間がかかる。仕事でもないのに、ただの趣味にイップスを発症してしまうくらいには、まだまだ繊細なところがあるんだなとメタ認知をして自分を慰める。


気持ちの整理や、日々起こることに対する感情をロジック化して自分の中で一度抱きしめたもの、ことをここには書いているはずだったのに、いつからか、周りの人にウケようとすることに重点が傾いてしまっていた気がする。これは、玉置浩二現象と名付けたい。彼が、「ワインレッドの心など歌いたくなかった。けれども、音楽で飯を食うにはヒットを産まなければならない。だから大衆向けな曲を歌った。心に反した行動をとっていた。」と話していたのを数年前に聞いて、なんなら感銘を受けてそれをここで記事にしたにも関わらず、自分というのは弱い生き物で、今こうしてそのことに対して悩みというか違和感を覚えているのは、ある意味人間らしさがあって良いなと感じてる。


いやー、良い記事書いてるな。
今こうしてnoteを始めたての頃の、もう何をしたらいいか分からなくてただ感情を乗せて書いたものが心底羨ましい。昔に自分が書いたものなんだけれど、周りの人は今の記事をすごく良いというけれど、なんだか気持ちが執筆に向かわなかった原因はここにあるんじゃないかと思わせてくれた。


今回、noteでこういった気持ちになったのはすごくよかった。と思ってる。
生きている上で、自分の心に反するように振る舞わなければならない場面は多々あって。それが大人になるっていうことでもあって、でもなんか子どものままでもいたくて。体だけは大きくなり、今から老化が始まっていくのに、気持ちはなぜだか成長しきってほしくないなって思ったりもして、でもそんなんじゃやっていけないよって見えない誰かに言われているような気がして。

自分のエゴを出す塩梅が昔から上手くできなくて、そんな瞬間があまりにも多くて、悔しくて。褒められたいって気持ちが大きくなりすぎて、でもその褒めてもらったものは、自分の思いがぶつかってない偽りのものが出来上がっていると、また凹んで。いつしか目的を見失って、路頭に迷っている自分がそこにはいて。

仕事も、出会いも、遊びも、こういった趣味みたいな活動も。根底のものが揺らぎ始めたら、こうやってまた自己開示をして、地面から浮き足だった自分をゆっくり着地させていく。浮世なこの時代、すぐに自分を見失いがちになる性格、いろんなものが相まって、それでもまあやっぱり自分は自分なんだよなーとまた抱きしめて。それの繰り返し。死ぬまで。押忍。

サポートしてもらえたら、いつか還元できるように頑張ります。