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ベルリンポルノ映画祭リポートⅡ:2019

 3年前に自分はベルリンポルノ映画祭について下記リンク記事を書いたのでしたが、habakari-cinema+records制作の映画『伯林漂流』がベルリンの老舗映画館「Xenon Kino」で上映されるのにあわせて今年も行ってきた。

果たして、ポルノを恐れているのは誰なのか。
─ベルリンポルノ映画祭リポート:2016

 今回Ⅰ年ぶりに会ったスタッフのうち、古参の中心メンバーだったマヌエラ・ケイが外れていると本人から聞いたので、急遽ではあるがインタヴューに応じてもらった。彼女はベルリンのクィア雑誌『Siegessäule』でチーフエディターを務めたのち、現在は同じ会社から出ているレズビアン向け雑誌『L-MAG』に創刊当時から中心的に関わっており、また過去にはベルリン国際映画祭パノラマ部門及び同映画祭のクィア部門賞であるTeddy Awardの仕事もしていた。その他ベルリン初のダイクマーチを実現させたりなどなど、その活動は多岐にわたる。

 今年はポルノ映画祭のスタッフをしていないそうですね。
 マヌエラ:今回は「バケーション」ということでお休みさせてもらった。ゲストとして映画祭に来る、というのはリラックスして楽しめるのでなかなかいい。来年?来年のことは誰にも判らない。天変地異で映画祭どころじゃないかもしれないし(笑)。
 ※マヌエラは冗談めかしているが、ベルリンポルノ映画祭のメイン会場である映画館「Moviemento」が入っているビルの売却により閉鎖の危機に瀕しているらしく、映画祭でも上映時にサポートを呼びかけていた。

 私たちが初めてこの映画祭に参加した時(第6回、2011年)、あなたは既に中心的なスタッフ/プログラマーでした。最初からそうでしたか?
 マヌエラ:第1回(2006年)の時は上映された作品の手配をしたゲストみたいな感じだったな。スタッフとして関わるようになったのは翌年の2回目から。別に映画祭を内部から変えてやる、みたいなことを思って参加したわけじゃないけど、始まったばかりの映画祭にはいろいろ解決しなくてはいけない課題もあった。あなた方は今の会場(Moviemento)しか知らないけれど、最初の頃は大きな劇場にお客さんがまばら、という状態だった。その後もっと小規模な今の劇場に移って、現在はお客さんで満杯だけどね。

 ということは10年以上にわたって映画祭に関わってきた事になりますが、その間に映画祭が変化したと感じますか?
 マヌエラ:一つには、いわゆるメインストリームのポルノ作品を上映しなくなったこと。それと、この映画祭で上映されることを念頭に制作をするクリエイター(あなた達もね)が出てきたこと。この映画祭はいわゆる「ポルノ」ではない作品も気にせずに上映しているけれど、作品を選ぶ時にタブーはない、という事は変わっていないかな。

 「先のことは判らない」とは思うのですが将来、自分でも映画を作りたいと思いますか?
 マヌエラ:具体的には計画はないし、なにより実現するためには協力してくれる人が必要だけれど、作ってみたいものはある。ポルノには散々触れたから(笑)、自分が作るなら多分ポルノ映画にはならない。

 2018年3月にウィーンで、ベルリンの後発であるポルノ映画祭が開催された時、自分たちは『伯林漂流』の上映で、あなた方ベルリンポルノ映画祭チームはサポートのために参加していました。映画祭の関連トークイベントに登壇したあなたが、オーストリアのゲイ雑誌編集者(オーストリアでゲイ雑誌を出す苦労などについて語っていた)などの発言を受けて「もう地元じゃやってらんない、とか言いながら世界各地から色んな人が来るけれど、ベルリンは人が来過ぎて家賃は上がるは何だでえらいことになっている。ので皆ちょっと踏みとどまって、そして地元で革命を起こしてほしい」といったような事を発言していたのが印象に残っています。その意見は今も同じですか?
 マヌエラ:もちろん性的少数者であることを理由に投獄されたり、殺されたする危険性があるような国に住んでいる人に「生まれた場所に留まって頑張れ、来る前に立ち止まって考えろ」なんて事は言わない。そういう事ではなくて…、例えば英語圏の国からベルリンに来ている人たちのことを思い浮かべているけれど、彼らの多くはドイツ語を学んだり話したりしない傾向が強い。ベルリンの、英語が通じるサークル内でしか活動しないというかね。でもそれって、自分が今どこに居るのか?って事への自覚があんまりない、ということじゃない?正直なところ自分みたいな地元民は時々、まるで自分が住んでいるのが駅舎か何かで、日々やって来てはまたどこかへ行ってしまう人々を眺めているような気がする事もある。ベルリンという街が人を惹き付ける磁力を持っている、それ自体は悪くないことだけれど…でももし、賢い人や善良な人がみんな元の国を出てしまったら、後に残るのはケツの穴みたいな奴らばっかりになる(ナチス時代のドイツがまさにそうだったように)。
 ※もう少し解説が必要だろう。パリやロンドンといった生活費などが高い大都市、または北欧などの税金の高い国々でアーティストがインディペンデントで活動するのはかなり厳しい。そのため(比較的)低コストで生活ができ、かつ活動しやすい環境がある都市に人が集まってくる傾向が昔からあった。ベルリンはもう長らくそうした人々にとって理想的な受け皿ではあったが、それが限界に近づいているということかもしれない。別の友人に聞いたところでは近年のベルリンにおける家賃の高騰はかなり深刻で、海外からをも含め投機マネーが流れ込んで物件を買い漁っているため、一般の人が引っ越しをしようにも以前よりかなり上がっている家賃水準のためにおいそれと移動ができない、というような状況であるらしい。その友人によればドイツ国内の主要都市ではどこもそんな感じで、唯一まだ安く住めるのはライプツィヒ(旧東ドイツ)くらいなものであり、飽和したドイツ諸都市を避けて今はワルシャワ(ポーランド)が次のターゲットとなりつつある、らしい。

 ドイツでも2017年に同性婚が合法化されました。これにより社会は変わったと思いますか?
 マヌエラ:悪い方向に変わった。特にゲイに顕著な傾向だけど、人々がより保守化した。これまでヘテロセクシュアルが独占してきた「結婚」がそれ以外の人でもできる、となった途端に向こう側に呑み込まれて同質化していったと感じている。

 ’Marriage Equality’、つまり同性間でも結婚できるのが基本的人権だ、という主張があり、日本でも同性婚実現のために運動をしている団体も主にそうした戦略を取っています。ただ性的少数者の人権にとっては、性教育もまた重要な要素だと自分は思います。
 マヌエラ:同性婚は基本的人権の問題ではなくて、宗教的なもの。そしてドイツでも子供に詳細な性教育を行うことに抵抗する親はいっぱいいる。それも宗教的な理由から。だからこそそもそも自分は「ノーマル」でありたいのか?という地点に立ち戻る必要がある。私はノーマルじゃないし、あなたもノーマルでいたい訳じゃないでしょう?

 インタヴューはここで時間切れになってしまったので昨年(2018年)10月のポルノ映画祭クロージングパーティーでマヌエラと撮ったスナップを載せておきますが自分らは一捻りで潰されそうですね。右のオレンジが私です。

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