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心の平穏を保つにはー電車の中から

11月26日16時30分過ぎ
電車の中にて。
向かいに座るとある駅から乗ってきた40から50代のサラリーマンの態度が悪過ぎて気になって仕方ない。カバンを座席に置き、両脇に微妙なスペースを開いて座っているから、3人分使っていると言っても過言ではない。爆睡して周囲に気が付かないというわけではなく、目を閉じて眠ろうとしているだけだ。落ち着きなく座っている姿にイラッとくる。結局終点までその態度は変わらずに。たとえ疲れていたとしても、反面教師的な手本でしかない態度に苛立ちを覚える自分は何なのか?立派でなくても紳士たれと思う自分は堅物なのか。多くの人が見ている。それは限られた組織の中以外の場所であっても。それを意識できないことに残念な思いをしているのだろうか。

11月27日12時15分過ぎ
電車の中にて。
午後12時過ぎの郊外へ向かう急行電車、それも先頭車両はそれほど多くない客が乗車している。そこで目に付く女性の幾人かは大きなカバンなどを座席に置いている。いわゆる「荷物に一席与えている」状態である。空いているから別にいいだろう、混んできたら退かせればいいだろう、というのは真っ当な意見だと思うし、同意はする。しかし、得てして「荷物に一席を与えている」女性たちは(男性でも見受けることはあるけれど)周囲の様子を気に留めることはほとんどない。「どこ吹く風」なのだ。彼女ら(彼ら)の思考を覗いてみたい衝動に駆られる。現に今もそういう気持ちである。全く周囲の様子に気がついていないのか、はたまた気がついていても自分は関係ないと思っているのか。
自分はそういった人たちを非難することよりも、そういった人たちが及ぼしている影響に憂いている。直接的には座りたくても座れない人のこと。間接的には、そういった人たちに育てられた子供たちの将来など。

自分が気にし過ぎであることは否めない。けれど気になってしまう。そしてそこから連鎖して様々な想像/妄想をしてしまう。
それがHSP的なのかどうかはひとまず置いておいて、社会に溢れている自分にとってストレスになり得る事象にどう対応するか。そして、自分の精神状態をどう整えるか。それが一番大切なことで、その次に自分が考慮する社会の課題に対して自分ができることを考えることになるのではないか。そんな風に思う秋の昼下がり…

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