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38歳。おしゃれに迷い、人生に迷う。

自分の着たい服がわからない。

あの服かわいいな、あの人素敵だな。
そう思うことはよくあるけど、それが、自分に似合うだろうか、本当に買いたい服だろうかと考えると、わからなくなる。


この10年は3児の妊娠、出産、育児が続き、日々がむしゃらに過ごしてきた。

妊娠期間はどんどん体形が変わる。
一時的なものだからと、いただきものや昔の服をひっぱり出して、その時その時を凌いできた。
授乳中は、子どもの頭をすっぽり覆える服や、胸元を開けやすい服。
子どもが動き始めたら、洗える、自転車に乗れる、座っても裾が地面に着かない服ばかりを探していた。
下の子が生まれてからは、さらに、おんぶがしやすいことも条件に加わった。

平日はとにかく動きやすい恰好。
休日のお出かけにどんな服を着ていたか……正直あまり記憶がない。
おそらく、自分なりにいつもよりちょっとテンションの上がる服を選んでいたと思う。
でも、全員の支度を済ませて靴を履き、玄関を出る頃には、すっかり息が切れていた。

末っ子が年中になり、抱っこもおんぶもだいぶ減った。
ようやく「制約」や「条件」じゃなくて、自分の「好き」で服を選べる日が帰ってきた。


それなのに。
自分の着たい服がわからない。
似合う服がわからない。

この感覚は何だろう、としばらく考えている。
10歳年をとったし、服の流行も当時とは違う。
でも、それだけじゃない、もっと私自身の内面的な変化が大きいような気がする。


実は今、おしゃれだけでなく、人生にも迷っている。

新卒で出版社に入社して、出産を機にフリーになって、子育てをしながらポツポツと仕事を続けてきた。
子どもとがっぷり四つの生活の中で、その道のプロフェッショナルに会って話を聞き、記事を書きあげる時間は、とても刺激的でワクワクした。
睡眠時間を削って、自分が納得いくまで詰めて、詰めて、提出した原稿を喜んでもらえた時の、何物にも代えがたい達成感。
社会と繋がっている実感、積み重ねてきたことや紡いできた関係性が途切れずに続いているという安心感も、心の支えになっていた。

それがここ数カ月、定期的にいただいていたいくつかの仕事が、立て続けに終わりを迎えてしまった。

ならば、新たな仕事を取りに行けばいいじゃないか、とも思う。
でも。
なぜか、これまでの仕事への思いが、するすると離れていくのを感じている。

本当は何がしたいんだろう。
何ができるんだろう。
これからどう生きていきたいんだろう。

この先も、これまでの延長線上にあると思っていたのに、走るはずの道が砂に覆われたように見えなくなってしまった。



おそらく、この10年で、私の中のいろいろなものが変わったのだと思う。

見えていなかったものが、見えるようになったり。
見たくなかったものを、見なければいけなくなったり。
関心のなかったものが、愛しく思えたり。
面白いと思えていたものが、つまらなくなったり。
実は得意だったこと、目をそらしていた苦手なことに気づいたり。

子どもを持ったことで、視野が広がったのは間違いない(私の場合)。
地球の裏側にも、未来にも、自分ごととして思いを馳せることが増えた。
と同時に子育ては、自分自身を見つめ直し、掘り返す営みでもある。

どう育ってきたのか。
何を大切にしてきたのか。

そして、迷っている。
この先、どんなことに自分のエネルギーを捧げていきたいのか。


生き方に迷っているから、きっと、服も迷う。

人生2度目の長いモラトリアムを経て、また自分探しを始めてしまった。

まだ38歳。
もう38歳。

背中を押す私と、もう少しだけモラトリアムを延長しようと相変わらず制約探しをする私が、代わる代わる顔を出す。
そのうち何かのご縁で、またふっと新しい道が見えるんじゃないかと、淡く期待する楽観的な私もいる。


そんな中。
先日、参加したウェビナーで、心に刺さる言葉があった。

『迷ったら、やってみる』

教育や夫婦のパートナーシップがテーマのウェビナーで、最高齢の参加者だった70代のおじいちゃん。

『やってみないと、何も始まらないでしょう』

面白そうだったから参加しました、と画面いっぱいのニコニコ笑顔で話すその方は、今、通信制の大学に通っているという。


自分のモヤモヤを優しく笑い飛ばしてもらった気がした。

もっとシンプルに考えればいい。
頭でっかちにならず、心が少しでも動くことに一歩近づいてみればいい。

おじいちゃん、ありがとうございます。
こういう素敵な出会いは、どこに転がっているかわからない。
その出会いが、どこに繋がっていくかはもっとわからない。

だから、一歩。一歩。
まず一歩、足を踏み出すことから始めてみよう。




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