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『ボーイズ・ステイト』監督:ジェシー・モス、アマンダ・マクベイン

'Boys State' dir. by Amanda McBaine, Jesse Moss, 2020

「ボーイズ・ステイト」「ガールズ・ステイト」というのはアメリカ合衆国において米国在郷軍人会が主催して行われる、高校生を対象とした州単位の夏季プログラムで、男女別に短期合宿で政治的なリーダーシップやシチズンシップを学ぶのだという。2020年のサンダンス映画祭でUSドキュメンタリー・コンペティション部門グランプリを獲得したこの『ボーイズ・ステイト』は2018年にテキサス州オースティンで開催されたものを追っている。

参加者は州内から応募・選抜された約1,100人の男子高校生で、事前に在郷軍人会の面接を受けて参加の可否が決まる。州都に集められた彼らは一週間をともに生活するのだが、まず機械的に「連邦党」と「国民党」という疑似政党に二分される。この2党は現実の民主党と共和党に擬せられているわけでは無く、結成時には党綱領すらない白紙状態の「党」だ。まず党委員長を選出し、自党のポリシーを定義してから「ボーイズ・ステイト」における最高位の役職「知事」以下の候補者たちを党内で選出し、最終的に両党が選挙で対決する。

希望する役職に立候補するためには一定数の支持者署名を集めなくてはならない。メインでフィーチャーされる一人、スティーヴン(国民党の知事候補、メキシコ系)は〆切ギリギリまで支持者を確保できず苦労するが、なんとかクリアして立候補する。ちなみにこの映画は彼が行きのバスに乗り込むところから捉えているが、この時点ではまだどう化けるか全く判らなかったわけで、もちろん「これは」と見込んだ人をできるだけ撮った(そして膨大なボツが出た)んだろうとは思うのだけど、1,100人全員を追うのは無理なわけで流石の眼力。

1,100人の男子高校生(基本的に17歳)が集まっているわけなので要は即席男子校みたいなもんですが、ノリも基本的に男子校のそれなのは彼らが何をするでもなく集まっているところを撮ったショット(無意味にバク宙してたりとか)からも伝わってくる。初めの方でスティーヴンは「男女で分けないで『ピープル・ステイト』としてやるほうがいいと思う」などと発言するのですが、話しかけた相手からは「は?なにそれ?つうかなんで?」といった反応が返ってくるので「冗談だよ」とごまかす。男子校ノリな上にテキサス州というえらく保守的な土地に仮想された「ステイト」なのである。

しかしこの1,100人の参加者の中に、ゲイは何人いたのだろう。

他にも何人かフォーカスされるうち、連邦党の党委員長になって選挙の采配を振るうベンは、自分の長所を強調せずに地道にコツコツ支持を積み上げていくスティーヴンと好対照で、両脚と片腕に障害を持つ彼は「でも失敗しても障害を言い訳にしてはいけないと思うし、何より自分はハンデを凌駕するほどの努力した。自分は白人ではなくアメリカ人だと思っている」みたいな事を真顔で言うのですが、選挙戦が終盤に近づくにつれ彼はSNSを使って国民党側を攻撃したりしはじめ、「とにかく勝つ」という並々ならぬ意欲は感じるものの、では「勝って何をしたいんでしょうか?」の部分はさっぱり伺えないのでした。

しかし良く考えるとこれは疑似選挙であり、実のところ勝ったとしてもそれはチェスの試合で勝ったとかそういう類いの勝利であって、彼らが現実に公権力を手に入れるわけではない。ないにも関わらず彼らがこんなにも熱中するのは選挙そのものが知力・体力(あと本物の選挙では財力)を尽くすに足りるほどに面白いゲームだからこそであって、実際この映画の中に出てくる高校生たちの中で(スティーヴンのように)自分が生きる社会の中で実現させたい何かがあるので―その予行演習として―参加している人の方が少数派で、「選挙に勝ち抜いた人」になりたい人が多数派のように見えるのだ。

『ボーイズ・ステイト』予告編

ボーイズ・ステイト』を観る前に読んだダーヴィッド・ヴァン・レイブルック著『選挙制を疑う』(岡﨑 晴輝・ディミトリ・ヴァンオーヴェルベーク訳)には以下のような一節がある。選挙の持つ魔力とか磁力というものは以下で述べられている事と無縁では全くないだろうし、ましてや才気と体力に溢れたティーンエイジャーにとって抗えるものでもないだろう。

「ここに、民主主義疲れ症候群の根本原因がある。我々はことごとく選挙原理主義者(electorale fundamentalisten)になってしまっているのである。我々は選挙で選出された人々を軽蔑しているのに、選挙自体は崇拝している。選挙原理主義とは、選挙のない民主主義など考えられず、民主主義について語るためには選挙が必要不可欠の条件であるとする、揺るぎなき信仰である。選挙原理主義者は選挙を、民主主義を実践する一つの方法とは見なさない。目的それ自体と見なし、誰にも謙譲できない本質的価値を備えた神聖な原理と見なしている。」p. 42

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