「人生の恥はかき捨て」どうにでもなれ、我が人生
以前、尊敬するある創作者のツイートにこんな返信をしたらほんのちょっとだけ反響をいただいた。
その方(名前出とる)も返信をくださり、嬉しくなってまた下記をレスポンス。
このとき初めて「人生の恥はかきすて」という自分の信条みたいなものを言語化した気がする。
と同時に、ツイッターはじめSNSのアカウントを実名にしてみたり、所属だけしていたオンラインサロンでも恥をいとわず発言したりするようになった。信条、モットーを勢いにまかせて公開したことで、なんというか、何かに観念したような清々しい思いになり、
「誰に何を思われても構うもんか、どうせ死ぬまでは生きるんだから、好きに生きたれ」
と、おかしなハラが決まったような感覚が自分の中に生まれた。
この感覚は以来まったく消えることも薄まることもなくぼくの内に存在していて、どちらかというと日々強まる一方である気さえする。
だけど、中二病をこじらせてちょっとトチ狂ったようなこの自分が、生まれてから今までで、いちばん好きだったりする。
そしてこれからもきっとこの感覚は強まり続けていき、朝起きるたびに「今日の自分のこと、昨日より好きだぞ」と言える毎日を過ごすのではないかな……という奇妙キテレツなワクワクと無根拠な自信にあふれている。
なんだか大変だ。
そんなわけで、これも勢いで、数年ぶりに見つけた昔の録音音源を、さっきこのnoteでちょっと公開してみた。恥そのもの。でもいいのだ。こんなものは、他人に自分の歌を聴かせるカラオケと何も変わらないのだ。
どうにでもなれ、我が人生。
どうせならとんでもなく、自由で破天荒で楽しくなれ。
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