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連載note小説「藤塚耳のコーライティング」第6回(最終回)

「耳祭り」まで、あと4日

ぽぽぽぽぽぽぽぽぽぅ
 ぽぽぽぽぽぽぽぽぽ!

スマートフォンのカメラの性能が非常に向上しているため、事実はあきらかだった。深夜、新大久保のラブホテル街から駅前へむかう、藤塚耳と、となりに男が一人。ナマコが布団のなかで妄想したあらゆるケースの中で、それは最悪のものだった。藤塚耳に恋人がいた、男がいた、とナマコはうめいた。予想通り、音楽関係者じゃないか。どうせ、こいつとユニットでも組むんだろう、どうせ、こいつに影響されて、ろくでもない音楽を好きになったんだろう。
「ぬぷ」
 ナマコは動悸がとまらなくなった。からだじゅうがふるえ、かなしさと屈辱と怒りのいりまじった感情に支配され、全身から黒い汁をいつもの2倍出した。
「むぅぅ」
 ナマコはいままで何度も人間の雌(メス)を好きになり、愛したいと願ってきた。しかし、哺乳類と棘皮動物はあまりにもへだてられた、恋に落ちることを許されない関係だった、とナマコは回想した。ナマコはいつでも「ノーカン」、ノーカウントの存在として、人間社会にはいないものとして対処されてきた。それもそうだ、ナマコなのだから。だがナマコにはナマコの自覚がない。体の表面にある穴が口と肛門しかなくても、それでも音楽を聴くし恋にも落ちるのだ、とナマコはふるえた。全身のひだでききいる藤塚耳の声が好きだった。「ありがとうございました」という歌い終わりの挨拶の声が、まるで自分に話しかけてくれているようで好きだった。だが、あまりにもばかげた半年間の夢だった。今や藤塚耳は人間の男に奪われた。それだけじゃない、藤塚耳の「天使の歌声」も、あの男に奪われた。おれのものだったのに、おれが耳とつくりあげるはずだった「路上からのサクセスストーリー」だったのに、今やそれは奪われ、あとにはほかの男のものになったきずものの、くだらない藤塚耳と、なんかうるさいだけの、ヒップホップだかロックだかしらないが、なにか「タフ」とやらをウリにするどうでもいいきずものの音楽がのこるだけだ。ヒップホップか? ハードロックか? それとも、なんか、クラブで、かかっていそうな、そういう系の! ああいうやつか! ああ、ああ、ああ! とナマコはくるまっていた布団をはらいおとすと、

じょおおおおおおお、

と畳の上をはいずりまわった。

じょおおおお、じょおおおお。
じょおおおお、じょおおおお。

こんなふうに、おれと耳との関係がおわってしまうなんて、悲しすぎる。どうしても最後に、おれはこの純粋な想いを、耳につたえたい。ナマコはそうおもった。


深夜、路上ライブを終えて耳がアパートに帰宅すると、玄関のドアの下から黒い汁が溢れ出していた。実家から送られてきた野菜を、2月末の寒い時期とはいえ玄関に放置したのがいけなかった。朝イチでゴミ捨て場に捨てなくちゃ、と思い、耳は玄関をあけた。低く怒りにみちた唸り声が耳を直撃した。玄関にあったのは、いや、いたのは野菜ではなく、動くなにかだった。それがなんなのか特定できないまま、強烈な腐敗臭が耳をおそった。動くなにかは黒色で、しめっていて、のたうちまわりながら玄関におさまりきらず耳の部屋までたっしていた。耳は足からくずれおちた。動くなにかは黒色の表面に無数にある気孔のようなものから白い糸のようなものを出して耳を捕獲した。耳はその場から動くことも声を発することもできないまま白い糸のようなものにのみこまれた。耳をつつんだ白い糸はアパートの外廊下をつたい、全世帯へとひろがり、原型をとどめていない耳を栄養分として消化すると、いきおいよく未明の近隣の住宅街へと白い糸をのばしていった。

「耳祭り」

ライブ本編、最後の1曲を歌い終えた耳に、あつまった100名を超す観客から、あたたかい拍手がおくられた。耳は笑顔で手を振り、マイクをオフにして「ありがとうございました!」とおおきな肉声で感謝をつたえると、下手(しもて)にハケて楽屋へもどってきた。
「おつです!」とナオトがねぎらった。「なんとかなりましたね。とにかくライブ本編が無事終わってよかった。こんなに盛り上げてもらって、アンコールで出ていくぼくらも、ずいぶんやりやすいですよ。」といってナオトは笑った。
 耳の24歳のバースデーを記念してのソロ・ライブ「藤塚耳 ソロ ワンマンライブ 耳祭り-BIRTHDAY SPECIAL-」は2022年3月3日、下北沢 CLUB 404 NOT FOUNDで予定通り開催され、チケットもソールド・アウトして盛況だった。ライブ本編は、ライブハウス備え付けのグランドピアノによる、耳の弾き語りで構成された。たったひとりで十数曲のセットリストを緩急ゆたかに表現した耳には、暖かい拍手がおくられた。
 耳がハケると舞台は暗転した。アンコールの拍手が鳴り止まないなか、すぐにスタッフがステージにあらわれ、手際よくグランドピアノを下手(しもて)に移動させる。あらたにステージ中央にカウンターバーでつかわれる背もたれなしで背丈の高い椅子と、それにみあった高さにセッティングされたマイクスタンドが用意された。上手(かみて)にはフェンダーのギターアンプ、そして下手(しもて)にはラップトップDJ用のPCスタンドが用意される。新曲を披露するにあたっては、工のトラックをPCから流してそこに加えてシンセサイザーを演奏するのがナオト、ギターパートを自分で弾くのが工、という役割分担になったのだ。
 舞台がふたたび明転し、歓声があがる。はじめてピアノの前に座らず、バーチェアに座り、サポートメンバーをしたがえた耳に「おおー」と様式美の歓声がくわわる。

「どうもありがとう」と耳はふたたび言う。拍手がおこる。拍手がおさまるのをまってから、耳は話しはじめた。

きょうはほんとうにありがとう。バースデーを、こんなにたくさんの優しい人たちがお祝いしてくれるなんて、わたしはとても幸せです。アンコールもありがとう。いまから、あたらしい曲をうたいます。……みんな、楽しみにしてくれてたかな?

(イェーイ)

ふふん。いぇいいぇい笑。はい。ええと、たいせつな気持ちをこめて、新曲をつくりました。コーライティングって知ってますか? 知らないよね。たとえばいつもの私みたいに、ひとりで曲をつくるのがライティングね。それも素敵。それも最高。だけどそれだけじゃ乗り越えられない壁とか、変わりたいのに変われない、とか、いろいろなことがある。だけどうまい手があって、そういうときには、みんなで、仲間とつくればいいんだよ。うん、それでね、完全に忘れてました。紹介を笑。失礼きわまりない笑。今日のサポートメンバー、NAOTO、それから工! ありがとう! はい、拍手!

(パチパチパチ)

仲間と音楽をつくるって、バンドの人とかは当たり前かもしれないけれど、わたしにとってはとても新鮮でした。いつもとちがう、っていうことに、怖さとか、がっかりですとかを、感じるひともいるかもしれない。でも、大切な一歩なので、きいてほしいです。特に、そうだな、きょうはいっぱい女の子も聴きにきてくれてるけど、特にきいてほしいかな、と思います。
 それでは聴いてください、最後の曲、「ガールクラッシュ 」です。きょうはきてくれて、本当にありがとう。
 もう夜も遅いね。帰るとき、気をつけてね。

"Girlcrush"

I'm not a girl
I'm not a kind of girl that you like, that you want

Don't explain to me
Don't explain as if I know nothing, nothing

You say I should sing like this
You say I should smile like this
You know this is a misery
So leave me now, don't touch me now

All I want is
Girl CRUSH-CRUSH-CRUSH
Girl CRUSH-CRUSH-CRUSH
There's something cruel
There's something growl
There's something woo…

All I want is
Girl CRUSH-CRUSH-CRUSH
Girl CRUSH-CRUSH-CRUSH
There's something new
There's something few
Ain't begging you

せまいライブハウスのフロアにどよめきが起こる。群衆の中央部が、危険を避ける各々の動きによってぱっかりと割れると、そこには黒いダウンジャケットがはちきれそうになった、中年の巨漢の男の姿があった。異臭がたちこめ、やがて網の上のモチのように男はふくれあがり、およそ人間の基本的な姿態からはみるみるかけ離れていく。「ぽぽぽぽぽ、ぽぽぽぽぽ」という音がきこえる。口からでているのか、肛門からでているのか?
 だが耳は歌うことをやめない。ナオトも、工も、音楽をたたきつけることをやめない。防犯上の理由で開始されたコーライティングが、いま結実しようとしているのだから。

I'm not a girl
I'm not a kind of girl that you imagine at all

Don't torture me
Don't torture me in a name of love, in a name of aid

Like a demon you surrender me
Like a beacon you don't leave me
This is NOT me
This is NOT your dream
This is NOT your Delusion
Delusion

All I want is
Girl CRUSH-CRUSH-CRUSH
Girl CRUSH-CRUSH-CRUSH
There's something cruel
There's something growl
There's something woo…

All I want is
Girl CRUSH-CRUSH-CRUSH
Girl CRUSH-CRUSH-CRUSH
There's something new
There's something few
Ain't begging you

ぽぽぽぽぽ。
 ぽぽぽぽぽ。
 全身から泣き声を発するとやがてナマコの身体は決壊をはじめた。体重がかかっている下半身の、穴という穴から真っ黒い汁があふれだす。キックの重低音がスピーカーから放たれるたびに、決壊は加速する。「ぬぷ、ぬぷ」と声がすると、製品の強靭さの限界を超えてストレッチされた黒のダウンジャケットが破断し、破片がナマコ の周囲に飛び散った。裸のナマコの全身があらわになり、悲鳴があがるが、歌声はとまらない。音楽はとまらない。「むぅ、むぅ」と泣き叫びながらナマコが藤塚耳に近寄ろうとする。いつもの歌をきかせてほしい。いつものように、甲州街道の路上ライブのように。あの日のように笑ってほしい。元気よくあいさつしてほしい。だがナマコが一歩ふみだした瞬間、サンプリングされた音圧の高いキックの連打がナマコをおそう。ナマコの身体はくずれおち、口、ひだ、腹部、肛門、すべてのバランスをうしない、もはやそれは回復不可能だ。ナマコは口と肛門の双方向に、かれのまっしろな内臓をいっせいに放出する。ライブハウスの暗闇の中に、ほの白い内臓を吐き出し続けるナマコを、青いピンスポットが照らした。深海の底で、内臓をうしなったナマコのぬけがらはしずかに踊り始める。体壁の残りカスや、内臓の破片が、青いピンスポットライトに導かれるように、螺旋状に円を描き上昇しながら、しずかな海流をつくっていく。

最後のキックが放たれ、ピアノの持続音の残響がとぎれた。「ガールクラッシュ 」のパフォーマンスが終わった。歌い終えた藤塚耳に、一方的に声をかけ自分の話ばかりするあの人物はもういない。耳はバーチェアから降りて観客の真正面に立つと、ちいさく一礼して「どうもありがとうございました。」とマイクでのべた。一瞬おいて、どっと拍手がわきおこる。拍手はつづき、藤塚耳を照らす白のピンスポットライトと、ナマコの内臓の残りカスを照らす青のピンスポットライトだけが、拍手と共にこの夜の空間を支配している。
 やがて「花束をあなたに」を観客が、アカペラで歌いはじめる。耳にとっては、それは予期せぬダブル・アンコールだ。うたいおわると、いつしかその歌声は「ハッピー・バースデー・トゥー・ユー」にかわっていた。客席が明転して、耳にはみんなの笑顔がよくみえた。スタッフが床に散乱したナマコの内臓を清掃して回収しているあいだも、最後まで会場には歌声がひびき続けていた。藤塚耳の24歳は、これまでとはちがう1年になるだろう。たとえ全身黒ずくめの得体の知れない存在がふたたび彼女の眼前にあらわれ、恋という、ファンという、うわべの名目を借りた、マウンティングの暴力をふるおうとしてもそれは困難だ。天使の歌声などではなく、ひとりの魅力的な人間としての歌声が。だれかの欲望が投影された成功ではなく、みずから行動し手に入れる成功が、藤塚耳を待っている。なにかが耳のゆくてをはばんだり、だれかが耳を押し黙らせたり、いつしか耳が立ちすくんだりしても、心配はいらない。そのときはまた、自由に心ひらけるだれかとコーライティングすればいい。創作はいつだって自由で、創作はいつだってささやかな希望のはじまりの合図だ。

ー了ー

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