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プラモのネタ探しに見つけた複葉機「Avia Ba-122」

 ある場所でプラモデルを展示することになり、そのための題材作りに悩んでいた時、ある複葉機を見つけた。

 機種名は「Avia Ba-122」。かつてチェコスロヴァキアの航空機メーカーとして知られたアヴィア(Avia)が開発・生産した単座単発複葉のアクロバット機です。B-122としての初飛行は1934年5月で、エンジンを取り換えた量産型のBa-122は1936年1月に飛行しています。

 アヴィアというと聞いたことがない人も多いでしょうが、戦前戦後を通じて航空機を製造しており、歴史に翻弄されつつも、生産機がけっこう重要な局面に登場している面白い会社です。
 今は飛行機製造からは撤退しており、小型トラックが事業の中心でとなっていますが、アヴィア・プロペラ(Avia Propeller)があるので、まだ航空機とは縁が残っているようです。

 さて「Avia Ba-122」ですが、第1次世界大戦後に生まれた新興国家であるチェコスロヴァキアの威信をかけた機体として開発されました。同国の技術力と空軍パイロットの技能を示すため、パリやベルリン、チューリッヒで編隊飛行も披露したとのこと。3機1組でチェコスロヴァキア国旗の赤、青、白の派手な塗装が施された機体もありました。
 ちなみにフランチシェク・ノヴァーク中尉が操縦した機体(機体記号:OK-AVE)は復元され、クベリ航空博物館で展示されています。

フランチシェク・ノヴァーク中尉機

 こうした飛行機を作っていたチェコスロヴァキアでしたが、ナチス・ドイツによる占領・併合や共産主義政権による支配など、苦難の歴史を歩み続けることになります。
 ちなみにアヴィアはドイツ空軍機の製造を担っていたことから、戦後はメッサーシュミットBf-109を基にした戦闘機「S-199」を作ったり、ジェット機のメッサーシュミットMe262を基にした「S-92」を作っていたりしています。このうちS-199は建国初期のイスラエルが導入し、第1次中東戦争における貴重な航空戦力として投入されました。

 そして僕はホビーサーチにあるBa-122のページを見ながら、買うか買わないか悩んでいる1月初めとなっています。

 能登半島地震や日本航空機と海保機の衝突事故などが立て続けに起きた2024年のnoteは備忘録的な記事から始まりました。こんな感じでノンビリやっていきたいです。

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