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『ヨーロッパ・コーリング』/『THIS IS JAPAN』ブレイディみかこ(2016)

佐藤亜紀氏のWEB日記で「THE BRADY BLOG」を知ったのが2008年の12月で、その後ず〜〜〜〜っと愛読していた2013年の母の日前後、ふと魔が差したかのように「ファン・メール」を出してしまいあらあらあらあらあら、とか言っているうちに自分にとって人生初の「メル友」が英国にできてしまいサイバー空間は凄いなあ、などと感心しているうちに実際にお会いすることになってしまった2015年(去年じゃねえか)の時点では既に映画『初戀』『すべすべの秘法』のレヴューを頂いている状態で。

その前年、2014年にはYahoo! JAPANというある意味で日本におけるザ・インターネットの(アンコントローラブルに制御不能な)表玄関ど真ん中で個人ニュースを書く、という果敢な試みを始められたのを見ながら(そして相変わらずな文章のクールネスにしびれつつ)これはひょっとすると、という予感は何となくあったのですが今年、あれよあれよと言う間に著書が2冊出た。

『ヨーロッパ・コーリング』は件のYahoo! JAPAN個人ニュースを中心に他媒体で書いた文章を加える形で岩波書店から出された。初出時に横書きだったものが縦書きで紙に刷られている、という事だけでも「瞬/旬・冊<killer>殺」てなもんですが、一読すればこの2年間でみかこさんが英国と日本で摑んだものがくっきりとした輪郭を伴って浮かび上がってくる。

「日本の左派の人々には、『なんでも結局は金の話か』と経済を嫌がるというか、まるで劣ったもののように扱う傾向があるが、そういう風潮こそが、貧者が堂々と立ち上がることを困難にしている風土と表裏一体のものだ。米と薔薇、すなわち金と尊厳は両立する。米をもらう代わりに薔薇を捨てるわけでもないし、米を求めたら薔薇が廃るわけでもない。むしろわたしたちは、薔薇を胸に抱くからこそ、正当に与えられてしかるべき米を要求するのだ。」同書、p. 280-281

「翻って私の見聞した某国では云々」みたいな事を言う在外日本人はこれまで「出羽(でわ)守」などと影で嗤われながらも一定の読者を獲得していたのでしたが、ザ・インターネット・エラを経過した2016年にはもはやそうした名誉白人的な伝統芸は後景に霞んでしまい、それに替わって生々しく社会のリアルを伝える文章が地面のすれすれから撃ち込まれるようになった。彼女の文章が独特にユニークであるのは自身が「英国」という場所に根を張りながら日本を観る、という(在日日本人からすると)数センチくらい浮き上がった地点でドライヴしているからだ。

↑須川栄三監督作『君も出世ができる(1964)』より、雪村いづみが歌う「アメリカでは」(思えば遠くへ来たもんだ、という感じはしますね)。

今年の2月、 後に太田出版で『THIS IS JAPAN』として纏まる事になる本の為の取材で一ヶ月ほど日本に滞在していたみかこさんにお会いした時には「何かもう、いい加減息子に会いたくなってきちゃった…」とかぽろっと漏らしておられたのではありましたが、その成果としてこちらに届けられたレポートは、案の定もの凄かった。あまり推敲の時間も無かったと思われるが、それでも文章の冴えは鈍らない。

「閉鎖的で風通しの悪い社会である一方で、もっとオープンな国の常識でも『それはちょっとないだろう』と思うようなところでいきなり壁が打ち破られている。この唐突に覗く風穴の奇妙さは、日本滞在中ずっとわたしの心に引っかかっていた。」同書、p. 134

「日本人は『中流の呪い』がかかっているのか?」というのが本書の帯に刷られた惹句であるが、自分について言えば正しくそんなアトモスフィアの中で育った人間であり、サイタマというこれまた絶妙に微妙なところで取り立てて破綻もしてない両親夫婦の元で大学まで出してもらって今に至る、という全くパンチの効かない経歴の持ち主としては「中流の下くらいかな、自分」という自己認識は「私は上流」と言った途端に頭がおかしいと思われるか、又は「自分は下流」と言った瞬間に「世界には貧しい人がいっぱい居てだなぁ(甘えんな)」と難詰されがちなクニである我がニッポンにおいて「まあ真ん中の下の方ですかね(謙虚さのアピール)」という辺りが波風の立たない妥当なライン、という空気を敏感に感じ取っていたからなのだなあ、と子供の頃の自分に「そんなに気負わなくてもいいんだよ」と言ってやりたくなる。

その手に握った紙幣がどんなに湿っていようとも、表面に出る時の「お金」はウェットでない方が風通しがいい―何故ならそれは計算可能なものだからだ、と自分は何となく思ってきた。貨幣経済を人類が選択してしまった以上、「全部を一から引っ繰り返せ」というポリシーが最早、まるで現実的ではないこんにち(は)、その人・または政府・をたまさかであっても光り輝かせるのは、どこまで行ってもその金の「使い方」でしかないのだ。

みかこさんがよく使う「地べた」という言葉は、白状すれば自分は語感が好きではなくてあまり使いたくない単語群(「地上」でも「路上」でもないしなあ)の方に入るのですが、これまで3回お会いしても聞きそびれていたのは、「地べた」と発する時に平行している筈の英語は何ですか、という事で―こういう時はグーグル翻訳、とサイバー空間を漂流していたらああそうか、"on the ground" なのかも、―「オンザグラウンド」だったら自分の中に何故かすっと入って来る。

海外ゴシップ記事を長年ウェブで書いてきた彼女は、派手で目立つ「ニュース」がまたいかに素早く消費され忘れられてしまうのか、を人一倍知っているはずだ。グラウンド・レヴェルの人々のささやかな生活etc. は通常トップ・ニュースにはならないが、だからこそ表面に噴出して人目を引く現象が起こった時、果たしてそれはどういった土壌から立ち上がってきたのか?を自らも暮らしている場所から(まずは自分が)理解するために彼女の文章は書かれ、そして読者としての自分はいつもその視点を分けてもらっている、と考えると、みかこさんの文章は今、自分にとって一番のGateway(世界への窓)であるのかもしれない。


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