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連載note小説「藤塚耳のコーライティング」第4回


「ま、またまた」
 耳は警戒心を悟られないようにふるまいながら、路上にあつまる、ほかのファンの対応を優先した。なるべく自然に行動しながら、危険なファンを避け、なおかつそれがファンのあいだで「塩対応」と呼ばれるそっけないものにうつらないよう、客観的な視線を意識する。それでもその太ったSSWおじさんは、煮コゴリのように固まった表情のまま、二、三歩だけ耳のほうに近づき、また「ま、またまた」とちいさく発言した。周囲のファンのうち、機転のきく数名が、それとなくSSWおじさんと耳のあいだにまわり、安全を確保してくれた。ほんとうに怖い、と耳は思った。路上でひとりで歌う二十代前半の女性に「ま、またまた」と怖気ながら声をかけて、それで相手が怖いと思うかもしれないと思うことができない大柄の男が、耳にとって安全なわけがないのだ。
 さいわいサイン、チェキ(ツーショット写真を許可すること)、そして物販などすべてのファン対応が終わり、機材もまとめて撤収するという段階まで今夜も無事にくることができた。耳が帰宅しようとしたそのとき、そのSSWおじさんは急に耳に路上でちかより、通行人が振り返るほどの声量をふいにだした。
「なんかもっとブルースとかさあ!リズムアンドブルースとかジャズとかがやっぱり勉強の基本にあると思うんだナ。そういうものを経由してこその昭和歌謡で、80年代ポップスがあると思うヨ。そういうのもさあいっぱい歌いなヨ。耳ちゃんの声でムードある曲っていうのもすごくいいと思うんだナァ。路上からのサクセスストーリーには天使の歌声のバラードってこの前も言ったよね! 応援してる! 応援してるヨォ!」
 耳は咄嗟に周囲の通行人にむかって「きょうもきてくれてありがとうございました!」と笑顔をふりまき、一礼すると、その全体への対応をもってSSWおじさんへの対応に替え、小走りでその場から走りだした。
 時間がない、と耳は思った。
 わたしはものを知らないけれど、かわいくて従順な女です、みたいな印象を、付け入る隙を与える、誤解まみれの曲は、もう危険で歌えない。

「耳祭り」まで、あと13日


「バスラ合わせってことですねー了解です!」
 ナオトはスケジュールを了解した。先日開催されたワークショップ自体は、任意の締め切りを定めていない。その日にコーディネートされた各チームが、オーガナイザーのナオトに適宜、相談しつつされつつ、あとは好きにやっていくというスタイルだ。モチベーションが低くなり、1曲の音楽として完成しないチームも、定期的なワークショプのなかではままあることだ、とナオトは耳に説明していた。
 だがもちろん耳には、完成させなければならない切迫した事情がある。ひとりでは生み出せない、今という時代と切り結んだ、プライベートからグローバルへと生まれ変わるためのエレクトロミュージックで、あのストーカー気質のSSWおじさんと決別するのだ。そのためにも、近々の耳のキャリアのクライマックスである、開催まで2週間をきった、耳の24歳の誕生日に開催されるソロライブ「耳祭り」で披露しなければならない。
「ありがとうございます。バスラ、ゆうてもあと13日ですけど、そこは大丈夫ですかね。」と耳はナオトを気遣った。「曲としてレコーディングはできても、ステージでいけるくらい、馴染ませられるかどうか。」
「ぜんぜん心配ないですよ。先日のワークショップは、はっきり言って玉石混交です。耳さんも、質疑応答など聞いていてそれは感じられたと思います。だからこそ、玉石混交のコミュニティで平均点の玉石混交チームだけは絶対作っちゃいけない。ギョクはギョクで、セキはセキでチームを作る。それでも各チームに必ず良いところはあるし、各チームなりに全員がハッピーに、前よりプラスになれるはずなんです。僕は正直、この、僕ら3人のチームがいちばん「ギョク」が集まるようにチーミング(チーム編成)をしたんです。メジャーリリースの経験がある耳さんと、グローバルで通用する若い才能である工くん。自分でいうのもなんですけど、おいしい思いをさせてもらってます。いい曲を、しかもニーズにあったスピード感で、作れますよ、僕らなら。」ナオトは確信を持ってそういった。
「耳さんもご存知の通り、今回のようなグローバルを視野に入れたダンス系ポップでは、メロディーや歌詞からしんみり作って、あとから「伴奏」なんてものをつけることはまずありません。とにかくまず、工くんにこの新曲のベーシックとなる、リズムから作ってもらいます。すべては、ビートから始まる。ビートが先で、歌詞やメロディーは「トップライン」と総称され、ボーカリストとのセッションによって後発的に創造される……それが世界の標準(グローバル・スタンダード)です。サンプリングやシンセサイザーを駆使したビートのクオリティさえ高ければ、耳さんのボーカルがしっかり載るだけで、かっこよく仕上がります。」ナオトは明言した。
「工くん、トラック、いつできますか?」
 工はナオトにこたえない。いつものように一言も発さないままだ。
「あさって、どうかな。」ナオトが仮説をもったクローズド・クエッションに切り替える。工はだまって画面越しにうなずいた。

「耳祭り」まで、あと12日


愛されることだってさ
 決してないと思ってたよ

耳の歌詞のうち、ナマコがいちばん好きな一節だ。ソンナコトナイヨ、とナマコはいつもおもう。耳ちゃんのこと、好きなひと、イッパイイルヨ。ほら、ここにも、コンナニミミチャンノコトヲスキニナッチャッテルナマコガイルヨ。
 ナマコにとっての密かな楽しみは、YouTubeの藤塚耳オフィシャルチャンネルにアップされている耳のミュージックビデオを観ながら、季節を問わずアパートの部屋のはまりの悪い窓をこじあけ、深夜の風を浴びながらストロングチューハイを呑むことだった。この時期寒くて風邪をひくこともあるが、別にもうどうだっていいのだ。歳をとり、体壁も色あせ、ストレスを受けるとでてくる黒い汁は増すばかりで、ひだの数は増えど移動能力はおちている。でも、もうどうだっていいのだ。あけはなした窓からはいってくる、この春には工事されて暗渠になる予定のアパート裏の小川からのどことなくなまぬるいにおい。酔いのまわったナマコは寝床にもぐりこみながら確信する。もう、おれのことをわかってくれるのは耳しかいない。おれにとって、世界には耳しかいないし、耳にとっても同じことだ。耳を成功させられるのもおれのアドバイスと、おれの応援しかない。
 耳と、ひとつになりたい。そう願ってナマコは眠りについた。

「耳祭り」まで、あと11日


forMimi_Track_ver1_F#m_BPM164_48khz32bitfloat.wavというファイルがDropboxにアップされたという通知がとどいた。工のトラックが完成したのだ。深夜だったが、飛び起きた。枕元のスマートフォンで再生しようとして、思いとどまる。工のトラックは、スーパーローと呼ばれる、数十ヘルツの超低音が含まれている。クラブのフロアや、ライブ会場で、空間ぜんたいを揺らすあの振動だ。深夜でスピーカーは鳴らせないが、いつも自宅録音でつかっているプロフェッショナル・モニターヘッドフォンで、ベストを尽くして受け止めたい。MacbookでDropboxにアクセスして、ヘッドフォンを耳にあて、そっと両手でつつみながら聴く。
 それはピアノからはじまった。だが耳の知っているそれではなかった。2022年のグローバル・ポップスにおいて、ピアノは人間が両手をつかって演奏する伝統的な楽器としてもちいられはしない。ゼロベースでピアノの特性を、まさにフルに活用した結果として、その低域の、これまでであればいわゆる「ロー・インターバル」として敬遠されてきたような低域(あなたがもしピアノの経験があるならば、椅子に座ったときに左手で弾くあたり、と言ってしまえば伝わるだろうか)で、ふたつの音が五度の音程間隔をもって鳴らされた。
 つぎはキックだった。ダンスミュージックの核となる、ビートの低音が打ち鳴らされる。この音だけで工がいてよかった、と耳は感じた。生演奏のバンドとはまったくことなる低音の処理は、ずっとクラブミュージックに精通してきた工でなくては、とうていなしえない。つづいてクラップが加わる。いわゆる手拍子のような音だが、これも生の、素の拍手の音とは似ても似つかない。音楽でかつて生演奏や生の録音によりとらえられてきた音色(ねいろ)たちは、現在、およそニーズのあるものに限れば、ほぼすべてがデジタルにサンプリングされライブラリーと化し、クラウド上のサブスクリプション(定額継続型)サービスで自由にダウンロードできるようになっている。工のやっていることはそこからのピックアップにすぎないと、言ってしまうことはかんたんだ。だがそれは12音階からのピックアップにより成立する旋律を音階システムからの剽窃と呼ぶくらいばかばかしい行為だ。トラックメイクはいわば何を選ぶかのキュレーションであり、キュレーションこそがいまや創造だ。
 ピアノの低音のなか、キックとクラップ、そしてそれらに対する上質なリバーブ(残響)処理がくわわり、やがてサブ・ベースとよばれる、白鯨(モービー・ディック)のうなりのような持続する低音により、耳のヘッドフォンの世界は圧倒される。クラシック音楽におけるパイプオルガンの持続する超低音と、数世紀を隔てても役割は同じだ。通奏低音が鳴り続けることによりビートによる動の音楽と、通奏低音による静の音楽が互いに役割を補完しあう。動かなくてはならないものと、動いてはならないものは、共にパートナーを必要としている。
 楽曲が進行し、高揚感をます中、ふいにそれまでつづいてきたビートが途切れ、オシレーターから鋸形の波形として発振したシンセサイザーのリード音によるリフレインがひびく。ユーフォリア。これまでビートに支配されていた空間に、ぽっかりと穴があき、こんどは入れ替わって中高音の帯域から、シンフォニックな瞬間がたちあらわれる。「ドロップ」とよばれる、クライマックスであえて静寂をもちいる手法だ。ライブ・パフォーマンスであれば、ここで観客の大歓声につつまれることが耳には容易に想像できた。
 ベッドルームのヘッドフォンでも、工がどれほどのクリエイティビティを注いでこのトラックを作ったか、耳はありありと感じることができた。「怖い」と耳は思った。だがそれはポジティブな怖さだった。SSWおじさんから感じるような、無自覚にこちらのコンフォートゾーンに踏み込んでくるようなものではない。カナダ沖の野生の鯨たちは、餌をとるために群れとなり円を描いて、ターゲットの魚群を追い込んでいく。海鳴りのような、それでいて地響きのような鯨のコミュニケーション。そのような動物のしなやかさ、動物の危険さ、動物の安全性があった。なんにもしゃべらないけど、工はわかってくれている、と思った。鯨や、ライオンが味方でいてくれるところを思い描けばいい。危険性はこちらがわにあるかぎり、かえって心をやすめることができる。
 じゃ、わたしもはじめますか、と耳は思った。ここから、この工のトラックから、わたしが羽ばたくのだ。歌詞を書き、メロディーとして、うたうのだ。

「耳祭り」まで、あと10日

毎日インスタ更新して、笑顔を届けてくれる耳ちゃん、おじさん、すごぅく好感もてるナァ!
 耳祭りでの新曲早くききたいナ、ずっと楽しみにしていマス。かわいい曲で手拍子するのもヨシ、バラードで号泣(爆)するのもヨシ。応援団員一号(また言う爆)としては解禁次第すぐに全力拡散するつもりでありマス(敬礼w)

「耳祭り」まで、あと9日


「たくみさんトラックやばいすね。おととい夜中にきいてとりあえず全力で震えました笑。」耳はそういって工をねぎらった。
「そのあとも、きのう、きょうと昼間にスピーカーで聴いたんですけど、低音が気持ちいいですね。いちおう今日から時間とってあるので、集中してわたしのほうで歌詞の初稿はあげるようにします。歌いつつ、直しつつな感じになると思うんですけど、歌詞できたらテキストはチャットでみてもらいますね。同時にこっちのベッドルームでじぶんで歌、録音して、データ送信します。ふだんのやりかたでやってみますけど、もし録音のクオリティに問題あったら、遠慮なくたくみさんのこだわりはぶつけてください。」耳はメッセンジャーアプリでナオト、工と耳による3名のグループチャットにそう送信した。ZOOMでじゅうぶんに対面のコミュニケーションはとれた。こここからは、おのおのがクリエイティビティに没頭するタイミングが増えてゆくだろう。
 耳は、歌詞をかきとめるためテーブルにひろげた創作ノートに、おしゃれに西日がさすようにカーテンをあけると、さきほど書きはじめた歌詞を読まれないよう、焦点をぼかして撮影した。セピア色のエフェクトをかけてアップする。

「新曲の歌詞、書きはじめたなうー。新曲は、タフな感じ。強くて、すごくクールでかっこいい感じ。これまでの曲とは全然違うから、もしかしたらみんな、びっくりするかな? でも、これが今のわたし。」

「耳祭り」まで、あと8日


ぬぷ。
 黒い体壁のしめりけは、悲しみのせいでもあり、同時に怒りのせいでもあった。ナマコはいまだに、じぶんの目をうたがったままだった。インスタグラムで読んだ藤塚耳のメッセージのことだ。「新曲は、タフな感じ」だって? ナマコはじぶんの体壁がぬちゃり、とうらがえって、表皮が内蔵で内臓が表皮で、のインサイド・アウト状態になったかのような、ちぎれそうな自己同一性(アイデンティティ)の痛みを感じる。なにが、タフだ。とナマコは激昂した。藤塚耳がタフになってどうする。強い女だと? ふざけるのも、たいがいにしろ。藤塚耳には、心やさしいバラードが似合うんだ。それはおれが、いちばんよくしっている。ずっとみてきた。ずっと聴いてきた。ずっとそばで感じてきてやったんだ。
 おれがやるんだ、とナマコはゆるぎなく確信していた。じぶんがこの女を成功にみちびいてやるんだ。じぶんだけがこの女の魅力を知っているからな。

「耳祭り」まで、あと7日


歌詞を書く、と耳が宣言してから2日がたち、歌詞はひとつも書けていなかった。
 耳はこの2日間ずっと立ち止まっていた。工のあの素晴らしいトラックを、朝からくりかえし、リピート再生で部屋に流しながら、ころがったり、お菓子を食べたり、ものすごくていねいに洗濯したりしているうちに、初日は暮れた。焦ってテーブルにむかい、夜になって色々な言葉を書き出してみたが、耳がもっとも驚いたことはそれらの言葉はすべて「花束をあなたに」の延長線上だった。君が好き、こんな気持ちになれたこと、たくさんの思い出が、うんぬん。
 耳にとって、この2日間は、複数の意味で少なからずショックをうけた期間だった。まず、まがりなりにもメジャーデビューして、ソロで自分の言葉を大衆に届ける訓練をしてきた自負があるにもかかわらず、いざ書き出した歌詞には手あかのついたフレーズが溢れ出したこと。工の日本人ばなれしたトラック、という、自分を変えるためのチャンスが、具体的な音楽の一部としてすでに立ち現れ、なおかつ、そのサウンドに本心から感動したにもかかわらず、肝心の自分のアウトプットがそれについていけていないこと。変わろうとする気持ちの強さだけでは、創作のアウトプットがすぐには変わらないということを、耳はこれまで知らなかった。
「すいません、おととい、楽勝っぽいこと言っちゃったのに」と耳は謝った。「いかに過去の自分の作品に、しばられやすいかっていうのを感じました。今回は、変わることが目的で、そうしなきゃいけない必然性があるのに、それが、うまくできなくて。」
 ちょっと、チャットだと長くなりそうっすね、とナオトがいうので、接続したZOOMには、1週間ぶりに仲間が集結した。そうだ、と耳は思い直す。わたしはひとりじゃないのだ。仲間がいるのだ。コーライティングは、孤独じゃない。
「なんか、かっこわるいなあ、わたし。」耳は言った。「もっと簡単に、かっこいい、ニューバージョンの私の歌詞、書けるものだと思ってました。でも、いちおうプロなんだから、なんとかしないと。また今夜、ひとりでがんばってみます。」
 いやいやいや、とナオトがいった。
 いやーいやいや! 耳さん!
「かかえこまなくっても、大丈夫です。」とナオトはつづけた。「かかえこんじゃっている、という自覚はありますか?」
「かかえこんでいる」と耳は復唱した。
「イエス。ユーアーかかえこんでいる。」とナオトが返答する。
「コーライティングなんです。コラボレーションなんです。じぶんの魂の言葉かどうかは、いったん気負いすぎなくていい。だって、工のトラックに感動したんでしょ? その瞬間に、むしろ魂のほうがバージョンアップしたのかもしれない。だとしたら、あたらしい魂、ニューのほうのソウルに、耳さんのワードセンスやライブラリーが、まだついていけていないだけかもしれない。あと数時間で、あと数分で追いつくかもしれない。それだけのことだと思うんです。あんまり、言葉を聖域みたいにあつかって、言葉の価値を高めるあまり、自分を卑下しなくっていいと思うんです。ドラムもかっこいいし、ピアノもかっこいいし、言葉もかっこいい。みんなイーブン。それでいいんじゃないでしょうか? だってべつに、小説読みにライブにくるわけじゃないでしょう? これ、音楽だから。言葉はその一部にすぎないし、だからこそ僕たちも、逆に耳さんに、言葉のヒント、どんどん出しますよ。工はトラックメーカー、耳さんは作詞家。誰がきめたんですか? ピアノのフレーズを考えるのと一緒に、いい感じの歌詞だって考えているかもしれない。だよね、工くん?」
 工はへんじをしなかったが、チャットで1行だけ返信してきた。

#girlcrush

「ああ」とナオトがいった。「いいじゃん、いいじゃん。いまの耳さんの、変なおっさんにつきまとわれてピンチな状況、突き破るとしたら、それってまさに#girlcrush。そうじゃない? ねえ!」
「ガールクラッシュ?」と耳がいった。「ハッシュタグ、みたことあります。」
「同性が、つまり女性が惚れるような強い女性、というほどの意味です。男に媚びない、男が決めつける女性のステレオタイプにはハマらない。強く、自らの意思で、美しく輝く。そういうコンセプトワードです。すごくいいと思う。」ナオトは辞書的な説明をしながらも、道の先に見えたビジョンに興奮しているようだった。
「ガールクラッシュ」と耳はつぶやいた。工がなにやら治安の悪そうなブラス(金管楽器)の不協和音のサンプリングを鳴らした。コンセプトが見えたから、さらにトラックをバージョンアップさせていくらしい。
「なんか、韓国のK-POPみたいですね。かっこいい音。」
「そうです、まさにそれです。ガールクラッシュというコンセプトを一番取り入れているのは、近年グローバル・ポップスの潮流を完全にリードしているK-POPです。いま僕らが、耳さんの防犯上の理由でつくろうとしている、耳さんを守るための曲。その曲が、男に媚びない、女性のためのガールクラッシュというコンセプトなのは、必然性があると思います。」
 やってみよう、と耳は思った。「花束をあなたに」を聴きながらストーキング行為をくりかえすファンの前で、ガールクラッシュな新曲をうたう。すっと補助線がいっぽん引かれて、視界がすこしクリアになったような気がした。
「あの、これってもしかして」耳は言った。
「英語とか使ってもいいんですか。」
「逆になんでだめなんですか。最高ですよ。」とナオトは言った。「over the rainbowのカバー動画、YouTubeで観ましたよ。発音、すごく綺麗ですし、いいと思います。海外住んでたりしたんですか?」
「いや、全然。ずっと東京です。両親もべつに、国際的な仕事をしていたわけじゃなくて。留学もなし。だからほんとうに音楽だけかもしれません。洋楽のレコード、山ほどあって、ずっと家に流れていたのを、ずっと耳にしていたので。」
「じゃあ、英詞でいきましょう。もちろんですけど、全部英語じゃなきゃ、とかそういうあらゆる、ねばならない、は無いです。やりたきゃ日本語でも何語でもいい。かっこいいやつを作りましょう。」
 楽しみです!とナオトが言ってZOOMは散会した。耳はさっきまで自分を束縛していた枷が、少しだけとれたような気がした。

(続く)

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