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私の家族のキャリア感 祖父編①

私は父が会社員、母が専業主婦の一般的な昭和時代の家庭で育ちました。

私自身は超就職氷河期の団塊ジュニアではありますが、この世代の親御さんは高度経済成長を支えた世代な訳で、1つの会社に就職して最後まで勤め上げるのが一般的な世代です。そんな世代の親の元に生まれて育てられた訳ですから、良い大学に進んで、一流企業に就職しなさいね、それがあなたの幸せ(=親御さんの幸せ?安心?)と刷り込まれてきたのも事実です。周囲も同じような家庭が多かったような気がします。

ただ、私の場合、他の家庭とはちょっと違っていました。

父が当時では珍しく、外資系企業を数社経験し、その後、独立する(そして最後は失敗する。。。😱)というキャリアを歩んできた人だったのです。

何故、周囲の学生時代の同期は日本企業に就職しているのに、まだ外資系が少ない時代に父は外資系企業を敢えて選択してきたのか、子どもながら不思議でした。ある時、私は父にどうしてそういう選択をしてきたのかを尋ねてみました。すると、父のキャリアの考え方には、父の父=私の祖父の影響が少なからずあることがわかりました。そこから紐解いていこうと思います。(長くなるな。。。)

私の祖父は明治生まれで、当時の日本に合わなかったのでしょうね。旧帝国大学を卒業後、日本を飛び出し、海外で働いていた人でした。かなり大胆!変わった生き方をしてきた人ですよね。何をしていたのか気になりますよね。私は何度聞いても、へー🙄としか言いようがないんですが。。。

当時の祖父の仕事はイギリス採用の職員として、中国の税関で開港手続きなどに関わる仕事をしていたそうです。あの時代に英語、中国語が堪能だったらしいのです。勉強好きだったようで。。。 私にもその血が入っているはずなんですけどね😭 どうしてだろう、おかしいですね。

祖父は第二次世界大戦が始まるまで、香港、上海、青島、大連と言った中国国内の港から港へと移動して、職員としての仕事を全うし、日本に引き揚げるまでの最後の職場は中国南部にある海南島だったそうです。そんな時代に日本人であるにも関わらず他国のための仕事に就き、海外から日本を俯瞰して見ながら生きていた人なので、その息子である私の父のキャリア感もまた変わっていたのは言うまでもありません。

何回かに分けて書くことにしますね。続きます。



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