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結果、良い経験でした。拙著がwebマガジンに大幅引用された出来事を振り返って。<後編>

拙著『「小商い」で自由にくらす』の内容があるwebマガジンに大量引用された問題で、先方とのやりとりが少し前に終わりました。
前回書いたnoteだけでは‟問題が起きた時点の状態”でwebに残ってしまい、それではあまりよくないように感じたので、完結編として続きを書きます。

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まず、該当webサイトを運営するリーディング&カンパニー株式会社の代表夏目さんからは、件のnoteを書いた2日後にはぼくのHP経由でメールが来て、事の経緯や、「直接会って謝らせてほしい」という旨の連絡を頂きました。

その後、何度かメールでやりとりしたあと、都内からいすみ市まで直接来てくださり「本当にすみませんでした」と謝ってくれた。

その謝り方が、一切の言い訳も無く、「こちらの落ち度でした」と、潔く非を認めてくれて、とても気持ちのいいものでした。


自分の職業的立場で、社会に対してできることはなにか?

前回のnoteにも書いた通り、ぼく自身は書籍からの引用をされたことについては、個人的な負の感情は無くて、むしろ貴重で有難い(と言ってしまっていいのかどうかわからないけど)なという思いも少なからずありました。
「思わず大量に引用してしまった」なんて、聞きようによっては誉め言葉です。

とはいえ、そうした個人的な感情を別にすれば、社会的に、かつモラル的にはあまりよろしくないのも事実です。

ぼくは職業柄、webのモラル問題はどうしたら改善されるのか?ということに関して、以前からぼんやりと思いを巡らすことはありましたが、今回の件で再び考えさせられることになりました。

そして、イチ個人に出来ることはほんのわずかだけど、可能な限り自分にできることはやっていきたいし、やるべき、というのが職業的責任だろうなと感じていました。

夏目さんと初めて会った日、会話の中で、夏目さんが今後彼のwebマガジンでやっていきたい方向性についての話になりました。そこで、夏目さんは、彼自身が課題であったり、スキル的に足りない感じていることについても教えてくれた。


先方の会社でワークショップを行いました。

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こうしたやり取りを経て、後日、夏目さんの会社のメンバーを対象に、渋谷の会議室で記事制作や企画についてのワークショップを行いました。
※磯木は日常的にこうしたワークショップを行っています

経緯が経緯だけにいつものワークショップよりも正直最初は若干緊張気味でしたが(ぼくがです)、想像以上にみなさんの雰囲気がすごく良くて、この日のために作ったワークが理想的な形で進んでいきました。
なにより、参加メンバーがそれぞれの個人的な問題意識に対して、前向きに解決していきたいという思いがあるのを、ひしひしと感じました。

とくに、後半約一時間半の質疑応答はすごかった
ざっと思い出せるだけでもこんなにありました。

・アポイントはどうやって取ると成功率が上がる?
・地域の魅力はどうやって見つけるのか?
・地域の魅力はどうやって発信するのが良いのか?
・地域の面白い人はどうやって見つける?
・記事のアウトプットイメージはどれくらい事前に決める?
・インタビュー相手が言いたいことを話しきれているのかわからないときがあるがどうしたらいいか?
・インタビュー相手と自分の意見が違ったときは突っ込むのがよい?
・インタビューしていて、相手をつまらないと感じてしまったら?
・インタビュー相手について知っていることと知らないことを生かすには?
・書きたい内容についてインタビュー相手からNGが出たらどうする?
・ウェブマガジンで写真の数の割合はどうしたらベスト?
・写真にキャプションは必要か?
・書いた記事に反論が多かったりするのはトンマナが悪いのか?・引用と参考の違いとは?

このやる気!です。

終えてみて、このワークショップをリーディング&カンパニー株式会社さんでやってよかったと感じたし、きっとこのメンバーがこの日のテンションでスキルと経験を積んでwebを作り続けていけば、時間を経るごとにとてもよいものになっていくんだろうなと思いました。

さらには、この2日後に長野県小布施町でおこなった、インタビューと地域の編集についてのワークショップにもはるばる都内からお金を払って参加してくれた方もいました。(本当にありがたい)

改めて振り返ると、今回の件はぼく自身にも「こんなときどうあるべきか」を試される出来事でしたが、ただのネガティブな出来事で終わってしまわなくてよかったなと、ホッとしています。少なくとも悪い思い出で終わらなくてよかった。
※そして最終的には、該当webサイトに今回の件の経緯説明等について開示されるとのことでした。ぼくは定点観測していませんが、きっと掲載されたのでしょう。


誰もが日常的に引用を行っている

そして、そもそもの発端である引用というのものに関して。

前提として、ぼくらは誰しもみんな、生きている中で意識的、無意識的にもたくさんの引用をしています。

誰かが話したことに影響を受けて、それが自分自身の考え方の一部になることもザラですし、元々誰が話したことだったのか(あるいは聞いた話だということさえ)忘れてしまって、‟引用元”を言わずに、‟自分の考え”として他人に話すことも日常茶飯事です。

余談ですが、よく覚えているのがぼくがまだ学生だった頃、友人に「生まれたときの日にちの記憶って誰も持ってないはずだから、生年月日って親の記憶を信じるしかないよね」と雑談で話した数日後、その同じ友人からまったく同じことを言われました。「え、それお前に言ったのおれなんだけな!?」と突っ込んだのは笑い話です。

悪気の無い会話は可愛いものですが、こうして世の中のほぼ全ての人が漏れなく、身の回りの人の言葉や、なにかで読んだもの、あるいはテレビやネットから見聞きした情報の複雑な組み合わせによって、自分自身の考えと自分自身の言葉を作っていきます。

そう考えると、「誰の影響も受けていない純潔な自分の考えや意見」などそもそもあったのかさえ、怪しいものです。その意味で、人はただの容れ物だとさえ思います。

だから、影響されること、影響された元がどこのもので誰のものだったのかを忘れる、ということは仕方がない。
音楽の世界でも、どこかでうっすら聞いたものを、聞いた事実を忘れた上で自らのインスピレーションだと信じて作曲してまう人が昔から後を絶ちません。これについて「パクリだ」と指摘されることも多いですが、実際の所は本人にしかわかりません。

つまり、会話は‟消えもの”ですが、テキストや録音に残す場合、急にこれが非常にデリケートなものになるのです。

→「引用元を忘れ、自分のものとして発信する」
これは仕方のない面もありますが、発信したのが影響力のある人であれば前述のとおり、指摘される可能性が大いにあります。

→「引用元を憶えていながら、自分のものとして発信する」
これはNGです。

結局のところシンプルな所に行き着きますが、

そもそもぼくらは引用や影響によってできている曖昧な存在であるという前提と自覚のもとに、引用元がはっきりしていて、それを他者に向けたテキストや録音に残す場合、マナーを守る。


ということだけだと思います。マナーとは、正しい用法・用量を守ること。そしてこれはシンプルだからこそ、ミスしたときの負の効果が大きいです。

たまたまこれまで失敗をしてこなかったぼくは、こうした考察をする機会に今回偶然恵まれました。

しかし、その反作用として、noteを書いたことで、なおさら‟引用”に関しての失敗をできない人間になったように感じています。(失敗したら「なんだ、磯木淳寛も同じじゃん」と突っ込まれるので)

同様に夏目さんも同じく、二度と‟引用”に関しての失敗をできない人間になりました。(やはり、失敗したら「え?また?」と突っ込まれるので)

人を成長させるもののひとつとして「責任感」というものがありますが、今回、夏目さんとぼくはひとつの出来事によって同質の責任感を背負うことになりました。結果、ぼくたちはきっとそれぞれに、より良くなる。
この意味で、今回、夏目さんと僕は対峙する関係性のようでいて、結果として実は表裏一体の関係になったわけです。

最後に。
夏目さん曰く、(本件の発端になった記事は削除済みのため)「改めていすみ地域についての記事も新しく制作する」とのことで、ぼくも必要であれば人の紹介などで協力させて頂く旨も伝えています。

いちいすみ市民としては、しっかりした記事が改めて掲載されるのは無条件に喜ばしいことですから。関係者の皆様、その際はよろしくお願いいたします。

というわけで、今後のwebマガジン『Living entertainment』さんにもご注目ください。ぼくもfacebookページにでいいねさせて頂きました。

そして、本件でいろいろと助言を頂いた身近なみなさまに、改めて感謝を申し上げます。

■この記事の前編はこちら
webマガジンに著書の内容が無断で大幅引用(盗用?)されたときに、著者が思うこと。<前編>

■発起人として、がんばってます。中学生と取り組む、「問い」を起点に地域を発信するプロジェクト『房総すごい人図鑑』

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