人間好き嫌いで生きてる

結局のところ、好きか嫌いかで善悪や敵味方なんて決まってしまうんじゃないかなーと思うようになりました。

ネットで読んだんだけど、
美男
美女
醜男
醜女

を分けたときに、どいつが一番悪そうに見えるかって言われると男性の場合は醜男を選ぶが、女性の場合は美女を選ぶそうなのね。

なるほどなーと思いました。

てなわけで善も悪もイメージや虚構で出来てる気がする。
悪人面という言葉を犯罪で捕まった後の映像で言うのは後出しジャンケンというか…
俺は嫌な人でもどこかしら良い所を探すようにはしてるつもりだし、逆にどんなに気に入ってる人でもどこか違うな、合わないなって思うことは当然ある。どこまで行っても他人は他人。

結果、俺は誰とでも喧嘩するようになっちゃうんだけど。親しき仲にも礼儀ありとは言いつつだらしないのでついつい甘えてしまう。

ただ1つだけ例外があるとすれば、やっぱり自分の子供だけはどんなことがあっても味方をしなければならないだろうし、それが親の務めなのかなーと思います。

当然、自分と違う人間なので好きに生きてたら良いし、親(俺)の為に生きてほしいとかは全く思ってないんだけど、自分の人生を明るく健やかに過ごして欲しいかなと思います。

残念ながら片思いするのは慣れてるので、
嫌われても嫌いにならないコツはよくわかってる。

幼い子供が無力な状態で生を受けて初めに持つ感覚は、この世界は信用に足るものか?という所らしい。そこから自己肯定感や価値観が出来ていくようで、成長につれてこの人間、組織、社会は信用できるか?に移り変わっていくんだろう。物差しが大きいか小さいかで結局のところ幼少期の経験で培った価値観というものは中々変わるものではないと思うけど。

信じる者は救われるとか言うくらいですからね
でもまあ本当にしんどい時に助けてくれるのは家族くらいなもんかなと思います
他はよくわかんない…というか社会的な役割で動くのが普通だし、嫌ならお互いに避けて通ることも容易なので。なんというか、立ち振る舞いや状況次第では簡単に切り離されてしまうし結束力というかがイマイチ頼りないと思います。親友と言える間柄まで行かなければ、そんなもんかなーと。

あとは趣味とか好きな物とかが大事だと思います。

僕は親である前にオタクなので、終わった言い方をすると子供に携わることより好きな作品や作者、その続編に出会えたりした時の方が心が動かされます。
身内のことは自分にしかできないけど、優れた作品や製品を生み出すことは自分には出来ないので。
人間、自分の興味や願望を実現する人に嫉妬したり憧れたり、親近感を持つのだと思います。ただ個人的に嫉妬てのは、あまりないんだけど。他人には他人の苦労があるんだろうと思うようにしてるし。出来るようになりたいとかこうなりたいとかは思っても他人になりたいとまではいかないです。

結局、好き嫌いで生きるのなら好きに生きましょう



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