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強運のレストラン船「ロイヤルウイング」。バブルも震災も乗り越えた波乱万丈の半生

 長らく横浜港を拠点に活動してきたレストラン船「ロイヤルウイング」が5月14日に予定されているファイナルクルーズをもって営業を休止します。

 かつて関西汽船の客船「くれない丸」として大阪・神戸と別府を結ぶ瀬戸内航路で活躍していた同船ですが、実はレストラン船としてもユニークな歴史を歩んできました。

関西汽船「くれない丸」

 現在、横浜港で運航している「ロイヤルウイング」は、1960(昭和35)年2月27日に「くれない丸」という船名で竣工しました。発注者は当時、日本最大の内航客船会社だった関西汽船、建造ヤードは新三菱重工(当時)神戸造船所です。

  国鉄の優等列車に対抗するため、「動く観光ホテル」をコンセプトに、豪華な内装と高速性能を両立した同船は、姉妹船の「むらさき丸」と共に、関西(大阪・神戸)と四国の高松、松山、そして九州の別府を繋いでいました。

 しかし、鉄道だけでなく道路などまで含め陸上交通が整備されるにつれ、客船は逆に衰退していきます。
 1968年に阪九フェリーが神戸―小倉航路を、1970年にダイヤモンドフェリーが神戸―大分航路を相次いで開設すると、マイカーとトラックの両方を旅客と共に輸送できるフェリーに人気が集まるようになります。

 加えて、1975年に山陽新幹線が博多まで延伸すると、瀬戸内海航路の客船が持っていた速達性というアドバンテージも完全に失われました。

 さらに海外旅行ブームが到来し、別府への観光客も大きく減ったことから、ついに関西汽船は別府航路の減便と完全フェリー化を決断。それに伴って定期航路を退いた「くれない丸」と「むらさき丸」は1981年8月、客船としての役割を終えました。

 しかし売却先が見つからず、長い間にわたって佐世保重工業の敷地片隅で係船状態に留め置かれていました「くれない丸」は、ここから波乱万丈の道のりを辿ることになります。

レストラン船「ロイヤルウイング」誕生

 バブル景気に突入すると旧「くれない丸」はレストラン船に転用されることとなり、船名を「ロイヤルウイング」へと変更。運航を担う新会社として1988年10月に「ニッポンシーライン」(吉本日出夫社長)が設立されました。

実はニッポンシーライン時代のロイヤルウイングの模型

 レストラン船として運航するに当たり、既存の客室は全て撤去。コース料理中心のメインダイニングのほか、フェミリー層向けのレストランや寿司割烹なども設けられます。出来立ての料理を提供するため、船内にはキッチンを2か所設け、そこで調理する方式を採用しました。

 「ロイヤルウイング」は1988年11月に佐世保重工で改造を完了。 横浜へ回航され、12月1日の運航開始を待つばかりとなりましたが、諸事情により就航が遅れます。 結局、関東運輸局からクルーズ事業の許可が下りたのは1989年2月28日のことでした。

航路自体はニッポンシーライン時代とあまり変わっていない

 しかし、ほどなくしてバブルが崩壊すると、日本は長い不況期に突入します。このあおりを受け「ニッポンシーライン」も業績が低迷、1993年12月に営業を取り止めました。

バイキングスタイルを確立した太平洋フェリー時代

 残された「ロイヤルウイング」に目を付けたのは、名鉄グループで名古屋―仙台―苫小牧間のフェリーを運航している太平洋フェリーでした。

 同社は子会社として「横浜ベイクルーズ」(伊藤午一社長)を設立。「ロイヤルウイング」を三菱重工業横浜製作所に入渠させてリニューアル工事を施し、1995年3月に横浜港・大さん橋からの運航を再開します。
 料理の金額は時代に合わせてリーズナブルな価格帯へと変更。「ロイヤルウイング」の目玉の一つであるバイキング形式のサービスは、この太平洋フェリー時代に始まりました。
 当時は屋上デッキでサンバを踊ったり、夏季にはビアクルーズを行ったりしていたそうです。

ここでサンバを……?

新生「ロイヤルウイング」設立

 2000年12月、今度は芸能プロダクションの吉本興業が「ロイヤルウイング」を購入し営業権を引き継ぎます。

今の社旗とファンネルマークは「株式会社ロイヤルウイング」になってから

 同社は船の営業と運航を担う「株式会社ロイヤルウイング」を設立。IHI磯子工場で大規模な改修を行い、2層吹き抜けの大ホール(カトレア)を船首下部に、VIPルーム(カサブランカ)をブリッジ後方にそれぞれ設けるとともに、より本格的な中華料理を提供したり、乗組員によるバルーンアートなどのパフォーマンスを行ったりするようにしました。

カサブランカ
カトレア

  ただ、吉本興業も6年ほどで手放します。次に「ロイヤルウイング」の運行を担ったのが、イベント会社の「モック」。2006年に「株式会社ロイヤルウイング」を子会社化しますが、わずか2年ほどで2008年5月に「サンリオ」へと売却。こうして「株式会社ロイヤルウイング」は同社の傘下に入ります。これにより、サンリオキャラクターとのコラボグッズや、ハローキティが誕生日を祝ってくれるバースデークルーズなどを展開するようになりました。

 しかし、サンリオも数年程度で手放してしまったようで、東日本大震災後の観光需要の大きな落ち込みを経て、横浜港を基盤に港湾荷役事業を展開する藤木企業が「株式会社ロイヤルウイング」を子会社化。こうして現在に至っています。

 こうして見てみると、35年もの長きにわたり一貫して横浜港を拠点に営業してきた「ロイヤルウイング」ですが、見えないところで、かなり流転の半生を歩んできたことがわかるでしょう。

 実際、1960年に関西汽船の「くれない丸」として誕生し、その後「ロイヤルウイング」として2023年5月まで歴史が続いたのも、同船が持つ運の強さに加えてスタッフや乗船客など、多くの人に愛されていたからと考えます。

 5月14日のファイナルクルーズまであと少し。大さん橋から出港する「ロイヤルウイング」を見れる時が終わりに近づいています。


詳しい記事は乗りものニュースに書きました。


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