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『ソヴァージュ』監督:カミーユ・ヴィダル=ナケ(2018)

'Sauvage' dir. by Camille Vidal-Naquet, 2018

この映画の舞台はストラスブール、とどっかで見かけたような気がするのですがストラスブールってどこだっけ、と確認したらフランス―ドイツ国境の町か、パリよりフランクフルトとかチューリッヒの方が近いとこだ。

22歳のレオ(フェリックス・マリトー)は路上生活をしつつ立ちんぼをして男性相手にセックスを売って日銭を稼いでいるが、売春エリアの男たちには不文律があり(この行為はXユーロ以下で提供してはいけない、みたいな)、そして狼の群れのような力関係があり、レオはボス格の男(エリック・バーナード演じる'Ahd')に恋をする、もとい子犬の如く全力で懐いていくのですが相手は当然レオよりは人間なので、自分が金蔓ジイさんに愛想を売ってる最中に突進してくるレオを邪険に扱い、レオは時に殴られたり服を破かれたりします。そんな粗暴くんもそれなりにレオを気遣ってはいて、レオにカネを払わないで追い出した客をタコ殴りにしてついでにカネも盗ってくれたり、「お前は愛される男だから、年寄りを見つけて(こんな生活から抜け出せ)」とか助言してくれたりするのですが、「社会の底辺に暮らす人間」というよりはよっぽど野良犬に近いレオにはいまいち通じない。

そう、この映画における二者関係はすべからく「充分に通じない」ままで進行する。レオが病院で診察を受けるシーン(一度目は茶番として、二度目はいい線までは行く、三度目は決定的な)が効果的に配されていますがその全て、または脇役とそれぞれ交流するシークエンス、または脇役同士の関係でもおのおのが自分の思うベスト、を表明しながら表面上をつるつると滑っていってしまう。とりわけ動物度の高いレオに関して言えば犬とか猫とかを撫でていて気持ちが通じた…ような気がした瞬間にパッと明後日の方向に逃げてっちゃう後姿と自分の手を同時に眺めている感じ、なのですが最後の方でズタボロになったレオを拾って献身的に面倒を見てくれるおっさんが現れ、このまま幸せに暮らしました、というのだったらヤだな…と思って観ていたらそうはならなかったのは映画として当然の流れでした(あのおっさんが可哀想、という感想になってしまった人はそもそもコレを観る必然性はあんまりなかったのですよ。)

どんなに尽くしても相手が期待したほど懐いてくれなかったり、他人に羨まれるようなカップルにはどうもならなかったり、または育ててはみたもののマイ・フェア・レディ張りの成功はしなかったりの場合、市場が全ての現代社会では「失敗した愛」とされるのでしょうが、そういったしょうもないノイズとは全く別のところに愛の成就はあり、何が言いたいのかといいますと例のおっさんがあのラストシーンで「逃げちゃった」レオを真に愛していると証明するためには、この野生生物が何度逃げようと何度でも連れ戻しに来なくてはならない(諦めた時点でおっさんの負け)という事で、航空券キャンセル代金とか関係者各位へのご迷惑とかそういうケチくせえ事は全部ふっとばして走ってこいつうことです。だもんでこの映画、破れかぶれでかつめっちゃポジティヴな作品でした。

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