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連載note小説「藤塚耳のコーライティング」第3回

第2回はこちら

「耳祭り」まで、あと16日

ナマコHolothuroideaは、棘皮(きょくひ)動物門に属する動物である。体が前後に細長く、腹面と背面の区別がある。体表は主にコラーゲンから成る厚い体壁に覆われている。体壁は柔軟で、伸縮性に富む。骨格の発達は悪く、細かな骨片として体壁に散らばっている。雌雄異体であるが、外観から区別することは困難である。すべてが海産であり、淡水・汽水域には生息しない。多くはキュビエ器官という白い糸状の組織を持っており、刺激を受けると肛門から吐出する。同様にある程度絶食の環境にも耐えられる。多くは細長い芋虫型で、前端に口、後端には肛門がある。敵の攻撃を受けると腸などの内臓を放出することがある。他の棘皮動物同様に再生力が強く、吐き出した内臓は1-3ヶ月ほどで再生される。
Wikipedia「ナマコ」より著者が引用し独自に編纂

きびしい寒波がおそう冬の夕暮れ、渋滞する明治通りとの交差点を越え、JR新宿駅の甲州街道口改札出口にむけて、なだらかに坂道となる国道20号・甲州街道の、都内にしてはずいぶんと幅のある歩道を、一匹の、人間の成人の背丈ほどもある、しめったナマコが、ゆっくりと、黒い液体をちょっとずつもらしながら、その体躯の全体を、ぬるぬるとうごかして移動していた。体壁を伸縮させながら、芋虫の要領で駅前をめざす。速度は人間の通行人たちにはおよばないが、確実に路面を表皮のざらつきでとらえながら進むそのようすは、けっして遅すぎるということはない。ナマコはかれにとっての全力をだしているのだ。
 2月なかばの刺すような冷気は、かれのような棘皮動物にはこたえるはずだ。だが、そんなことは意にも介さず、ナマコはパチンコ屋や牛丼屋チェーン店が営業する光をいっしんに浴びながら、ゆっくりと西へ向かって坂道を移動していた。
「ぬぷ」
とか、
「むぅ」
とか、声とはことなる、おそらくは体壁の表面からとおもわれる微量の音声を出しながら、巧みに身体をくねらせては、人間用の斜面をナマコはねとり、と前進する。あたりは夕暮れどきの通勤者であふれており、ナマコに気をとめるものはいない。まちがえておなじ新宿の、アルタ前と呼ばれる方面へ出てしまったナマコは、かれのやわらかな肉体ゆえの、動きの不自由さに難渋しながら、それでもやっとの思いで、スマートフォンの地図アプリが指示するとおりの目的地へたどりついた。
 しめったナマコの身体が、冬の乾いた都市の空気で少しかさついていた。もしあなたが冬のおわりの夕暮れに、都内の駅前でナマコを見かけたら、想像するよりもはるかに、自然に街の人のながれにとけこんでいることにおどろくだろう。夕闇の一部であるかのようにそっと動き、そっと呻き、かれらはなるべく不自然な印象を与えないようにしながら、退勤する。家路をいそぐ。居酒屋にはいる。むにょむにょとスマートフォンを操作し、ぶにょぶにょとうごく。
 この一匹のナマコの目的とするところは、坂道をのぼりきった場所、すなわちJR新宿駅の甲州街道口で、ある特定の人間の若い雌(メス)にであうことだった。シンガーソングライター・藤塚耳、というその雌(メス)は、ナマコが勤務するシステムエンジニアリング会社がかれに常駐先として指定した大手財閥系電機メーカーの、情報システム子会社のサテライトオフィスが位置する場所の最寄駅であるJR新宿駅で、もう半年ほど前から何度も路上ライブをおこなっているのだった。
 とっくに日没をすぎた甲州街道口は、周囲の高層ビルのデジタルサイネージに照らされて真昼のように明るかった。「現場」に遅れてやってきたときは、遠巻きにながめるのがナマコの習性だ。甲州街道口改札からでてきた通勤客の目にとまる場所で、なおかつ通行人の邪魔をしない、苦情がきにくい一番車道にちかいあたり。そこに簡易型の折りたたみ式キーボード・スタンドを立てて、まさにこういった、藤塚耳のような需要にあわせて近年売り出された、女性でも持ち運びやすい重量で設計されたシンセサイザーを乗せる。そこからステレオ出力で小型の(警察に止められない=通称「ポリスストップ」されない程度の)スピーカーにつなぎ、同じ要領でダイナミックマイクをマイク・スタンドに立ててこちらも同じスピーカーへと接続する。こうして藤塚耳は、冬の夕暮れの家路をいそぐ通勤客であふれる甲州街道で、路上ライブを開催していた。

 信じられるものなんて
 なにもないと思っていた
 愛されることだってさ
 決してないと思ってたよ

 お互いこうして歩んでいけるだなんて
 あの日は思いもしなかったよね
 偶然がこうして愛に変わる日まで

 ありがとう花束をあなたに
 ありがとう優しさをあなたに
 届けこの想い、あの空に
 星がまたたく頃に

 ありがとう花束をみんなに
 ありがとう優しさを永遠に
 誓うこの願い、あなたと
 ずっと一緒に
 いられますように

 ぽぽ、ぽぽ。
 ナマコはユニクロで買った、かれにはちいさすぎるウルトラライトダウンジャケット(黒・XL)をはちきれそうにさせながら、ぽぽ、ぽぽ、と感情を昂らせた。遠巻きな位置を利用してまず「引き」の全体写真(数十名の通行人が藤塚耳を取り巻いている構図)をスマートフォンで撮影すると、もう少し距離をつめ、今度は彼女の、耳の、歌っている姿がはっきりと確認できるくらいの構図で写真を撮った。ナマコがはじめて耳を見かけた、出会ったときと同じ曲「花束をあなたに」を耳は歌っていた。「お互いこうして歩んでいけるだなんて、あの日は思いもしなかったよね」ナマコはさきほど歌われた歌詞の一部をかみしめていた。職場でも、ひとりのアパートに戻っても、どのような場所も、おれのようなしめったナマコを、攻撃し、排斥する。世界はナマコにとって許されない居場所であるかのように思えたが、この甲州街道沿いで藤塚耳の歌声を聴いているいまはちがう、とナマコは感じていた。じぶんが海からほうりだされた、のけもののナマコではなく、人間としてここにいていい、と許されているような気持ちになることができるから、ナマコはこの曲が好きだった。そして、この曲を歌っているときの耳の歌声が、そして耳が好きだった。
 耳が「花束をあなたに」を歌い終わると、ナマコは耳に駆け寄り「お、お疲れ様」と声をかけた。緊張で表皮がざわつき、路面に黒い汁が少しこぼれた。耳は「いつもありがとうございます!」と元気よく返事をしながら、ナマコのほうに目はやらず、手際よく機材を片付けていく。スタッフはいないから、すべてはひとりだ。てきぱきとキーボード・スタンドを折り畳む姿も、ナマコは忘れず写真におさめた。その隣にある「女性シンガーソングライター 藤塚耳 CDサインします ライブチケットあるよ♪」という手書きのサインボードも、忘れず撮影しておく。
 ひとしきり撮影すると、ほかの客と話し込んでいる耳にむかって「き、今日も、は、花束よかったよ」と消え入りそうな声で、ひとりごとか話しかけているのかわからない言い方でナマコはいった。耳はきこえていないのか反応がない。そのままナマコは真っ黒なスポーツタイプのリュックサックを背負い直すと、足早に新宿駅の改札へとむかった。

【定期】2022・2・15「1日遅れのバレンタイン?」
定期路上レポ 藤塚耳
今日は新宿のいつもの甲州街道口に参戦・・・炎上案件でトラブル対応多いとは聞いていたけど想像以上なんだヨ(泣)、折角の天使の歌声なのに遅刻ナリ。しかもアルタ前に行くという耳ヲタ失格の凡ミス(汗)・・・真冬なのにファンも増えてきて、耳のサクセスストーリーが進んでいる感じします。終演後の写真のは、自分で機材類、片付け、偉いネ! こういう姿を見せられるから、応援していきたいっておじさん思っちゃうんだナ 路上からのサクセスストーリーを一緒に作り上げていきたいと思ってマス 写真は撤収後の蒙古タンメン(爆)歌声とは違和感か?(苦笑)まるで1日遅れの天使からのバレンタイン堪能しました ファンになってくれる仲間募集

#藤塚耳  #天使の歌声 #路上からのサクセスストーリー #女性SSWさん好きな人と仲良くなりたい #花束をあなたに #はなたに #耳祭り

「耳祭り」まで、あと15日

藤塚耳 ソロ ワンマンライブ「耳祭り-BIRTHDAY SPECIAL-」
2022年3月3日 午後6時開場 午後6時30分開演
下北沢 CLUB 404 NOT FOUND
チケットADV/¥3,500- DOOR/¥4,000-

こんちわ!何度も告知でごめんなさい。

24年前に生活費をぜんぶパチンコ、ではなく洋楽レコードのファーストプレス集めるのに使っちゃうオーディオマニアのお父さんが「耳のいい子に育つように」と3月3日生まれのわたしに「耳」って名前をつけました。絶対3月3日生まれのほうが理由だよね笑 あとからかっこつけて「耳のいい子に」とか言ってるんだと思う笑 上京するときはめちゃくちゃ喧嘩したけどメジャーからCDたった1枚リリースしたら三十枚買って親戚中に配った父よ笑 今なら言えるありがとう(感動笑)

そんな私の生誕祭です。はい、自分で言う笑 場所はいつもいつもお世話になってるノットファウンドさんです!いつも来てくれるかたありがとう〜当日物販あたらしいの出せるかちょい微妙なんですけどチェキとかはもちろんやるとおもうしサイン握手とかいつもの感じかな。

あ、あと新曲もやる予定! 今つくってるんだ。

「耳祭り」まで、あと14日

リップクリームなどつけたことはなかったが、しめったナマコにとって今どうしてもそれは必要だった。しめったナマコでも外界との接縁部たる口と肛門だけはときおり乾くのだ。冬の終わりのこの時期はなおさらだ。すこしでも、相手に不快感を与えない、清潔な身だしなみを。乾き切った口と肛門を自宅近くのドラッグストアで買い求めた人間用リップクリームでうるおすと、ナマコは今日の「現場」へと「参戦」するために、ふたたび全身の体壁にひろがる、ひだ状のサムシングを活用して、藤塚耳の路上ライブへとむかった。
 昨夜の配信ライブで「ファンの方もマナーに気をつけてほしい」と耳が言っていたことに、ナマコは胸を痛めていた。相手が若い女性だからといって、怖い思いをさせるとは言語道断、とナマコは思った。シンガーソングライターのファンであるということは、音楽のファンであるということだ。その言葉を、メロディーを感じとるべきであって、紳士的に一定の距離をたもつべきなのだ。配慮もなく耳に不快な思いをさせるファンがいることに、同じファンとしてナマコは腑が煮えくりかえる思いだった。誰だよ、そいつ。
 通勤電車のドアが開くと、矢も立てもたまらず芋虫状の身体の先端をだしてにょろりとドアの外へとびだす。勢いよくJR新宿駅のホームから階段へと伸縮自在にはいまわり、甲州街道口の改札を飛び出ると、怒りと走りで息はあがり、ナマコのどす黒い腹部がさっと茹でたようにそこだけ白くなった。もう冬も終わりが見える季節だ。ナマコは今が旬なのだ。
 耳はきょうも、「花束をあなたに」をうたっていた。同じ時間にうたっていても、ナマコがぬっと見上げる新宿の空は毎日少しずつあかるくなっていく。この冬いちばんの寒さです、という天気予報とはうらはらに、空や土のにおいから、ナマコは春の訪れを感じていた。人間とちがって、ナマコの皮膚はほんのわずかな季節や自然環境の変化にも、敏感にならざるをえない。全身から黒い汁をたらしながら、ナマコは「勝負の春だ」とおもった。シンガーソングライター藤塚耳にとっても、そしてファンであるおれにとっても、この春は勝負の春だ、とナマコはいきごむ。いよいよ、彼女の才能が世に羽ばたく、そんな季節が近づいているとナマコは確信する。そして、耳のそんなサクセスストーリーを、おれが実現するのだ。
 うたいおわった耳に、声をかけようとナマコはちかづいた。
「た、たまたま」
 たまたま通りかかって、と言おうとして、ナマコは、ちがう、もっと積極的に、ポジティブにならなくては、と思う。路上からのサクセスストーリー、それを実現するのだ。天使の歌声なのだ。もっと、明るく振る舞って、耳を勇気づけるのだ。
「ま、またまた」
 そう口をついて出たことばは、ナマコの意図することばではない。ほんとうは「きょうも人数、集まってるね。順調じゃん。耳祭りソールドアウトするんじゃない?楽しみにしてるね。毎回ごめんね。またね。」くらいのことを言いたいのだ。だが、ナマコの肛門と大差ない口唇部では、そのような日本語の発音はむつかしい。「ま、またまた」が関の山だ。
 ぽぽ、ぽぽ。
 恋はあせらずだ、とナマコは反省した。

(続く)

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