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【紫陽花と太陽・中】第十話 告白[3]

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 ◇

「ただいまぁ」
「あ、おかえり。椿」
 台所の方で椿ちゃんと遼介の声がしている。穏やかな、いつもの彼の声。
 私は熱いシャワーの湯を浴びながら、いつもより丁寧に石鹸で泡を作りゆっくりと身体を洗っていた。
 あぁ、晩ごはんはまだできていないが、椿ちゃんが帰ってきてしまった……。
 さっきまでの出来事をどうしても思い出してしまい、顔から火が出るほど恥ずかしくなって、風呂場でうずくまってしまった。

 遼介は、男だった。
 キス、というものがどういうものか知識としては知っていたが、自分の感情がこんなに乱れるものだとは知らなかった。
 嫌だ、とか、怖い、という気持ちはまったくなかった。
 始終嬉しさでいっぱいだった。
 私を汚いと思ったことはない、という言葉をまるで証明するかのように、遼介は私にたくさん触れてくれた。自分ですら触ったことのないところまで触られて、まるで魔法のように触れたところが熱くなって、そのまま溶けてしまうのではないかと思った。自分ですら聞いたことがない声が出て、それが自分の声だと知ってますます驚いた。
 最初にお互いが触れ合う瞬間、心臓はバクバクとものすごい音を立てていて、二人の手が見て分かるくらいに震えていて思わず吹き出してしまった。二人とも。同じタイミングで。
「……ごめん、……緊張しすぎて」
 困った顔で遼介が苦笑した。
 私はというと、緊張と恥ずかしさで何一つ余裕がなく、返事もまともにできなかった。

 気が付くと西に傾いた陽の光が部屋に差し込んでいた。午睡をしてしまうなど、本当に久しぶりのことだった。
 起きたときも遼介が隣りにいて、嬉しかった。
 晩ごはんの支度もしてないし洗濯機も回したそのままで干していないし、家族がもうすぐ帰ってきてしまうかもしれないし、と内心すごく焦っていたが、遼介の笑顔を見てたらそんなことは頭からすっぽりと抜けてしまった。
 遼介が、笑っていた。
 最近よく見るようになった口の端をちょっとあげるような微笑みでなく、すっきりとした表情の大きな笑顔。
「おはよう」
 眠っちゃったね、と呟いて、遼介が私を優しく抱きしめた。
「怖くないよって言ってくれて、嬉しかった」
「……だって、怖くなかったから。……すごく、嬉しかったから……」
「……大好きです」
 コツンとおでこをぶつけ、またキスをされた。
 とろけるような、甘く、長いキスだった。

「うう……」
 ブンブンと顔を振って意識を飛ばす。
 洗濯機はまた回し始めたからしばらくは放置しても大丈夫だ。
 桐華さんが帰宅する前に、少しでも晩ごはんの準備を進めなくては。
 今日残り一日、遼介と顔を合わせられないだろうが困らせたりしないだろうか。
 シャワーを終えて浴槽の栓を確かめ、風呂の湯はりボタンを押す。

「椿ー、今日はカレーだよー」
「はぁい」
 ずっとずっと想っていた遼介からの言葉。叶うはずがないと、固く閉ざしていた心の蓋はあっけなく開いてしまった。
 火照る全身のままギクシャクと台所に顔を出す。
「あ……お風呂掃除、ありがとう」
「……湯はりを押したから、しばらくで風呂が沸く」
「……分かった」
 椿ちゃんに気付かれないよう、普通を装って準備に取り掛かる。
 生成りのエプロンを付けた遼介が、カレーやシチューで大活躍の両手鍋で玉ねぎを炒めていた。ちらりと様子を伺って、次に必要な食材や道具を準備した。一人が調理を始めればもう一人がフォローする。昔からなんとなく二人で築いてきた、効率を重視した動き方。

 ありがとう、遼介。
 私は心の中でそっと礼を言った。

 顔を見られるようになるには、まだまだ時間がかかりそうだった。

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(つづく)

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