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第4話 『猫は魚のみで生きるにあらず』

 わたしの名はペイザンヌ。N区の野良猫だ。

 猫は自殺をしない。

 これは猫に限らず大抵の動物たちがそうである。

 何故か?

 それは“気づき”がないからである。
 わたしたちのほとんどが“自分の命を自ら絶つことは可能である”という考えに結びつかないのだ。

 だからわたしたちは死ぬまで生き続ける。だって、それがあたりまえだからだ。たとえどんな苦悩や受難に遭ったとしても、ただ、ひたすら生きのびる方法を考え、探し求める。

 イシャータもまたその一匹だった。

 わたしは彼女が自分の家の前にぽつりと一匹座り込んでいるところから現在まで、ずっと様子をうかがっている。

 どうして助けてやらないかって?

 それが人間の浅はかなところだ。ならば聞くが”今日だけ“助けてあげてなんになるのだ?

 彼女がもし、これから先もずっと野良猫として生きていくというのなら、彼女自身がその方法を見出だす他ない。中途半端な同情はそれこそ命とりになりかねないのだ。わたしだってN区に単身一匹でやってきた時にはそりゃあ……おっと、昔の武勇伝を語るのはオヤジへの第一歩だ。今日のところはやめておこう。

 さて、イシャータのことだが──

 ギノスによって自尊心をズタズタにされた彼女は翌日、朝一番で活動を開始した。商店街を一番よく見渡せる屋根に上り、そこに腰を下ろしたのだ。

 彼女はそこで……なにもしなかった。

 いや、なにもしなかったというのは正しい言い方ではない。彼女は“観察”をしていた。

 わたしはこの行動にイシャータの将来性を感じ唸った。普通であれば、窮地に陥った際に起こすアクションは慌てるだの走り回るだの、事態を悪化させることの方が遥かに多い。

 そのあまたの選択肢からイシャータが選んだのは最も解決に程遠いと思われがちな”観察“だった。

 いま思えば、あのときイシャータはもっともっと高いところから自分自身の姿まで観察していたのではないだろうか、などとも思える(ま、それはわたしの考え過ぎかもしれないが)。

 本当のところを言うと、そこはわたしが日向ぼっこや昼寝をする際のお気に入りの場所なんだがなぁ。まぁ少しくらいは大目に見といてやるとするか。
 今わたしにしてやれることといえばそれくらいなのだから。


 イシャータは瞬きする間も惜しんで、街の一日の流れを掴もうとしていた。他の猫たちの行動、その範囲、さらに誰と誰が仲が良く、そして悪いのかを確認した。

 もちろん猫だけではない。どんな人間がいて、いつそこを通るのか? 魚屋にいつトラックが着き、肉屋がいつゴミを捨てるのかまで。こと細かに目を張り巡らせる。

 そんな中、イシャータの目は空き地で地面をゴソゴソと掘っている一匹の猫を捕らえた。

 昨晩の記憶が鮮明に甦ってくる。間違いない。あれは憎きギノスだ。何をしているのだろうと目を細めて見ていたがどうやらあれは、どこかで調達してきた食料を地面に埋めているらしい。

 昨夜の復讐であれを掘り返して食ってやろうかとも思ったが、そんなところを見つかったら今度こそどんな目に遭うかわかったものじゃない。

 イシャータはぐっと歯を食いしばり、しばし下界から目を上げた。遠くで電車が走っているのが見える。

 広い。

 ほんの束の間だが、イシャータは穏やかな気持ちになった。そして改めて思った。

「できないことをやろうとしても無理だ。今、わたしがやれることをやろう」

 一陣の風がイシャータの細いひげをさっと揺らした。

 その気持ちが流れを呼んだのか、今日の食事はなんなく確保することができた。

 交番近くのねぐらに戻ろうとした時のことだ。交差点で信号待ちしている軽トラの荷台から魚がボトボトと五尾ばかり落ちてくるではないか。おそらく発泡スチロールに詰め込みすぎたのであろう。〈鮮 魚 馬 場〉と書かれたそのトラックの運転手はそんなこととは露知らず信号が変わるとそのまま走り去って行った。

「ねぐらが近くて助かった」

 イシャータは尾ひれをくわえ五尾とも持ち帰ることに成功した。一日中、飲まず食わずで”観察“を続けていたイシャータは昨晩ほどではないにせよ空腹を感じていた。魚を見つめくんくんと鼻を鳴らす。

「ああ、これで今日はエサを探さなくてすむ。節約すれば二三日持つかも」

 だが──

「食べてしまえば、それでおしまいだ……」

 イシャータは考えを巡らせた。

 これはきっと神様が私に与えてくれたものに違いないわ。もしも私がその神様だったとしたらこの五尾の魚でイシャータに何をしてほしいと願うかしら?

 そして日中の考えを反芻してみる。

 私が出来ることと、出来ないこと。

 イシャータのお腹がぐぅと鳴る。出来ることってなんだろう? そして──

 イシャータはハッと気付いた。
 全ての流れが一点に集中したかのように思えたその刹那、イシャータはさっと一尾の魚をくわえると走り出していた。

「そうよ、出来ないことなら教えてもらえばいいじゃない! そして今私に出来ることっていったら──」

 また、お腹の虫がキュウと鳴く。

──我慢しか、ないじゃない。


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